七章

第72話 「じゃあ、いいじゃないか!」

その店の名は『ランジェロス』。

安酒で賑わい、紫煙に盛り上がる、薄暗い酒場。

その喧騒に満ちた店内の一番奥。

カウンターの端っこ。


久しぶりに訪れたなじみの店の指定席。

名物料理「プルブルのローストビーフ」を肴に、透明な安い蒸留酒の入ったコップを持つのはリュウセイだ。


その隣には、これまたそこが指定席と言わんばかりにリンダが座っている。

リンダの前には塩炒りのナッツが置いてある。

こちらが飲むのは、シュガールビーという名の柑橘の甘みと酸味が効いたカクテルだ。


カラリと氷が澄んだ音を立てて回る。

カウンターの奥では、マスターが咥え煙草で酒を用意している。

今日は景気のいい客が多く、普段あまり出ない、いい値のする酒がよく出る。


「……いいじゃないか」

リュウセイが苛立たし気に吐き捨てる。

「そう言われても……」

対するリンダはいつもより大人しい。


「せっかくゆっくり会えたんだから、もうちょっとこういう時間を楽しんでもいいと思うって言うか……」

指をもじもじするリンダの仕草に『はぁ』とため息を吐くリュウセイ。

「そういうまどろこしいのはいいんだよ!」

ゴンとカウンターを叩く。


ビクッとリンダの肩が震える。

「そんな勿体ぶらなくてもいいだろ?減るもんじゃないんだからよ?」

「へ、ってそんな言い方することないでしょ! ……しなくていいじゃない」

叫び返すがすぐに萎れる。

後ろの方では、商人のキャラバンと思しき連中が、大騒ぎしながら、高い酒を注文した。


「そ、そりゃあ、私だって…その…」

「じゃあ、いいじゃないか!」

しなやかに引き締まった腕がリンダの肩を掴む。


「でも、ほら、出来ることと出来ないことはあるって言うか…」

掴まれた肩に伝わる熱さと、力強さに頬が赤くなる。

「そんな無茶は言ってねえだろ?」

ふう、と酒に手を伸ばすリュウセイ。


「で、でも急に言われても困るじゃない?」

不機嫌なリュウセイを上目遣いで覗き込むリンダ。

「はあ……当てが外れたな」

乱暴に酒を煽る。


「だって、アップルゼブラの赤いスカーフなんて聞いたことないんだもん……」

知らぬ間に消えて、気が付いたら帰ってきていて、日が落ちる頃にいきなり呼び出されたかと思ったら、よく分からないものを探してると言われたのだ。


知らないから知らないと答えたのに、隠さなくてもいいとか言われてしまったのだ。

知ってるものなら教えてると、ブーブーとほっぺたを膨らませている。


「あ、じゃあさ! 明日一緒に探そうよ!暇でしょ?」

そうだそうだ、と胸の前でパンと手を合わせるリンダ。

「ダメだ」

にべもない。

「明日はソーセージを作る」

膠もない。

「は?ソーセージ?」

思ったより低い声が出た。


「ああ。コロポンがずっと言っててな。明日はソーセージを仕込むから無理だ」

「コロポンてあの黒い犬?」

「ああ。今は足が白いぞ」

嬉し気に言われても嬉しくない。


「……その赤いスカーフってのは何なのよ?」

表情を見るに、コロポンの優先順位の方が高そうだと察したリンダはその話題に触れるのを止める。

危機管理能力の高さは冒険者には――特にパーティーを預かるリーダーには――必須だ。


「分からん。マイルズが突然言い出した」

「マイルズ? マイルズってあの白猫よね?」

街の外れで少し見ただけだが、名前までばっちり憶えている。

キーとなりそうな情報は見逃さないというのも冒険者には欠かせない能力だ。


「ああ」

言いながらリュウセイが首を捻る。

「よく分からんのだ」

酒を煽る。

「『サラエアス深山』に行ったんだが……」

「は?」

「いや『サラエアス深山』に行ったんだが」

言い直すリュウセイ。

「さ……」

改めて聞いたリンダが固まる。


背後では相変わらず『盗賊団消滅記念かんぱーい!』と盛り上がっている。


「中にある神殿には辿り着いたんだが、その辺りの記憶があやふやでな?」

何かとんでもないことが起こったような気がするのだが、気のせいにしか思えない。

「マイルズとの契約が切れてたりとか、なんで解除したのか分からないんだが……」

明らかに不自然なようでいて、その不自然さについて考えようとすると、するりと思考がすり抜ける。


「分からん?」

そもそも何故、あんなところに行くことになったのか?

腕を組むリュウセイ。

バルディエとも二人で話し合ったのだが、皆目見当もつかない。

バルディエが何か言った気がして、バルディエも自分が何か言った気がするとは言っているのだが。


「『サラエアス深山』ってリュウ…」

「ああ。すごかったぞ。旨い肉がぼろぼろ落ちてな」

途中がよく分からないのだが、旨い肉がたくさん手に入ったからまあいいかと言う感じである。

考えても分からないし。


「あ、そうだ。肉いるだろ? 肉。よく食うし。 熊、牛、猪、ガチョウ、ウサギ、雉、鹿、カエルと選り取り見取りだぞ?」

そうだそうだと荷物から、お土産用に分けておいた肉の包みを取り出す。

包みというがかなり大きい。


「……」

リンダは顎が外れそうなほどにぽかんとしている。


そんな二人に影が差す。

「俺の奢りだが、いるか?」


いつの間にやらマスターがリュウセイの前に立っていて、琥珀色に熟成された高い酒を注いだ自慢のグラスをすっと差し出す。

タバコの匂いに負けない品のある香りが鼻をくすぐる。


「……」

突然のことにマスターを見返す。

大きな包みを顎でしゃくってぱちりとウインク。


こんなにキラキラした目のマスターを初めて見た。


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