二十八回転目 運任せの謎の魔物

 ちょうど日が沈みかけた頃、ようやく湖畔に着いた。


「この辺り少し魔気があるの。」


 そう言ってマナトリアはみんなに呪文を掛けていた。


湖は大きいものの濁りきっていて底も見えない。


「ちょっと、トラゴロー、どうしたのよ?」


 トラゴローは嫌がって湖に近寄ろうともしない。


 気配を探知してみると、少し離れた林の中に数匹、あと湖の中にも何か気配があるが、濁った水の中の気配はよく見えない。


「モンスターの気配があるな。これから夜になれば活発になるだろうし、ちょっと行ってくる。」


 そう言って昼間と同じように駆け出す。


 反応のあった場所に居たのは、これまで見たことのないモンスターだった。


「全身に目のある……ウルフか?気持ち悪い。」


 そこに居たのは体中から目を生やしたウルフ型のモンスターだった。大まかな形はよく見るウルフなのだが、その姿は同じ種類にしてはあまりにもおぞましい。


 とはいえ、ウルフ型の魔物ならば対応は簡単だ。俺は剣を抜いて、魔物たちの前に飛び出る。


「ぬお、速い!」


 今まで出会ったどのモンスターよりも素早く、俺の振り下ろした剣を躱して飛び掛かってくる。


「けど、甘い!」


 ウルフが素早い種類のモンスターなんてことは重々承知だ。ここは初心に戻るのみ。


グァオォォォ


 剣を突きの型で飛び掛かる軌道を予想して置いておく。するとウルフは自ら剣先に飛び掛かり、絶命した。


 そして後ろから飛び掛かってくるもう一匹に向け、素早く剣を振る。しかし、その剣先はウルフの大量にある目のいくつかを引き裂いたが、絶命には至らない。


「うげ、きもちわりい。」


 そのウルフは斬られた目をだらりと垂れつつも、そんなことは気にも止めぬ様子でこちらを威嚇する。正直、ちょっと舐めていた。ウルフにここまで苦戦するとは思っていなかったのだ。


 さらにこのウルフは予想外の行動をとる。動きを止めると、大きくだらんと口を開けたのだ。


「なんだ?チャンスなのか?」


 なんにせよこいつらの素早さは厄介だったので、動きを止めた今が攻撃のチャンスだ。俺はすかさず突きを繰り出す。


 するとウルフは、その舌をカエルの様に伸ばし、俺の突き出した腕に絡みついてきた。舌は俺の腕に着くと、さながらヒモムシの吻の様に粘菌状に広がって絡まる。


「うぉぉ!気持ちわりい!!」


 俺は妙な既視感と嫌悪感に剣先で伸ばした舌を切り落とす。しかし、絡まった粘菌状の舌先はまだ俺の腕で蠢いていた。


「あぁぁ!無理だ!生理的に無理!」


 全身の鳥肌を感じながら舌を放ったウルフに斬りかかる。こうなれば相手がいかに素早かろうが関係ない。相手を上回る速度で……。


「叩き切る!」


 ウルフが絶命すると、巻き付いていた舌も光となって消えた。残るウルフはあと二匹。こんな気持ち悪い攻撃をされるのではたまったもんじゃない。先ほどの要領で、ウルフが動く速度よりも早く動いて攻撃の隙を狙って首を刎ねる。


 すると、それを見たもう一匹のウルフが途端に踵を返して逃げ出した。これも今までなかったパターンだ。今まで対峙したウルフは形勢が悪くなると、怯えこそすれ、一目散に逃げるなんてことはなかった。


「クソ、気持ち悪い上に頭も良いな。まだメダルも拾ってないのに!」


 しかし、ウルフが逃げた方角が問題だった。あっちはみんなのいる方だ。必死で追いかけるが、既にあたりは暗くなってきて悪い足場で駆けるのは向こうが上手だった。俺はグングン離されていく。


