第90話 悪神の悪意②vs赤い梟
突如現れた森は日が届かない程に深く、暗かった。
しかし、人の形をした異形の大群はその超常現象にも一切の躊躇いを見せず、森へと突き進む。
我が前を進む異形の背中を踏み潰して進まんとする勢いである。
「近くで見ると迫力がすごいですね……」
おおっと戦いたように大群を見下ろすバルディエ。
頭に止まったトンボ達も興味深そうに大群を見下ろしている。
暗い森の葉の生い茂った木に止まればその姿はほとんど認識できない。
「このまま放っといたら消える、とか……ないですよねぇ」
大群となったことで不安定だった存在感が安定してしまっている。
しかも突如現れた森だというのに少しも恐れることなく、とんでもない勢いで突き進もうとしている。このままでは突破されるのも時間の問題だろう。
「さーて、どうしたもんで――ドス!――ん?」
鈍い音とともに、胸に灼熱を感じる。
胸元を見下ろせば、太い矢が一本突き刺さっている。
「あれ?」
どうして?と思う間もなく、足が力を失い、バルディエは、異形の大群の中へとぽとりと墜落した。
落ちながら見渡せば、野盗のような格好の男女の中にいても良く目立つ上等な服を着た頭頂部がメゾピアノな男が狂気の顔で弓を振り上げ、雄たけびを上げていた。
血に飢えた異形の群れの中にバルディエが飲み込まれる。
突如現れた瀕死の獲物に、異形は歓喜の声を上げ、凶器を振り上げて殺到する。
非情にも血飛沫が舞った。
「……まあ、この程度でどうにかなることはないんですけどね」
その様子を木の上から眺めるバルディエ。
殺到した異形が巻き上げた血飛沫も、ズタズタに裂かれたはずのバルディエもそこにはいない。
消え失せた暴力の対象と、頭上から響く声に顔を巡らせる異形たち。
「時間魔法って……知らないですよね。発動の条件が限定的なんですけど、死ぬ前まで時間を戻して、死なない場所からまた始める。私、そういうことができるんですよ」
ドヤる。
「……リュウセイさん達からは、聞かれてないので、知られてないんですけどね。ていうか、普通、何が出来るんだ、とか聞きません? 私、未だに荷物抱えて空飛ぶしか出来ないと思われてますよ、多分」
ブツブツと愚痴る。
――ヒュ――
堂々と姿を晒したバルディエに矢が襲い掛かる。
しかし、矢は途中で力を失いポトリと落ちた。
「流石は神の呪いですね。私の定めたルールにこれだけ逆らったんですから。しかし、逆らえたのもここまででしたね」
矢は届かず、それどころか異形が手にしている武器がぼとぼとと落ちる。
「ここは、小人の森。この森に望まれず踏み入った者は、無力な小人へと成り下ります。武器を抱える膂力すら失うほどに」
悪神に与えられた力を失い、それどころか只人ほどの力すらも失くした異形ができることは唸り声を上げるだけ。
「それにしても全く、数が多いですね。私だけじゃ狩るだけでも手間です」
わざとらしく首を振る。
「しかーし!問題ありません!」
わざとらしく羽を広げる。
「さあ!手伝って下さいね!!」
そう言って、トンボの紐を離せば、頭から飛び上がったトンボが、遠近感が狂ったように巨大化する。
召喚者に狩人の証を許されたものだけが圧倒的な力を得る特異空間、小人の森。
人よりも巨大になったトンボの群が、無力な案山子となった異形の群れに襲い掛かる。
一方的な蹂躙。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
「ハーハッハッハ!!圧倒的ですよ!圧倒的!なんせ私は『深奥の大帝』ですからね! 大帝ですよ!大帝!樹海召喚とか出来ちゃうんですからね!! 仲間には全く知られてませんけどね!!」
ドヤり倒す。
悪神に魂を売った愚行を、朽ちるその時まで悔いる時――
「ハーハッハッ……あれ?」
――のはずだったのだが、トンボは大きくなった身体を確かめるように自由自在に空を飛んでいて、一向に異形に襲いかからない。
「ねえ?あれ?何してるんです? さあ、やっておしまいなさい!」
翼をビシッと指し示すが、トンボ達はブーンと羽音を響かせ、空を飛び続けている。
「え?何? 不味そうだから食べたくない? いや、そういう問題じゃないでしょ? ちゃんと命令を聞いて…え?食べない命を狩るような蛮族ではない? なんか気高くないですか? あれ? どこ行くんです? ちょっと!? ねえ!?」
慌てるバルディエに対してトンボ達は、『さあ、無益な殺生のない、我らが安息の地を探すのだ!!』と見事な編隊を組み、颯爽と飛び去って行った。
「………」
「「「「「……」」」」」
「……私は『神秘の賢鳥』! 無力と化した貴方達を一掃するぐらい容易いのです!」
何も無かったかのように声を張り上げるバルディエ。
そして、胸元の羽毛から徐ろに一冊の本を取り出す。
古びた赤い本。
「こんなこともあろうかと、図書館からこっそりお借りしてたんですよ!食らいなさい! タイタンズハウンド!!」
叫べば、赤い本のページがめくれ、魔力が吹き荒れる。
――ゴォオオオ!!――
轟音と共に地面がうねり隆起すると、棒立ちで可哀想なものを見る目をしていた異形の大群を呑み込んだ。
――オオォォォ……――
轟音が鳴り止んだその後には、静かな森と赤い梟だけが残っていた。
「全て私の想定通りの圧勝でしたね! まあ!この森の中で私に敵う者など!いませ……」
そう言いかけて脳裏に赤い髪の男と、黒い大きな犬と赤いマフラーをした白い猫がチラつく。
「……この森の中で私に敵う者など、ごく一部の非常識枠を除けば、いませんからね!!いやー我ながら完璧でしたね! さ、後片付けしましょう」
本をパタリと畳むと、胸元の羽毛へとしまった。
☆☆☆
街の前に突如森が現れ、消えるという超常現象が起こったその日。
光を失ったスラディマスに悲嘆に暮れていたアサラディオ湖に奇跡が起きた。
突然、人よりも巨大なトンボが棲み着いたのだった。
大きい以外は普通のトンボと変わらない変異種は、『アスルドラゴン(フライ)』と名付けられ、新しい観光の目玉として、スラディ温泉に歓喜の声をもって迎え入れられた。
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