第75話 「おおごと……」

質実剛健を絵に描いた部屋。

真ん中に大きな長方形の机。

ゆったりと4人が掛けられる大きなソファーが2脚、その両端を埋めている。

広さはそこそこある。


華美な装飾はないが、見るものが見ればそこに使われている素材の豪華さに言葉を失う。


そのソファーにどしりと腰を据えているのは、全身から知性のオーラが漂っている30ほどの男。

膝の上で手を組み、目を閉じている様は、哲学者の彫像のようである。

ぴっちりとオールバックに撫でつけた黒に近い茶色い髪。前髪を一房だけ鮮やかな緑に染めて垂らしている。


場所は冒険者ギルドマルシェーヌ支部の応接室。

男の名はディケンズ。34歳。

マルシェーヌの冒険者ギルドを束ねている。


ディケンズがふと目を開く。

紅の瞳がドアを見た。


――コンコン――

軽やかなノックの音。

「お連れしました」


「入ってくれ」

声音は意外と軽い。

部下の後に赤い髪の青年が訝し気に続く。

「ご苦労。掛けてくれ」



☆☆☆



リュウセイは戸惑っていた。

ギルド支部長とはこれまで挨拶したことがある程度で、直接関わる機会などほぼ皆無だった。


それがいきなり呼び出され、あまつさえ応接室にまで案内されたからだ。


なんの話か!?と構えているが、支部長は差し障りのない世間話を始めてしまい、なぜ呼ばれたのか全く分からない。


差し障りのない話に差し障りのない返事をしているのだけなのだが、すごく疲れる。


なんせ相手があのディケンズなのだ。

別に威圧的なわけでも、不気味な雰囲気を醸すわけでもない。


ただその実力と実績に緊張を強いられるのだ。


若干34歳にしてディケンズという男は生ける伝説とも呼べる存在だった。

父はあの〖ギガビアズ巨人を狩る者〗のリーダー・メルヴィル。

自身もわずか10歳にして冒険者になると、12歳の時には当時のマルシェーヌトップパーティーであった『バルトム』に加入。

以後、バルトム解散までの6年間、『ダストボックス・ディケンズ』と呼ばれ、Aランクダンジョンに潜り続けた。


バルトム解散後は主にソロで活動し、Bランクダンジョンを主戦場にマルシェーヌだけでなく、大陸中のダンジョンを踏破。

30歳を機に現役を引退するとギルドマスターに就任し、『ダンジョンの街』とまで呼ばれるここマルシェーヌの冒険者ギルドをまとめ上げている。


彼を師と仰ぐ有力冒険者は枚挙に暇がない。


そんな立場に相応しく多忙なディケンズが、わざわざ呼び出して世間話などするわけもなく、なんの前触れかと思うだけでリュウセイは消耗していた。


そんなリュウセイの心ここにあらずな返事に気付かないわけもなく、ディケンズは苦笑いを浮かべた。


「まあ、世間話に花を咲かせている場合ではないだろうな」

「あ、いえ」

「君の予想がどの程度かは分からないが、予想以上の大事になっていてね」

「おおごと……」

リュウセイは唾を呑んだ。


脳裏に浮かぶのは飛び散る瓦礫。

そして、手元でキラキラと光る槍。


「正直、困ってはいるんだ。判断がつかない」

ディケンズがそ怜悧な顔をしかめる。

自分は巻き込まれた側であって、悪いのは、と言われればバルディエだ。

あの赤い梟は、夜はともかく昼間はものすごく目立つ。

あれだけ暴れまわったなら、間違いなく見られている。


コバルトドラゴンが手を回してきた、ということか?


状況によっては、バルディエを差し出せという話もあるかもしれない。

『そうなったら……押し通す』

知らず、槍の柄を握り締めていた。

仲間を売る気は欠片もない。


「あ――ガチャ!ドチャ!ゴチャ!―――……あ?」

口を開きかけたその時、机の上に三つの巨大な袋が置かれた。

「とりあえず、これだけだ」

そう言ったディケンズは、いたずらっこのような笑みを浮かべている。

「あ?」

「全部じゃない。あの象牙の分だ!」

「ぞ? ……あ!ぞ!!」

思い出した。


「いやー、やってくれたな!!」

ディケンズの顔には『痛快』と大きく書いてある。

「あの銭ゲバの金ボケもだが、何たってツルダヌキの鼻を明かしてやったのがサイコーだ!」

「つ?」

様変わり用に理解が追い付かない。

「ああ、すまん! 口汚いな! 『ディボエ』の支部長だ」

けらけら笑いながら、手品のように酒瓶とグラス二つを取り出すとポンと栓を抜いて、グラスに注ぐ。

グラスに深い赤色の液体が満たされ、部屋中にふくよかな香りが広がる。


『空間魔法』。

その難易度から習得が最も難しいと言われている特殊魔法の一つであり、ディケンズの代名詞でもある。

空間魔法を駆使し、大量の素材を吸い込むように収納する姿にやっかみ半分で付いた二つ名が『ダストボックス』だ。


「分かるか?」

グラスを差し出しつつ、ディケンズが試すようにリュウセイを見る。

「あ、いえ、ワインはよく」

「そうか」

残念そうなその顔は、いたずらに失敗した子どものようだった。


「『バルネッサ』だ。聞いたことはあるか?」

「『バルネッサ』……? ばるっ!?」

「楽しめよ?」

にやっと笑みを深める。


「『ジュネ・フィッ・クドゥハ木を貪るもの』を狩ったって大騒ぎでな。もともと若い私が、ここにいるのも気に食わないもんだから、うるさかったんだ」

大層ご満悦で、グラスを空ける。


どうやら怒られるわけではないと分かったリュウセイは、高級ワインを口に含んだ。


「どうだい?」

「……旨いですね」

「嘘が下手だな、君は」

ディケンズに笑われたが、一番大事な嘘はバレてないので満足なリュウセイだった。


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