第41話 「気のせいなわけあるか!」
『街へ戻ればいいんですよ』と当然のように言い放ったバルディエは、また嘴で鶴瓶の括られた紐を引っ張り、くみ上げた水を桶に移す。
桶の中に布を浸すと、嘴でそれを摘まみ上げて、お腹を拭く。
「ちょうどいいと思いますよ?」
そこで一言。
また桶の中に布を浸して摘まみ上げ、お腹を拭く。
「……いや、でも、そんな……」
全く予想外の意見に頭が上手く回らない。
「リュウセイさんの槍も損耗が多くなってるようですし。一度街に戻れば?」
「……」
今度は右の翼を拭く。
「別にここに留まる理由もないんでしょう?」
「……いや、なくもないが……」
――ばしゃっ――
桶の端っこを太い嘴で持ち上げると、残り少なくなった水を身体にかける。
「そうなんですか? 私にはあるように見えませんが?」
また鶴瓶を引き上げ、桶に水を満たす。
「しかし、今戻っても……」
歯切れが悪いリュウセイ。
「使役獣も手に入れたわけで、引け目を感じる理由もなくなったんじゃないですか?」
左の翼を拭き終えたバルディエは、首をグリンと180度後ろに回して、器用に背中を拭き始める。
「今の俺ではまだ『アルディフォン』で戦うには実力不足で……」
リュウセイの記憶には鮮明に残っている。
自分では何をすればいいのかすら分からず、恐怖で足を竦ませることしか出来なかったマンティゴスチンを鮮やかに屠ったレイチェル達の勇姿は今なお、リュウセイの憧れである。
レイチェルが流麗な剣捌きで巨大カマキリの鎌を弾き、シャインの勇猛果敢に巨大カマキリの羽を切り裂く。ルーニーの豪壮な魔法がカマキリの足を吹き飛ばし、ジェラルドの緻密な戦術により、接近してくる巨大カマキリにヒットアンドアウェイを繰り返し無傷で倒してのけたのだ。
首がグリンとまた前を向く。
「気の所為じゃないんですか?」
訝しげだ。
「気のせいなわけあるか!」
「だってマンティゴスチンでしょ? 大きいだけのカマキリじゃないですか?」
またグリンと後ろを向いて背中を拭く。
匂いが取れないらしく、何度も首を捻っている。
「あそこにもいたでしょ、カマキリ?」
「あそこ?」
「私のいたダンジョンですよ」
「いたか?」
「カマキリとはどんなのだ?」
美味しくないものには興味がないタイプだ。
「手が鎌みたいになった虫だ」
「ふむ?」
「いたでしょう? マイルズさん二匹分ぐらいの大きさで、透明になってウインドソウとロックダガーを乱射して来たでしょう?」
ウインドソウは風の刃を飛ばす中級魔法で、初級であるウインドカッターがスパッと切るなら、ウインドソウはガシガシと切って来る。
ロックダガーは足元から『ニョキっ!ズパーン!!』と岩の刃が生えて襲ってくる上級土魔法だ。
どちらも殺意だけでなく、敵意の高い魔法である。
「ふむ?」
「いたか?」
「いや、我の記憶にない」
「あのダンジョンのモンスターはほとんど覚えてないな。ハチノコぐらいだ」
食えたからだ。
「……そうですか」
ダンジョン中に響いていた轟音を思い出し、力が抜けたバルディエだった。
「それはともかくとしても、Eランクのカマキリなんて今じゃ怖くないでしょ?」
「……それはそうだが……いやしかし、だ!」
リュウセイが力強く拳を握る。
「俺が強くなった以上にレイチェルさん達は強くなっているに違いない! 俺が追い付くにはまだまだ足りないはずだ!!」
「それはないですよ」
断言した。
「お前に何が分かる!?」
「コロポンさんだって、思ってるでしょう?」
「ぬ?何がだ?」
いきなり振られて慌てるコロポン。
「いや、リュウセイさんより強い人がワラワラいるなんて、ちょっと考え辛いな、って」
「む。いや、我は別に……」
もごもごするコロポン。
「別に?」
「ふ、ふむ。我はここらしか知らぬから、知ったかぶりは出来んが、まあ、その、外の世界というのは広いのだな、とは、少し」
『ほらね』とばかりに、羽を広げるバルディエ。
「……」
口がもごもごと動いているが言葉は出てこない。
「まあ、いいんですけど。『アルディフォン』さんに会うのが嫌なら、別の街でもいいじゃないですか? 塩や槍ならどこでもあるでしょうし」
「あ、お、そうか?」
「ええ」
バルディエは頷く。
「そうか。確かにそうか……」
そして、桶の水を背中へ掛けた。
「ヘルセーであるなら、フロランシエなどでもいいのではないですか?」
再び鶴瓶を引き上げる。
「へるせー?ふろらんしぇ?」
「ん? ヘルセーですよ。マリシエヌの隣の知識の都フロランシエです」
鶴瓶を引き上げ、桶に移す。
「ん?」
「ん?」
そこで、止まる。
リュウセイとバルディエの目が合う。
「へるせーってのはどこだ?地方か?」
「地方? ヘルセー王国ですよ? リュウセイさんのいたマリシエヌのある」
「王国?マリシエヌ? マルシェーヌではないのか?」
「マルシェーヌ? 交易の都マリシエヌですよね?」
桶に布を浸す――
――が、桶の縁から布がはみ出ている。
「ほら、その隣にあるフロランシエがいいと思いますよ」
布を嘴で摘まもうとするが、上手く挟めず、落とす。
「あそこはいい所ですよ~」
もう一度落とす。
「……」
「……」
「……」
妙な静寂。屋根の上から『にゃごっ』と鼾が聞こえた。
「……バルディエ、貴様、我らを何か唆そうとしておらんか?」
コロポンの低い声が響く。
「えェッ!? そンなこと、なイですよ!?ははは。あルわけないじゃないですかぁ?」
「……」
「……」
屋根の上から『ふにゃっ』と鼾が聞こえた。
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