第92話 悪神の悪意④vs白い猫

「にゃあ……」

街の外、ゴンタロウ一家から十分に距離を取って殺気を巻き散らかす変なのを迎えたマイルズは、その姿にびっくりしていた。


ちなみに、ゴンタロウ一家はマイルズが離れて見えなくなるなり一目散に街の反対側に逃げ出している。

何もなかったように癒されたが、身体が一切動かず、全身を激痛が走り回った恐怖体験は、今なお少しも色褪せていなかったから。


現れたのは、剣を佩いたヒョロ影一人。

しかし、何が起こっているのか首と胴体が離れていて、首だけ胴体の少し斜め後ろ少し高い所にプカプカと浮かんでいるのだ。

「なんだこの猫は?」

宙に浮いた首がしゃべる。

「にゃあ……!?」

思わず『喋った……!?』と驚いてしまうマイルズ。


「まあ何でもよい。このスバルの前に立つということの意味を知るがよい」

言って剣士は腰に佩いた剣を抜いた。

黒に近い紫にただれたような刀身を持つ、両刃の剣。

野盗のような粗末な成りをしている中、その剣だけが異様な迫力を放っている。


「にゃあ……」

悪趣味っぷりと、形容しがたい悪臭にマイルズの鼻が歪む。


「呪剣ジュネの切れあ……」

「にゃ」

――ボッ!!――


胴体の掲げた剣を高い所から眺める変な構図が一瞬で炎に包まれた。

「にゃ」

「にゃ」

「にゃ」

マイルズが小さく鳴くたびに、地面から刺が生え、氷塊が落ち、紫電が走る。


マイルズは戦いが好きなわけではない。

なかなか倒れない相手を、倒れるまで一方的に叩き続けのが好きなタイプである。


「にゃ!」

最後に一鳴きすると、地面からドーンと溶岩が噴き出し、天に上った。

噴き上げた溶岩はそのまま硬直し、天に届く細い石塔へと姿を変える。

その様を見て、満足気にしたその直後――


「効かんな。神に力を与えられた俺に、魔法は効かん」

声とともに、石塔が割れ、剣士が現れた。

その姿は全くの無傷。


「呪剣の力を見せてやろう」

言うなり滑るような踏み込み。

黒い軌跡を残して剣が薙ぎ払われる。


速くはあるが、怖くはない。

いつかの槍の方が早かった。

余裕をもって躱したその剣がマイルズの頭上を通り過ぎた。


「にゃ?」

しかし、異変に気付く。

背中に住み着いているはずの精霊が減ったのだ。


「この剣の呪いは触れた者を食らいつくす。触れたら仕舞だ!!」

生前のスバルを知る者がいたら、その饒舌に驚くであろう芝居がかった口上とともに、マイルズに斬りかかった。


「にゃ」

しかし、マイルズとて退かない。

スバルの胴を魔法陣が取り囲み――


刹那――


――炸裂。


「効かんと言っただろう!!」

しかし、やはり無傷の剣士が踊りかかった。



☆☆☆



「にゃあ……」

マイルズは少し困っていた。


普通であれば斬られたところで、痛くもないし、怪我もしない。

しかし、どうやらあの剣はそういう次元にはないらしい。


しかもなんでも斬る。

結界も斬られた。

魔法も斬られた。


躱すしかない。


それはいいのだが、紙一重で躱すと、マイルズの毛並みに住み着いている精霊が剣の余波で消えるのだ。

僅かではあるが。


しかし、仲間が消えると、残っている者たちがうるさい。

微妙に毛をぴくぴくと引っ張って遺憾の意を示すのだ。


その微妙加減のもたらす鬱陶しさにマイルズは困っていた。


「にゃ」

何度目かの魔力爆発。


しかし、効かない。剣が振り回される。最初に比べて太刀筋が荒れている。


斬りかかっても斬りかかってもかすりもしないことに腹を立て、先程から何やらがちゃがちゃと騒ぎ倒しているからだろう。


「にゃあ……にゃ!!」

その時、マイルズは閃いた。


それはそう、リュウセイの言葉だ。

マイルズから見てリュウセイはスマートさとか、創意工夫とかが足りない浅慮に見える。

