第87話 「意味が分からんぞ?」

サクサクと軽い歯ごたえの奏でる音が部屋に響く。

それ以外は妙な沈黙だった。


何か言い出したそうな男と、何も言い出されたくなさそうな女。

男女特有のほの甘く、どこか切ない空――

「意味が分からんぞ?」

――そんな繊細な機微に従う男ではなかった。

「何がよ?」

「全部だ」

リュウセイは切って捨てた。


「全部って何よ!? 少しぐらい分かったでしょ?私が天才だってことぐらいは!」

「いや、そこはどうでもいいと思うんだが……。全部は言い過ぎか。お前の半生については大体分かった。その先だ。水神とか悪神とか、墓標とか解き放ったとかだ」


「……神と悪神の違いは?」

「知らん」

「なるほどね」

シフォンは遠い目をした。

魔術院の周りにいた奴らも、こんなのだったなと、楽しくもない思い出が蘇る。

知らない、分からないと言う分だけ、目の前の男の方がマシかもしれない。



☆☆☆



水神フェンシェからの依頼を終えたマジェリカは、ダンシェルへと舞い戻った。

魔法の創り方が知れるのだから、他のことはどうでも良かった。

むしろ、人の世のしがらみなど邪魔にしかならない。

邪魔されないように『ダンシェルは私じゃないと死ぬようなダンジョンばかりだから近づくな』とだけ書き残して。


水神の話はマジェリカの好奇心に十分以上に応える内容だった。

結論として、神ならざる身であるマジェリカは“神気”が使えないため、魔法の創造は不可能であった。

しかし、不可能=出来ないと考えるほどマジェリカは謙虚ではなく、『出来ない』を『出来そう』へと再構築できるほどの天賦の才を持っていた。


マジェリカはその時間を心から楽しんだ。

空前絶後の才能と、人から妬まれるほどの美貌を持って。


意外だったのは水神であった。

人から見て神とは本来畏れられるものであり、少なくともこんなに厚かましく、無遠慮に、不躾に、接せられるものではないはずで、その不敬がこんなにも心地よいとは知らなかったのだ。



☆☆☆



「まあ、ちょっと失敗したんでしょうね」

紅茶は空になり、いつの間にやらカップに入っているのは琥珀色の液体……酒である。

「水神ってちょっと独占欲が強いところがあったみたいでね……いや、失敗じゃないわよね。神の性格なんて知るはずもないんだから……これ、美味しいわね」

綺麗な顔で、リュウセイが出した謎の肉のジャーキーを噛みちぎりながら、ぶつぶつと呟く。


「私に対して『執着』が生まれたのよね」

「そうか」


『女が過去の痴話を語り出したら、意見を言ってはいけない』とはリュウセイがこれまでの経験で得た教訓である。

神妙な顔で聞き役に徹しながら、空になったカップに酒を注ぐ。


この酒を注ぐタイミングの上手さが別の問題を引き起こしているのだが、本人は与り知らぬことである。


「悪神っていうのはね、神に持ってはならない感情が生まれた時に、それを切り離すことで出来る分霊わけみたまなの。神は公平で、かつ、結果にしか干渉してはならず、それを覆すには大義と代償が要る。でも、大義なんてあるわけないから」

「持ってはならないってことか」

『そ』と捨てるように吐いて、酒を煽る。

「神まで魅了してしまう自分の美しさと、神とも対等に話せる自分の才能を初めて怖いと思ったわ」

「……」


「普通はね。分霊を作ったとて、形にはならずに消えていくものらしいわ。少し土地に神性が宿ることはあっても、消えていく。本来は」

「消えなかった、と」

「そうね。相手が私だからね。忘れたいで忘れられるほど安くないじゃない?」

「そんなことはないと思うが、水神にはそうだったんだろうな。気の毒にな」

「……」


「まあいいわ。良くないけど。今はシフォンだからね。マジェリカの頃だったらアナタも意味が分かったと思うけど、今はシフォンだから」

何かと一緒に、ジャーキーを呑み込む。


「とかく、生まれたのよ。悪神が。持つべきでない感情を持ってしまった神がね」

「悪神か……」

「焦ったわ。執着と独占欲に支配された神よ。流石に怖いわよ。ただの変態じゃない」

「……同情するな」

舐めた酒が妙に苦い。

「分かってくれてありがとう」


「悪神フェンシェは私の全てを手に入れようとする。私が逃げたら、逃げた先で関わった全てを消し去りながら追いかけて来る。私を手に入れたら今度は過去の思い出を手に入れるために私が関わった全てを消し去りに行くでしょうけど」

「……変態じゃないか!」

「そう言ったじゃない?」


「でも、相手は神だからね。そうそう消すことは出来ない。だから、封印したの。私の肉体を贄にして悪神を封じた。そして、魂の半分を使って悪神が外に出られないように迷宮クランセムで蓋をし、墓守としてバルディエを置いて錘にしたのよ」


錘と呼ばれた赤い梟を思い出す。

……呑気そうな顔だった。

「世の理を護るって言うのは方便か?」

「嘘じゃないわ。世の理は神の創った不文律。故に壊せるのは神だけ。悪神が暴れ出せば、世の理も壊れる。じゃなければ、自分の命捨てて封印したりしないわよ。やりたいこといっぱいあったのに」

はあーっと深くため息を吐く。


「悪神を押さえてる間に、転生して準備をして、動けないうちにしっかりと封滅する予定だったの。その間にバカが近づかないように、入口に呪いを掛けて、これで私は肉体の全部と魂の4分の3を使った。その残りが今のこの意識」

自嘲するように笑った。


「それが錘は逃げ出して、あまつさえ蓋も壊れてた。私の肉体でどこまで押さえられるか分からないけど、もう悪神は動き出してると思う方がいいわよね」

「そんな執着の権化が動いてるならお前に何か起こってるだろ?」

「悪神の性格は把握してる。待ってるのよ」

「何を?」

「私が気付くのを、よ。自分が動き出したと、自分に気付いてくれって待ってる。そして、私は気付いた――」


夕刻を告げる鐘の音が響く。


「――来るわよ」


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