第95話 悪神の悪意⑦vs天才の残滓

マルシェーヌ北側、世間から『棺の入口』と呼ばれ、誰も近づかない死出の道。

その『棺の入口』の入口。


そこに彼女はいた。

絶世の美女、シフォンである。


わざわざ持ち込んだのであろうゆったりしたリクライニングチェアに優雅に座り、その傍らにはこれもわざわざ持ち込んだのであろうパラソルとサイドテーブルがある。

サイドテーブルの上に紅茶を用意し、優雅に本を読んでいる。


寛ぐには少々荒れた草原。

本を読むには鎧姿は物々しい。

そして、本も優雅に読むには随分と分厚く、古めかしい。


一陣の風が吹き抜ける。

桜色の艶やかな唇いに寄せたていたカップをサイドテーブルに戻すと、開いていた本をばたりと閉じた。


サファイヤのような青い瞳が前を見る。


「何年ぶりかしら?」

椅子から立ち上がるその所作は実に優雅で、シフォンの見目と合間れば、劇中の一幕のようにも見える。


「何年とは連れないね」

応えたのは一人の青年。

青年はフェンと名乗っていた。その正体は悪神フェンシェ。

水神フェンシェが己の神性を維持するために切り捨てた、マジェリカへの執着の権化。

青みがかった灰色の長髪に、糸のような細い目。

その声は穏やかに聞こえて、歓喜に満ちている。


「5秒とて、君から目を離したことなどないのに」

何より異様なのは、その右手に抱く人形の女性。

白い髪の美しい女性を象った人形。

――いや、人形と思いたい。

それほどにその造形はあまりにも生々しい。


「マジェリカ……迎えに来たよ」

フェン……悪神フェンシェはにこやかに笑いかける。


「私はシフォンよ。マジェリカはもう死んだわ」

対するシフォンは吐き捨てた。

「そんなもの、よく腐らせもせず持ってたものね」

シフォンが指したのは、白い髪の人形。

いや、『白瓏』と呼ばれる所以となった、流れるような白い髪の美女、マジェリカ・ラズウェルの肉体である。



「腐らせる!?」

ひどく驚いた表情のフェンシェを慰めるように、マジェリカの肉体がその頭を撫でる。

「君が僕に捧げた愛の証。腐らせたりするはずがないだろう?」

愛を囁くように白い髪を撫でれば、マジェリカの肉体はこそばゆそうに眼を細める。


「……」

フェンシェの意のままに操られるかつての自分を見る目には隠し切れない嫌悪感が窺える。


「捧げてなんかないわ。アンタを封じ込めるための依り代よ」

気を奮い立たせる。

予想外だった。想定外だった。

マジェリカの肉体は、フェンシェを墓に縫い付けるための杭として打ち込んだのだ。

朽ちることは考えていた。

壊されることも考えていた。

しかし、まさか、一欠片も壊されることなく、あろうことかパペットにされていようとは考えもしなかった。


「君が用意してくれた贄だよ。贄とは、神にささげられる供物。まさしく君は、その身をもって私の愛に応えてくれたんだ」

ふふふふ……と妖しく笑うその姿は、神々しく、おぞましい。


「でもね」

すっと笑いを引いた顔が翳る。

倣うようにパペットも泣き顔を作る。


これほどひどい人形劇はマジェリカの頃から見たことがなかった。


「空っぽなんだ」

そう告げる声音は辛そうであった。

知らぬものが聞けば同情を誘ったであろう。


「ここには肉体しかない。魂がないんだ」

そう言って自分の宝物を取り上げられた子どものようにシフォンを睨む。


「マジェリカは死んだ。もういない!そして、アンタももういらない。切り捨てられた悪神は理に則ってとっとと散りなさい!」

水神フェンシェに不要と判じられ、切り捨てられた存在は本来消えるべき存在だ。

それが神の理。


「違うよ、マジェリカ」

しかし、悪神は認めない。

「切り捨てたのではない。守ったんだ。君へのこの想いを守るために僕を創った。神のままでは叶えられないこの想いをね。魂を切り裂いてまで守るため、創ったんだよ!」