槍を振り回しとけばなんとかなると思っているのだ。

とんだ脳筋野郎である。


しかし、そんなリュウセイもかつて金言をもたらしたことがあった。

曰く。


『壊れないなら壊れるまで壊せばいい』


バルディエと出会った性格の悪いダンジョンでリュウセイが示したこの一手は、なるほど、自分が従うに足る人間の叡智の結晶である。


「にゃあ!!」

マイルズは金色の綺麗な目をきらりと光らせると、破壊のスロットルを全開に押し開けた。



☆☆☆



その日、ベルエーダは地獄を見た。

街の象徴にして、金の成木であった二つの施設が機能停止となり、神を恨んだ住人たちに、更に神の怒る様を見せるような異常事態が起こったからだ。


先ず、突然、巨大な石の塊が倒れ、街に繋がる街道を木っ端みじんに叩き壊した。

それから、爆発と轟音が続いた。

それどころか、稲妻は落ちるし、溶岩は噴き出るし、地震は起こるし、人の頭ほどの大きさの雹が降り注ぐし、触れるだけで全身が痺れるガスは漂うし、それはもう地獄絵図であった。


街のすぐ傍で起こったその異常事態は、街に直接は被害を及ぼさなかったが、その余波だけで、いくつもの家が崩れ、道が耕された。


しかも、その天変地異は時間を経るほどにひどくなっていく。


ベルエーダの街の住人たちは、生まれて初めて、隣人と肩を組み、天に向かって祈りを捧げた。

祈りは日中を過ぎ、夜に差し掛かった。


そして、祈りは通じた。

日が沈み始めた頃、天変地異はぴたりと収まった。



☆☆☆



灰とか色々普段見ないもので霞む空が、暗くなり始めた頃。

「にゃあ」

マイルズは小さく頷くと、魔法を止めた。


戦場は原型を留めぬほどに荒れ果てている。

戦いが終わったからではない。


「にゃあにゃがにゃにゃ」

魔法では蹴りが付かないと分かったからだ。


その判断の通り、爆心地にはいまだに無傷な剣士が一人立っている。

本人が言っていた通り、魔法が効かない身体なのだろう。

悪神とかなんとか言っていたので、その辺の何かがあったのだろう。


剣士は剣をだらりと垂れ下げたまま、真っ青な顔で、ただ茫洋と突っ立っている。


「にゃにゃあにゃにゃ」

魔法がダメなら違う手を使うだけだ。


マイルズは目を閉じ、神経を集中させる。

風もないのに、赤いマフラーがふわりとなびく。


辺りから音が消える。


痺れるほどの緊張感。


にゃあにゃあとマイルズは小さく何かを呟いている。

声にならない音。


そして、ゆっくりと目を開いた。

にゃあにゃあにゃがにゃにゃがにゃあにゃランクセノンの名の下に、汝に慈愛を


最後のその小さな呟きをもって、緊張感に張り詰めた空気が割れた。


剣士の足元に不可思議な紋様が浮かぶ。

そして、空から一粒、光の粒が現れ、剣士の頭にふわりと落ち――


――そして、剣士の身体は崩れ落ち、首もごろりと地面に転がった。



☆☆☆



スバルは初めその猫を手ごろだと思った。

次に、面倒くさいと思った。

更に思いのほか手強いと思った。


そして、そのしばらく後、彼は思考を失った。

魔法は痛くないし、死ぬこともない。

畏れるに足りない。


しかし、生前に培った死への知識があった。

目の前で、そして、身体に直に、音として、温度として、感触として、殺戮の嵐が降り注ぎ、その度に知識が心を蝕んだ。


数万に及ぶ死の踏襲。

心が砕け、千々となったその時に、少女の声が聞こえた。


慈愛に満ちたその声が問う。

『何を望まれますか?』


スバルは応えた。

「殺してくれ」

その声はかすれてひび割れ、音にならなかった。


柔らかな声が応えた。

『叶えましょう』


ベルエーダの街の外れ、人々が神の怒りと恐れた天変地異は、人知れず神の慈愛によって終わりを告げた。


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