第9話 「いいじゃねえか」

コロシアムを抜けると、次は道が狭くなった。

ひっきりなしに襲って来ていたモンスターも影を潜めた。


不思議な感覚。

「……空気が重い?」


粘り着くような、息苦しいような。

気配というほどはっきりしない。

ただ、あるべきものがぽっかりと大きく抜け落ちてるような。


「何がいるんだ?」

リュウセイがそれを『いる』と見たのは勘だった。

何もなさそうという不自然。


この魔境で何も無いなどということは有り得ない。

そう思うと顔が笑うのを止められなかった。


強敵との連戦により、自分がかつてないほど高まっているのが分かる。

不安だった魔力も問題ない。


この洞窟に入ってから、なんだか強くなった気がする。

使いにくいと思っていたスキルも、ソロだと案外使い道がある。


何が来ても怖くない。

なんだって出来る。

「いいじゃねえか」

ニヤリと笑うと、ガリッと核をかじる。


洞窟に入る時とはまた違う凶相を浮かべて、奥へと歩を進めた。



☆☆☆



始まりはただの闇だった。

足元がぼんやりと光る洞窟の、岩陰に出来た闇。


そこにふわりと何かが落ちた。

落ちたそれは、くるりと闇にくるまった。


そして少しずつ。

本当に少しずつ。

辺りの闇を手繰り寄せ、1枚、また1枚と纏う。


十重も二十重も過ぎ、身に纏う闇がほんの小さな塊になった時、闇に自我が宿った。


小さな闇の塊――人の世で言う『小精しょうじょう』と呼ばれる――が初めに得た感情は恐怖だった。


洞窟を闊歩するモンスターは、闇の小精にとってはどれも強大で、彼らが気まぐれで、いや、無意識であっても、その前脚で踏みつければなす術なく消える。


影に隠れ、小さく震えながら、僅かな闇を少しずつ集める。


恐怖に震えながら過ごす。

その過程で闇の小精は、洞窟にたまに落ちている歪な力の塊を食むことを覚えた。


歪な力の塊、それは仲間割れ、縄張り争い、雌の取り合い、あるいは自分の格を上げるための争いなど、モンスター同士が争った後、コロリと残るモンスターの核だった。


モンスターの核は、すなわち、モンスターの強さ。

核を食べることで、死したモンスターを血肉に変え、強くなる。


そのため、ほとんどの核は、争いの戦利品として勝者に取り込まれる。


しかし、稀に取りこぼされた核が残ることがあった。


何よりも臆病で、洞窟中で最弱だった闇の小精は、たった一つ、最も冷静だった。

闇から闇へとコソコソと身を隠し、小さな欠片を探した。


どの場面で核が残りやすいのかを慎重に慎重に調べる闇の小精は、取りこぼされた核を確実に見つける術を得た。


そして、闇の小精にとって幸いだったのは、この洞窟に棲むモンスターが、外界と一線を画する強さを持っていた。


例えば、この洞窟では一番格が低く、数を恃みに入口近くに巣食うコウモリ。


人の決定するダンジョンランクで言えば、Aランクダンジョンの奥地に出現する難敵である。


強者の核は、それだけ早く成長を進める。

闇の小精は、極めて地道に、そして勤勉に少しずつ闇をまといつつ、こぼれた核を食むことで、本来の数百倍を超える早さで、成長した。



それに思い至ったのはなぜだったのか。

自分でも覚えていない。

それは、臆病者がいままで積み上げてきた劣等感だったのかもしれない。

鬱積したそれが引き起こした蛮勇。


目の前にいたのは巨大なコウモリ。

これまで、身を隠し、逃げ惑い、恐れていた怪物。

その怪物は、仲間内の争いに敗れ、翼を損傷し、たった一匹、岩陰で身体を休めていた。


いつもであれば近づかないそれに、闇の精霊――その頃には精霊へと成長していた――はそろりそろりと近づいた。

恐怖を飲み込み、陰にあっても一際濃い闇で出来た身体の一部を顎に変えた。


そして、コウモリの背後から音もなく食らいついた。


そして、闇の精霊は知った。

自分の力を。

音も、気配の一切を飲み込む自分の身体の特性を。


――この時から、闇の精霊は強者となった。



☆☆☆



ダンジョンの最奥で、その黒い塊は考えた。

『いつぶりのことか?』

自分の下へ向かう足音を聞いたことをだ。


ずいぶんと昔、洞窟の最奥にいた、当時の主を飲み込んだ。

洞窟のヒエラルキーの頂点、絶対強者として君臨していた、金色の大猿はなす術なく飲み込まれた。


金色の大猿に変わり自分が洞窟の主となった。

それからどれだけの時が経ったか?


二度か三度か、ここまで来るモノがあった。

『あれ以来か』


ギラギラと輝く出で立ちをした、10人ほどの猿もどきが来たことがあった。

猿もどきは猿と違って濁りが少なく旨かったのを覚えている。


『ふむ』

黒い塊は一つ頷いた。

足音は一つ。


猿もどきは猿より賢しかった。

苦労はしなかったが、驚かされることはあった。


また久しぶりにあの味を楽しめる、そう思う反面、何やら不安がよぎった。


何もできなかった小精の頃から、精霊の殻を脱ぎ捨て、黒い塊となった今でも、変わらないものがある。


それが『臆病さ』だった。

臆病であるが故に、この最奥の主となってからも、常に闇を集めまとい続けている。


身体の大きさが変わらなくなっても、食らうに足るモンスターがいなくなっても、ただひたすら地道に、闇を集め、まとい続けることはやめなかった。


そして、それが臆病さに由来することを誰よりも良く知っており、この臆病さがあったからこそ、ここまで至ったことも誰よりもよく知っている。


『さて、どうしたものか?』

最も自分が信頼する臆病さに触れるこの足音。

黒い塊はその足音に備えた。




そして、洞窟の最奥に、人影が覗いた。


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