第96話 悪神の悪意⑧vs天才の残滓
「そんな……」
シフォンの綺麗な顔が歪む。
魔核を捨てたまさに捨て身の一撃。
それはフェンシェを封じるに足る術式のはずだった。
「悲しまないでおくれよ、マジェリカ。僕の心も痛むから」
その声音は慰めるよう。
「そんな……なんで……?」
「どうしたんだい?君らしくない。聡明な君には分かっているだろう?」
「なぜ……? 封印されていたアンタが力を増すなんて不可能なはず……」
失敗した理由として考えれれるのはただ一つ。
マジェリカの見込みを、フェンシェの力が上回っていたからだ。
しかし、マジェリカには信じられない。
聞いた話ではない。
フェンシェの力は、まさにその身を以て測ったのだ。
「君は天才だ。僕が愛して止まないほどに」
フェンシェは笑う。
笑いながら一滴の水を放った。
「うぐっ!?」
その水滴はシフォンの右足を貫いた。
痛みと同時に足から力が抜け地面に倒れた。
上級水魔法『
魔力を失ったシフォンには魔法に抗う術がない。
水神の片割れが放った一滴だけで、右足は使えなくなった。
出来るのは睨むだけ。
「クランセムの迷宮あれほどに使いこなせるとは、恐れ入った」
賞賛を受けたマジェリカの肉体が嬉しそうにフェンシェにキスをする。
「本来ならばダンジョンが吸い取り成長に使われる力を主へと与える。そのため時間が経てば経つほど墓標は重くなる。流石はマジェリカだ」
神にも手が届きうるほどの理論を生み出した天才が、その魂の半分を糧にして作り上げた墓標。
「でもね。僕も賢いんだよ。君から愛されるほどに」
マジェリカの肉体に唇をよせ返す。
「だから僕も利用することにしたんだ。ダンジョンの力を」
「!?クランセムの力を横取りした!?」
「いや。それは出来なかった。君のくみ上げた理論には隙が無かった。でも、辺りには隙だらけの天然物が無数にあったからね」
驚愕と絶望に染まるシフォンの目を愉しそうに見据えながら、一言ずつ丁寧に話す。
染み込むように、穿つように。
彼は根を張った。
霊峰ダンシェルに。そして、ダンシェルに点在するダンジョンから、ダンジョンがその中に飼い慣らすモンスターの殺し合いで得た力を少しずつ自分へと蓄えたのだった。
「でも、ダンシェルは完成していてね。言うほど漏れないんだ、力が。モンスターの住み分けは出来ているし、縄張り争いもさほどない。思ったより力は集まらなかった」
しかし、ある日を境にそれが変わった。
フェンシェの知る限りマジェリカ以来であろう。
霊峰ダンシェルのダンジョンは侵略を受けた。
これまで変わらなかったダンジョンボスが次々と撃破され、ダンジョンが踏破される。
大量に屠られたモンスターはダンジョンに大きな力をもたらし、それと同時に、フェンシェも大きな力を得た。
「挙句にその侵略者が墓標まで退けてくれたんだ」
フェンシェが笑う。
後数百年はかかるかと思っていた封印がまさか数カ月で消えてなくなるとは、流石の悪神も予想外だった。
「リュウセイ……」
「君がその名前を呼ぶのは嬉しくないね」
一転、不快感を表す。
「僕を開放したお礼と、君に色目を使ったバツを兼ねて、肉人形にして死ねないようにこき使ってやろうと思ったんだけど……不出来な眷属では押さえられなかったらしい」
向かわせた6体の不死の眷属が消えた。
「まあ、構わないさ」
マジェリカの魂が手に入れば。
後でどうとでもなるから。
「さて、お喋りの時間はあとでいくらでもある。その汚い殻と一緒に君が消えてしまう前に救い出してあげないと」
甘い時間を思い描くように恍惚とした表情でそう告げると、マジェリカの肉体が動き出す。
かつての受け皿が、その中身を取り戻すように。
整った容姿の人形はしかし、機械仕掛けのように動きがぎこちなく、さらに無表情で、猟奇的な恐怖を煽る。
「ぐ」
シフォンに残された手は逃げるしかない。
魔力を失った身体は鎧すら重く感じるほどだし、右足に至っては鉛のように重く、ぴくりとも動こうとしない。
それでも逃げるしかない。
魂を切り離される苦痛など、想像するだけで恐怖だ。
しかも、何かしらの術式で穏やかになど微塵も考えていない。
肉体と魂の共鳴だけで無理やりに引きちぎるつもりだ。
動かない身体をそれでも翻し、何とか這いずりだそうとする。
最悪でもシフォンを殺すわけにはいかない。
自分が目を付けてしまったこの不幸な女性は、幸せになる必要がある。
いいように運命をいじられて、失敗して激痛にのたうち回った挙句、死にましたなどマジェリカ・ラズウェルのプライドが許さない。
しかし、意に反して身体は動かない。
芋虫よりも惨めに、それでも必死に生き抜くべく足掻くシフォンに肉体が迫る。
その白い腕が、動かない右足を掴もうとしたその時――
――ドーーン!!――
――巨大な炎の塊が飛来し爆発した。
爆音に手が止まるマジェリカの肉体。
身体を返せば、フェンシェも突如現れた火球の飛んできた方を見ている。
「レイチェル?」
フェンシェの奥から青い鎧が現れる。
それは自分が所属するパーティー『アルディフォン』のリーダー。名前をレイチェル。自称、蒼月のレイチェル。
「遅れちまったな」
右手で額を押さえ、ふるふると頭を振る。
更にその奥から大剣を下げた男が現れる。名前をシャイン。自称、虎牙のシャイン。
その後ろには杖を構えた魔法使い。名前をルーニー。自称、雅炎のルーニー。
その背後から若干不安げに顔を覗かせるこれまた魔法使い。名前をジェラルド。自称、神算のジェラルド。
「一つ教えてやるぜ。レディのエスコートはもっと紳士的にやるものさ?」
壮麗な青い鎧が、いまいち似合わない、ずんぐりむっくりな短い手足。
手にした装飾の流麗な片手剣を、弾き飛ばしたフェンシェへ差し向ける。
「この蒼月のレイチェルがいる限り、うちの可憐な姫様に無粋な真似はさせないと知るがいい」
シャキーン!シュピーン!と右手の剣を振り回しつつ、盾を持った左手で意味深に顔を隠すレイチェル。
フェンシェが珍獣を見るように突如現れた闖入者を見返す。
髪の一本も焦げていないマジェリカの肉体もまた、四人を見返し、無表情なまま、シフォンを見る。
シフォンと人形の目が合う。
「シフォンが
レイチェルの口上が荒野に響き渡った。
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