その顔に迷いはない。


「だから僕は残「なんでもいいのよ!」

シフォンは叫んだ。


「アンタはここで封じられる!それだけのことよ!」

シフォンの目に宿ったのは決意と殺意。

一見すれば可憐とも見える姿にそぐわぬ力強さ。


「どうするの?君の力じゃ僕には及ばない」

その表情はどこまでも穏やかで、余裕に満ちている。


「及ぶわよ。この私が無手でアンタを迎えると思ってるの?」

対するシフォンも不敵。

「ここに誘い込まれた時点でアンタは終わってたのよ!」

叫ぶなり取り出した宝石。

透明なその石は名前をエレメンタルストーン。

普段よく見掛ける物より二回りほど大きく、親指と人差し指で輪を作ったほどの大きさをしていた。


「精霊の力は効かないよ?」

あくまで穏やかに、子どもに諭すように告げる。


「違うわ。エレメンタルストーンの力は『精霊との交感』ではないの。その力の本質は『位相の異なる存在を繋ぐこと』!」

目の前の異様な存在が見た目ほど穏やかでないことは百も承知。

故に躊躇わず、隙は作らず。


「フェクラ・エラルト・シェンド・ミ!!」

石を掲げると同時に叫ぶ。

呪言に応じて周囲に巧妙に隠された魔法陣が起動し、まばゆい光を発した。

同時に竜巻のように目に見えない力が吹き荒れる。


「操神術の応用か」

その光の中心で、驚愕に顔を染める悪神。


「でも、人の身では力が足りない」

神を操る程の術、並みの天才の魔力では足りない。

この術は本来、天才と呼ばれる魔術師が数人がかりで魔力を供給してなせる業。


「足りるわよ」

暴風のような力に顔をゆがめながらシフォンは笑う。

そして、手にしたナイフを我が身に突き立てた。

「何!? まさか!?」

「神が人に与えた奇跡の力――魔力の根源、魔核を砕けば足りるのよ!!」

「力を捨てるのか!?」

魔核を砕けば、確かに数人に匹敵する魔力を得る。

しかし、それは一時的であり、魔力を失うことを意味する。

魔力とはこの世に生きる者に与えられた神の恩寵。

そしてこの世は神の恩寵を礎に成り立っている。


「考えが甘いのよ!!なんのためにシフォンを選んだと思ってるの!!」

唇の端から血をこぼしつつ、凄惨に笑う。美しく笑う。

「魔力が無くても困らないからよ!! 知りなさい!! 美人は力を失くしても誰かに助けてもらえるのよ!!レベルカ・エスティコ・カレン・サンマ!!」

力の奔流が渦を巻き、その中心でエレメンタルストーンはゴーゴーと音を立てて光を吸い込む。


「ぐう!?」

フェンシェの顔が歪む。

髪が、手が、身体がちりちりと石に引き込まれる。


「天才・マジェリカ・ラズウェルを舐めんああ!!」

歯を食いしばり力を制御する。

力の渦はその激しさを増す。

その渦に斬り刻まれるようにフェンシェの神気がエレメンタルストーンへと吸い込まれる。


「高かったんだからね!この石!!高過ぎんのよ、石ころのくせに!! トランペットだかアコーディオンだか忘れたけど、足元見やがって!!あのハゲぇ!!」


それは結句。

呪言を結べばフェンシェの身体を塵へと変え、その存在を石へと封じる。

「クワレ・ベレルト・シェ・ジェ!!」

光の奔流が辺りを白く染め抜く。


――ピシッ――

「べ!?」

――その時、シフォンの掌から不吉な音が聞こえた。


刹那。

雷鳴にも似た轟が地響きを起こすほどに鳴り響き、エレメンタルストーンが砕け散った。

「ぶえ!?」



――そして、視界を染め抜いた白い光も、耳を覆い尽くした轟音も引いた荒野。


「僕の君への想いが、そんな小さな石に収まるわけがないだろう?」

「!!??」

力の奔流に身形を乱されたパペッターとパペットはしかし、悠然と立っていた。


「さあ、魂を返してもらうよ?」

不吉に笑った。


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