第74話 「昼間っから珍しいな」

「早くしないと!」

彼は走っていた。

赤茶けた髪を振り乱し、息を切らして必死に。

強くなってきた陽射しに晒され、汗が滴る。


「どこだ!?」

場所はマルシェーヌの西区画。

その一角を占める歓楽街。

日が昇り切らない、今の時間を必死に走り回る青年はひどく目立つ。

しかし、青年はその幾人かの胡乱気な目も気にせず、必死である。


「どうしたの?そんなに急いで?」

そんな青年に声を掛けたのは黒い髪を頭の上でややこしく結わえた女性。

身体のラインがはっきり目立つあでやかな装い。


「『忘恋忘わすれんぼうのしたごころ』ってどこですか?」

青年は尋ねた。

必死である。


「……」

女性は目を瞬いた。

そして、ふっと笑う。

「こっちよ、連れて行ってあげる」

ふふっと流し目で笑うと、青年の腕をするりと絡み取り、歓楽街の奥へと誘っていった。



☆☆☆



『忘恋忘』や『他人肌』と言った給仕酒場が軒を連ねる西区画7番通路はひどい騒ぎだった。

夜、酔漢の増える時間帯ならばともかく、昼下がりのこの時間にこれだけ荒ぶることは珍しい。


騒ぎの中心は『他人肌』だ。

グラスをかち合わせた様を意匠化した看板を掲げる店の前で、一人の青年が数人の強面に取り囲まれている。


それを見守っているのは黒髪の女性。

仕草は見守っているだが、目は蔑んでいる。


強面が口汚く叫べば、青年も負けじと言い返している。


『忘恋忘』からひょこっと顔を出したスカーレットは、見慣れた光景にこめかみを押さえた。

「昼間っから珍しいな」

その後ろからひょいっと顔を出すリュウセイ。

手にはしっかりと槍。


「何してるのよ」

叫ぶわけではないが妙に迫力のある声でスカーレットが割って入る。


「ちょっと、流石のアンタも関係ないわよ?」

すかさず黒髪の女性が言い返す。

「関係ないなら店の中でやりなさいよ。夜ならともかく昼間っから騒いで、また締め付けが厳しくなったら困るじゃないの?」

文化と言うほど高尚なものではないが、騒ぎは外でというルールがある。

一つは店を壊されると大変だからで、もう一つ、こういう騒ぎは大体金を払う払わないの問題で、メンツを気にする冒険者が、野次馬に囲まれた中で、飲み食いした金を払わないと騒ぐのがみっともないと考えやすいからだ。


なので、騒ぎはよく起きるし、騒ぎが起こればわらわらと集まるという習慣がある。

しかし、それも夜の話だ。

店も開いてない昼間に天下の往来で騒げば、問題になる。


「オリザ。貴方でしょ?どうせ」

「失礼だね。まっとうよ私は!」

クロマムシの異名を戴いている『他人肌』のエースである。

『他人肌』の不穏な噂の9割以上が彼女の実績である。


「貴方がまっとうなんて、ヘルニオが来た時ぐらいじゃないの」

やいのやいの。

女性同士の口論が始まれば、周りは口を挟まない。

誰だってひどい目に会いたくはないから。


「あれ? ジグじゃないか?」

そんなやり取りを傍目に、強面に囲まれながらも一歩も怯んでいない赤茶けた髪の青年に目を留める。

冒険者ギルドマルシェーヌ支部の職員だ。

リュウセイとは同い年で仲がいい。


「あ! リュウセイ! こんなところにいやがった!」

強面を押しのけて、ジグが叫ぶ。

「なんだ? 俺に用か?」


「そうだよ! お前呼んで来いってディケンズさんに言われたんだよ」

「支部長が?」

リュウセイには呼び出される理由が思いつかない。

別に悪いことはしていない。


隣町ではちょっとしたボヤがあった気もするが、それだけだ。


「おい!てめえ、何シカトこいてんだ!?」

強面がジグの肩を掴む。

「うるせえよ!こっちはこいつに用があんだよ!」

ジグも怒鳴り返す。


「……お前、飲んでんのか?」

怒鳴っているからだけではなく、顔が赤い。


「少しだけだよ!」

「少しじゃないだろ」

『コマネズミのジグ』という本人的には不名誉な二つ名を戴くこの青年は、人はいいが気が弱い。

素面の時は。


「どんだけ飲んだんだよ?」

飲めば飲むほど気が大きくなり、絡み方がうざくなる。

ついでに、すぐ酔うクセになかなか潰れない。

そして、その間のことはほとんど覚えていない。


ダメな酒飲みである。


「てめえ、オリザさんに相手させて、昼間っから店開けさせて、あんだけ飲んで、金がねえが通用するわけがねえだろうが!!」

強面衆が怒鳴る。

「うるせえよ!!」

今にも殴り合いに発展しそうである。


この場合、先に手を出した方が負けになる。そういう慣習がある。

だから、余計と煽り合いになるのだが。


「リュウセイ、その子が悪いわ、今回は」

龍虎会談を終えたスカーレットが首を竦める。

「誘ったのはオリザだけど。誘うなよとも思うけど。やったのは事実。酔って話にならないみたいだし」

「……」

チューチュー吠えながら腕まくりまで始めたジグに深いため息。


――シュッ――

手にした槍を翻すと石突きでジグの膝裏を小突く。

かくんと崩れるジグ。

――スコン――

引き寄せると首筋に槍の柄を落とす。


傍目には、突然ジグが気を失ったようにしか見えない。

「よっと」

倒れるジグを支えると、そのまま道に転がす。


「連れじゃないが、俺に用があったみたいだ」

そのままオリザの方へ進む。

その迫力にたじろぐオリザ。


「だ、だったらなんなのさ」

しかし、ここで退いているようでは、夜の街は歩けない。

「迷惑かけたが、今、手持ちがないんだ」

そう言うと、リュウセイがオリザの白い手を取る。

「し、知ったことかい」


「これでここはいったん納めてくれないか?」

そう言ったリュウセイが懐から青く丸い塊を出すと、その手の上にそっと置いた。


「ふぇ?」

荒々しくも繊細な手の感触と、手のひらに置かれた青い石。

親指の先ほどの大きさで、つるりとした表面で光を弾く青い石は、見たことがないほどに透き通っており、息を忘れるほどに美しい。


サラエアス深山で、やたらめったら素早い鳥を倒した時に拾ったものだった。

速すぎて姿もよく見えなかったが、マイルズの怒涛の広範囲魔法連発で仕留めた。

今頃はまた深い森に戻っているはずである。


今頃になって昼酒が回りだしたオリザにその石を握らせると、ジグを担ぎ直す。


『受け取ったなら手打ち』。

これもルールである。


「騒がせたな」

野次馬に宣言する。

それを受けて野次馬が三々五々に散っていく。


「ったく、コイツは」

地面に転がしたジグを担ぎ直して、『忘恋忘』に戻るリュウセイ。


「行かなくていいの?」

そのリュウセイに後ろから声を掛けるのはスカーレット。

「ディグ坊に呼ばれてるんじゃないの?」


「いや、行くぞ。ただ厨房の片付けが先だ」

3年前から交わしている約束である。


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