第76話 「酒でも奢るよ」

「すごい額ですねぇ……」

感嘆とも呆れともつかない呟きを漏らしているのはハノイ。

応接室を後にして一階のカウンター。

渡された大量の金貨は持ち歩くのに不便なので、冒険者ギルドに預ける手続きをしている。

この手続きをして、預かり証を受け取っておけば、よその街の支部でも金額を引き出すことができる。


ディケンズは終始ご機嫌で『ハンスの手が空かなくて仕事が滞っててね』とか、『また他所の支部から嫌味を言われるよ』と嬉しそうにワインをパカパカ空けていた。

バルネッサの他にも、ビアーズやポロロイなど、聞いたことはあるが見たことのないワインが景気良く開けられていた。


せっかくなので貰ったが、余り口には合わなかった。

幸いだったかもしれない。

飲み過ぎていたら後が大変だったから。


応接室では、ただ酒盛りだけをしていたわけではない。


本来であればもっと大騒ぎになったり、大々的な広報活動が行われるべきなのだが、正直、値段はおろか、名前すら判別できない素材が大半なので、セレモニーで必要な目録などが作れないというのが一点。

後は単純に素材の出所がデリケート過ぎて、扱いに困っているのでもう少し待って欲しいというような話もあった。

リュウセイはセレモニーとか大の苦手なので、願ったり叶ったりだ。


ディケンズが機嫌よく飲んでいたのは、実際に機嫌も良かったのだが、あらゆる組織の上層部を巻き込んで相当にどぎついやり取りが連日行われているとのことだった。

今現在、全力で箝口令が敷かれているそうだ。

そんなこんなで、高い酒をバカになって開けるぐらいやらないと、やってられないというのもあったらしい。


リュウセイが酒のつまみに出した干し肉が、サラエアス深山産のものだと知ったら、せっかくの銘品も味を失っていたことだろう。

或いは気付かないふりをしていたのかもしれない。


「はあー、すごい額ですねぇ……」

手続きをしながら、何度目かの溜息。

ここはダンジョンの街マルシェーヌの冒険者ギルドである。

この街でトップクラスの冒険者となれば一度に相当な額を稼いでおり、それはつまりマルシェーヌ支部の職員も相当な大金の取り扱いに慣れていることを意味する。


後輩の指導役も務めるハノイとなれば、Bランクダンジョン通いのパーティーの対応でも手慣れたものだ。


そのハノイであっても、ぶつぶつと口から言葉が漏れ出てくるような額である。

リュウセイに至っては、現実感が無さ過ぎて、却って何も感じないぐらいである。


「酒でも奢るよ」

そんなハノイにリュウセイが苦笑いしながら話す。

「ホント!?」

ぴこんと立ち上がるハノイ。


職員の視線が集まったので、そっと席に座る。

「失礼しました」

心持ち顔を赤くしている。

「あ、そういえばジグのバカが迷惑かけて、すみませんでした」

手続きが終盤に差し掛かって余裕が出てきたハノイが世間話を始める。


「きゅっと絞めて、ぎゅっと絞っておきましたから」

ふふっと笑いながら言われる。

何が行われたのか、想像するのも恐ろしく、苦笑いして流す。


「仕事中に酒飲むとか、何考えてるんだか、全く」

さっきまで、上司が浴びるように飲んでいたので、苦笑いして流す。


「バカのことはいいとして、ホントに連れてって下さるんですか?」

「ああ。いくらでも。使えないぐらいあるしな」

冒険者というのは、やくざで刹那的な商売だ。

半分ぐらいは明日も知れぬ身なので、稼いだ金は派手に使うことが多い。


リュウセイはそこまで金遣いが荒くはないが――節約家ではなく、単に欲が乏しく、派手に使うほど稼いだことがない――冒険者の流儀は弁えている。


しかし、派手に騒ぐわけにはいかない状況でもあるので――ディケンズにしばらく控えてくれという釘を刺されている――知り合いに酒を奢るぐらいは何ともない。


「え、じゃあ、私欲しいものがあるんですよ」

ここでねだるのがハノイである。

金があると言った冒険者は退けないことをよく知っている。

「アルテナの新作が出てて!」

「アルテナ?」

「知らないんですね。服です服。今、人気なんですよ、アルテナ」

「へえ?」

全く興味のない分野である。

服なら見苦しくない程度。

鞄や靴など実用一辺倒。

それでも、外見の良さで何着ても様になるからそれで困らない。


「デザインも可愛いし、アラクシルクだから肌触りも良くって!」

あれやこれやと説明されるが、さっぱりイメージが湧かない。

「まあ、服ぐらいなら?」

知らぬ仲でない、世話にもなっているし、拘りなく頷く。


その返事に聞き耳を立てていたハノイの背後の職員がざわつく。

それを全力で無視してハノイが話を進める。


「いつに行きます?」

楽しそうに神速の手さばきでスケジュール帳を取り出したハノイに、やはり苦笑いを浮かべる。

女性は買い物が好きだ。


「別にいつでもいいが」

「え、じゃあ、明後日……あ!明後日はリンダと約束してたか」

「リンダなら別に一緒でもいいが?」

「……」

スケジュール帳とにらめっこしながらハノイが唸る。

「……リンダとねぇ……私はいいんですけど……」

スケジュール帳から顔を上げてにこっと微笑む。

「長くなりますよ?」

「あ、じゃあ、別がいいな」

「ですよね!」

ニコニコしながら手帳に目を落とす。

「じゃあ、来週の今日!1週間後!どうですか?」

「ああ。いいぞ」

「飛ばさないでくださいね。飛ばしたら……泣きますからね!」

絶対に忘れてはいけないという恐怖を覚える笑顔を向けられる。

「ああ。大丈夫だ」

スケジュール帳など持ち歩くはずもないので、後でジグに……いやジグはあてにならないから、リンダに1週間後呼びに来てくれと頼む、と心のメモ帳に記録したその時――。


「ん? リュウセイか?」

聞きなじみのある声が、背後から名を呼んだ。


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