第36話 グリジニーヌへようこそ
その日の昼下がり。
初め、ミネルバ婦人は自分の目を疑った。
自慢のガラス製の窓――ミネルバ婦人が住む、一階のこの部屋だけに付いている透明度の高いガラスだ――から外を見た時だった。
グリジニーヌの入口にとんでもない美人が立っていたからだ。
年の頃は20歳になるかならないか。
服装はこの辺りでは普通の長めのゆったりしたシャツと膝下までのやはりゆったりしたズボン。
生地も普通。デザインも普通。従って価格も普通。
ただ着ている人が場違いなまでに美人なのだ。普通の格好をしているのに目立つほどの美人。むしろ普通の格好をしているから目立つ美人。
始めは通りすがりの人だと思った。
『私も若いころはねえ。なかなかのもんだったのよ』なんて周りに人がいたら反応に困ることを呟いただけだったが、その数分後にまだいたのだ。
『まさかウチに用があるのか?』と思ったが、こんなありきたりなアパルトメントに用があるような美人ではない。身形が普通なので、用があっても不思議ではないのだが、しかしそれでも美人過ぎた。
結果、『いやでも……』と窓からちらちらと見ていたのだが、それから2分経っても、2分30秒経っても、2分50秒経っても、3分経っても、かの麗人は入口の前に立っている。
『これはもうここに用があるとしか思えない』
ミネルバ婦人は大家の責任として、この異常事態に立ち向かうことにした。
櫛を手に取り、パイナップルのヘタみたいな髪を整え、いつもより赤い口紅を引き、とっておきの香水を振りかけて、部屋の外へ出た。
「アンタ、何の用だい?」
遠くからみても美人だったが、近くから見ても美人だった。
『頬紅も差しときゃ良かった』
☆☆☆
「あのバカどもの仲間になったぁ!?」
ミネルバ婦人の部屋に素っ頓狂な声が響く。
小さな花弁の青い花が可憐に飾られたテーブルの上には、薄いピンクの小花柄のティーカップが2脚。
掌ほどの大きさの雑穀とドライフルーツのクッキーがウサギ柄のお皿に山盛り。
「縁があってね」
クッキーをさくさく齧りながら、絶世の美女……シフォンは笑った。
「考え直した方がいいんじゃないかい?」
親心が鎌首をもたげる。
「でも、腕はそこそこあるみたいよ?」
カップを持つ仕草も、やたらと品がある。
「冒険者としての実力のことは分からんけどね、アタシャ。まあ、そこそこやるんだろうよ」
グリジニーヌを建ててから15年。
色んな人に部屋を貸してきた。立地のせいなのかパーティールームとして借りる冒険者は多かった。
中には家賃が払えなかった冒険者も多くいた。
そもそも払うつもりがないとんでもないヤツもいた。
アルディフォンに貸してから、2年。家賃を滞納したことはない。
そういう意味では、実力があるのだろう。
ただし。
「なんたって汚いんだよ、アイツらは」
身だしなみも、容姿も。
「清潔感はないわね」
ばっさり。
「前はね、一人いたんだ。アンタでもつり合いがとれそうなのが」
「そうなの?」
「ああ。急にいなくなったけどね」
「へえ、それは残念」
「しっかし何やってんだろうね、あのバカどもは? アンタみたいな美人呼び出しといて、待たせるなんざ、どういうつもりなんだか? ホントにいいのかい? だらしないんだよ?」
約束の時間は15時。
今は15時20分。
「見たまんまね」
ばっさり。
「でも、待たされることってなかったから、いい経験だわ」
そう言ってころころと笑う。
「なんだい? まさかあの中に好い人がいるってことじゃないだろうね?」
「やめてよ」
笑い声は引っ込み、突然、紅茶が
「ったく、物好きだね。まあ、そんな見た目で冒険者なんてやろうってんだから、変わり者にゃ違いないんだろうけど……なんて言ったかね? なんか女の子だけのパーティーもあるらしいじゃないか? そっちの方がいいんじゃないかね?」
「へえ?」
「ファントムだか、フォンダンだか、何かそんな名前さ。ったく、自分は大切にするんだよ? せっかく、若くて綺麗なんだから……って、あ、来たね」
窓から見える道をだらだらと歩いてくるのはシャインだった。
ゆったりした風のシャツを着ているが、これは伸びてダルダルになっているだけだ。
「あのバカ! もっとマシな格好してくりゃいいのに。ったく。来な。アタシからも言ってやるから」
「ありがとう。それにごちそうさま。美味しいクッキーだったわ」
「ああ、いいよ。いつでも遊びに来な。あのバカどもと一緒じゃないなら歓迎さ」
「ホント?」
「ああ。って、ああそうだ。覚悟しなよ。アイツらの部屋は汚いからね。こないだも悪臭騒ぎがあったのさ。ったく。って、あ。しかめっ面のチビも来たわね。寝ぐせぐらい直してこいってんだよ、全く」
「……悪臭?」
シフォンの顔が引き攣る。
「ん?ああ。こないだね。掃除屋頼んで綺麗にしてもらってたけど、またどうせ汚れてるだろうよ。そうだね、それももう一回言ってやらなきゃ。……って何だいあの格好は……?」
ミネルバ婦人を愕然とさせながら歩いて来るのはレイチェル。
シフォンも唖然としてる。
光沢のある紫色のマントを羽織り、真っ赤な飾り羽が付いた黒い大きな唾が付いた帽子をかぶっている。下には白いシャツを着ているが、フリルがたくさんついたその襟は大きく開いており、胸毛がもじゃもじゃと覗いている。短い手足で気取って歩いている。
「……なあ、アンタ、ホントにいいのかい?」
「……いやあ……間違えたかもね」
快晴のグリジニーヌに激烈な雷が落ち、とりあえず、掃除当番が決められた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます