三十九回転目 運任せの試練
魔女タナトリシアはゆっくりとした歩みで俺に近付くと、俺の頬に手を当て、以前マナトリアがしたように俺の瞳を覗き込む。
「なるほど、マモルとよく似ていますが、違いますね。」
彼女は胸を撫で下ろすように息を吐くと、一歩下がった。
「俺はトウヤ。今見たと思うが異世界から来た。」
それ以上の説明は不要だろう。魔女は相手の瞳を覗き込むことでその人間の過去を見ることが出来る。
「ようこそ、トウヤ。そして、マナトリア。」
タナトリシアの言葉に俺の懐から夢魔の燕が飛び立ち、マナトリアに姿を変える。
「なんじゃ、驚かんのか。つまらんのう。」
マナトリアはがっかりしたようだが、俺は実際のところ彼女が付いてきていたことは知っていた。彼女が退屈な査察の為に町に残るなんて考えられなかったからだ。
「お久しぶりです。マナトリア。」
タナトリシアは優雅に頭を下げる。
「久しいなタナトリシア。五百年ぶりかの。」
マナトリアは彼女と古い知り合いのようだった。タナトリシアは遠い目でマナトリアを見つめ、そして俺に向き直る。
「トウヤ、私の使い魔がご迷惑をおかけしたこと、申し訳ございません。私の使い魔は本来魔獣ゆえ、制御が離れてしまうと魔獣の本能が剝き出しになってしまうのです。」
そう言って彼女は深々と頭を下げた。礼儀正しいその所作はとても人々から恐れられている魔女のイメージとはかけ離れていた。
「タナトリシアよ、ここの魔気は魔障の洞窟と似た気配を感じるが、ここも亜人の隠れ家なのか?」
「ええ。その通りです。ここもつい二百年ほど前まで亜人が暮らしておりました。彼らはフィッシュテイルと呼ばれる、古くから海に生きてきた者たちでした。」
亜人、とてもファンタジーな言葉だ。たしか、魔障の洞窟を作ったのも亜人たちだった。
「彼らはどうしたんだ。」
「みな、死にました。」
タナトリシアは遠い目で宙を見つめる。
「フィッシュテイルは女人の一族、男児の出生率は限りなく低い。ここに隠れ住んだ彼らの中に男性は居ませんでした。世代を紡ぐことの出来ぬ彼らは一人、また一人と数を減らし、そして二百年ほど前、最後の一人も死にました。」
彼女の声からは悲しみ、慈しみ、憐み、いろんなものを読み解くことが出来た。それは言葉を挟むことすら躊躇われるほどの深い絶望だったのだろう。
「私は彼らが絶えてからもこの場所を守り続けました。彼らの残した最後の言葉を、トウヤ……受け取って頂けますか?」
俺は無言で頷いた。
「マナトリア、あなたの旅路の終わりは見えそうですか?」
不意に彼女はマナトリアに問いかける。
「愚問じゃな。わしとお前がこうして再び相まみえたことが何よりの答えじゃ。」
タナトリシアの問いかけも、マナトリアの答えもこの時の俺には理解の及ばないものだった。きっと二人は俺の知らない部分で繋がっている。そう思った。
「二人とも、ついてきてください。」
洞窟を彼女はゆっくりと歩いていく。やがて大きな広間に出るとさらにその奥。小さな台座の上に一冊の本が置かれていた。この本の雰囲気には覚えがある。魔障の洞窟を浄化した時に竜に化けた本だ。
「この本も竜に化けるのか?」
俺の問いかけにタナトリシアは首を振る。
「わかりません。この二百年私は本に触れてはいません。彼らの言葉を受け取る者、あなたを待っておりましたから。」
つまり、何が起こるかわからないってことだな。腰に剣、ある。メダル袋、持ってる。よし。
俺は本を持ち上げる。洞窟を浄化した時と同じように風が巻き起こる。
「魔気が集まっているのか?」
「うむ。その本がここの魔気を吸い上げておる。」
本が宙に浮き、淡い光を放っていく。
「よいかの?」
「ああ。」
「タナトリシアよ、お前も来るのじゃ。」
「はい。」
今度は三人で手を伸ばす。本が放つ光は俺たちを優しく覆っていった。
「運命に導かれし者よ、あなたが悪しき心を持たないことを切に願います。」
透き通るような優しい声だった。
「私たちは古き民。亜人の民。古き時代、住処を追われここにたどり着きました。この入り江の静かな場所に隠れ住みましたが、私たちはもう長くはありません。タナトリシア、そこに居ますか?かつて入江で倒れていたあなたをこの洞窟へといざなってから、あなたは十分に私たちに尽くしてくれました。ありがとう。私たちの故郷を焼いたあなたの姉、マナトリアに対する恨みはもう私たちにはありません。ここを守り、ここにどなたかを導いてくれたこと、それがあなたが果たしてくれたこと、あなたの限りない愛情を私たちは一身に受けることが出来ました。あなたが望むのであれば新たな道を歩むことを私たちは嬉しく思います。では導かれし者よ、あなたに試練を与えます。打ち勝ってください。そして私たちは主神セレーネの袂へと導かれることでしょう。」
そう締めると本は炎を纏って燃え落ちた。
「やっぱりこのパターンなのか?」
「仕方あるまい、ほれ、来るぞ!」
俺たちは反射的に本があった位置から距離を置く。
現れたのは少女の亡霊だった。
「これは、マナトリア?」
その少女の亡霊は薄暗く、雰囲気こそ違えど、その風貌はマナトリアそっくりだった。
「イメージじゃ。わしとは関係ない。」
「きっと彼らの畏怖の対象がマナトリアだったからです。」
仲間と同じ顔のモンスターを相手にすることに多少の戸惑いはあるものの、彼らは言っていた。これは試練だと。気持ちを切り替える。
「二人は手を出すな!気持ちには気持ちで応える。日本人の心意気を見せてやるぜ!」
これは俺が突破することに意味がある。
「気を付けてください。彼らのイメージ通りなら、そのマナトリアは五百年前のマナトリアです!」
亡霊の周りに炎が揺らめきだす。その炎は生き物のようにうねりをあげて俺に向かってくる。
「速い!」
それを辛うじて躱すと、今度は間髪入れずに氷の刃が回転しながら襲い掛かってくる。
「クソ!」
氷の刃を剣で捌くが直線と回転の混ざり合った動きに俺は翻弄される。
「距離を開けると一方的に攻撃される。なら攻めるだけだ!」
俺は氷の刃を弾きながら亡霊に向かって走り出す。
もう少しで間合いというところまで来た時、亡霊の周りに風が巻き起こる。
「こいつは、マズい!」
上体を逸らし、無理矢理軌道を亡霊から逸らして再び距離を開ける。
「もう一歩遅かったら八つ裂きだった。」
かまいたちの攻撃に俺の太ももがパックリ切れて血が噴き出す。すかさずエリクシールを飲み、次の攻撃に備える。
「クソ、ノーモーションで次々に攻撃が飛んでくる。お前、改めてチートだな!」
「わしが本気ならこの部屋丸ごと消滅させておるわ!」
マナトリア本人に苦情を入れる。しかし、本人からはさらに恐ろしい返答が返ってくる。しかもその隙だけで俺の左右の地面が盛り上がり、俺を左右から押し潰してくる。
「リール!」
咄嗟に羽のメダルを投げる。777をわざと外しリールを逆回転させ時間の進みを遅くし、岩の壁から逃げ出す。
「リール!」
今度は手のメダルを投げ透明の手を召喚する。
「これならどうだ!」
亡霊に向かって透明な手を伸ばす。しかしあと少しというところで亡霊は炎に包まれ蜃気楼のように姿を消すと、俺の出した透明の手は氷の中に閉じ込められてしまった。
「お前、こんなことも出来るのか?それともこいつが亡霊だからか?」
「ワシも出来る芸当じゃ。そやつが亡霊だから消えたわけではない。」
マナトリアの言葉通り、消えた亡霊はすぐ傍に姿を見せる。
「なら、これならどうだ!」
今度は俺の透明な手を閉じ込めた氷柱の根元を剣で切る。
「ぶっ飛べ―!」
氷柱ごと亡霊に手をぶつける。氷柱の体積になぎ倒されるように亡霊が吹っ飛ぶが、もちろん致命傷を得ることは出来ない。意表を突かれたことに腹を立てたのか、亡霊は氷柱を八つ裂きにする。おかげで透明な手は解放された。
「物理攻撃は有効って訳だ。ありがたいね。」
しかし、亡霊は俺の透明な手を完全に視界に捉えている。不意打ちは難しいだろう。
亡霊は自身の周りに氷柱を張り巡らせ結界を張り巡らせていく。
「隠れるつもりか!そうはさせるか!」
グッと踏み込んで思いとどまる。まて、氷柱を出した今、コイツはこちらに対する視界を奪われている。それに結界がある以上、自分を取り囲むような攻撃は控えたいはずだ。
「トウヤ、逃げろ!」
マナトリアの声に咄嗟に地面を蹴る。氷柱の中から雷が俺の居た位置を正確に穿ち穴を空ける。
「とことん無茶苦茶な奴だな!うぉおおお!」
連続した雷が襲ってくる。少しでも動きを止めると一瞬で黒焦げにされてしまうだろう。
「リール!」
羽のメダルで時間の動きを遅くする。もう一気に勝負をつけるしかない。
氷柱に向けて剣を投げる。それを透明の手でキャッチすると、氷柱を切り刻んでいく。
「リール!」
鬼のメダルで力にバフを掛け、邪魔になる氷柱を力ずくでなぎ倒す。見えた!
結界の真ん中にようやく亡霊の姿を捉えることが出来た。
「もっかい!リール!」
もう一度羽のメダルを投げてさらに時の動きを遅くする。スローモーションで襲い来る雷をかいくぐり亡霊の目の前にくると、透明な手を手繰り寄せ剣を受け取る。
「うおぉぉぉぉ!」
亡霊の首目がけ、剣を振るう。亡霊の首筋に白銀の刃が触れる。
「な、なんだ!?」
あとはこのまま振り抜くだけ。そんな時、亡霊のマナトリアが涙を流していた。ダメだ。ダメだ。躊躇うな。振り抜け。振り抜け。振り抜け!
俺はどうしても剣を振り抜くことが出来ず、剣を離してしまう。ダメだ。次の攻撃が来る。もうヴィジョンを揃える時間もない。羽のメダルの効果ももう切れるだろう。
後になって考えても、どうしてそんなことをしたのかわからない。助かりたい一心だったのかもしれない。目の前の亡霊に憐れみを抱いたからかもしれない。その涙の奥にある悲しみを拭いたかったのかもしれない。
俺は亡霊の少女を強く抱きしめた。
「バカ者!何をしておる!?死ぬぞ!」
「いえ、マナトリア。あれは……!?」
この時なぜこうなったのか。何が起きたのか。誰にも正確な説明など出来ないだろう。ただ、俺たちは言葉を失った。
亡霊の少女は大粒の涙を流しながら、俺を抱き返してきた。胸に顔をうずめ、冷たい身体とは対照的な熱のある涙を流していた。
ひとしきり俺の胸で涙を流した後、亡霊の少女は淡い光を放って消えた。少女が消えた後には杖のメダルが三枚残されていた。
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