「おーい!そっちにモンスターが行ったー!気を付けろー!」


 ありったけの声で叫ぶ。フェリアはともかくマナトリアには聞こえただろう。


 俺が魔物に追い付いた時は、ちょうどマナトリアが魔物と対峙したところだった。


「大丈夫か!?」


「大丈夫じゃ。この程度に苦戦とは珍しいの。」


 マナトリアは自身の周りに氷柱を発現させている。ウルフが飛び掛かれば、すぐさま氷柱がウルフを串刺しにするだろう。


 しかし、しかしコイツは。


「マナ!油断するな!コイツは……気持ち悪い舌を出すぞ!」


 俺の声とほぼ同時にウルフはマナに向かって舌を伸ばす。


「うひゃぁぁ!な、なんじゃコイツは!?」


 ウルフの舌はたちまち粘菌状に広がってマナトリアの全身に纏わりつく。腕に絡みつくだけでも相当に気持ち悪いこの舌が、全身を這う気持ち悪さは想像に難くなかった。


 マナトリアはすかさず氷柱をウルフにぶつけるが、取り乱した状態ではまともに狙う事は出来ず、致命傷には至らない。それどころか、ウルフの全身至る所にある目が潰れ、零れ落ち、その嫌悪感を増幅する。


「のぎゃぁぁ。気持ち悪すぎるぞー。」


 マナトリアが普段上げないような悲鳴を上げる。


グワルゥゥゥ!


 ウルフの伸ばした舌をトラゴローが斬り裂く。


「トラゴロー、よくやった!あとは任せろ!」


 舌を引き裂かれよろけたウルフを剣で一刀両断する。ウルフは瞬く間に光を放って消え。後にはメダルが残った。


「ふぅ、すまなかったな。……げえ。」


 マナトリアに振り返ると、確かにウルフの舌は光と共に消えたようだが、その粘液はべったりと彼女に纏わりついていた。


「うへぇ、最悪じゃ。」


 マナトリアはげんなりと肩を落とす。


 その光景に少し言いようのない違和感を覚えつつ、メダルを拾い上げるとメダルは薬瓶のメダルだった。


「おかしいな。」


 俺は先ほどウルフと対峙したところへ走る。


「やっぱりおかしい。」


 さきほど倒したウルフたちが落としたメダルもやっぱり薬瓶のメダルだった。


「なにかおかしいのかの?」


 俺の様子を心配したマナトリアが追いかけてきたようだ。


「いや、さっきのウルフが落としたのが薬瓶のメダルなんだ。洞窟のウルフも今日の昼間に倒したウルフも落とすのは獣のメダルなんだ。」


「ふむ、ワシにはお主のメダルのことはよくわからんからの。ただ、同じウルフでも、加護する神が違えばその恩恵も違ってくるのではないのか。」


 彼女の言葉は違和感を拭い去るのに十分なものではなかった。しかし、彼女の説明の説得力は、その場の疑問を置いておくのには十分すぎるものだった。


「ワシはもう気持ち悪くてたまらん。トウヤよ、あの湖の水を何とか浄化できんか?」


 確かにマナトリアの言うとおりだ。あの湖が浄化できればこの周囲の魔気も浄化できるかもしれないし、水浴びもしたい。


 湖まで戻った俺は早速、湖に万能水を入れてみる。しかし、濁り切った水が浄化されきるには少し時間がかかりそうだ。


「多分明日の朝には浄化が終わると思う。それまでは我慢しろ。」


 マナトリアは文句を言いたそうだったが、この濁りきった水で身体を洗うよりはマシだと判断したのか大人しく、貨車の中に潜った。


「モリスさんも今日は休んでください。俺たちと旅をすると疲れるでしょ。」


「いえいえ、なんだか若返るような気分です。トウヤ様との旅も、あの村での生活も。ではお言葉に甘えて、私もゆっくりさせていただきます。」


 俺は村でも、こういった旅でも、自由気ままにやらせてもらっている。正直みんなのことを振り回している自覚があるだけに、こういった言葉は本当にありがたいものだ。


 しばらく一人で星を眺めていると、フェリアが隣に座ってきた。彼女自身トラゴローのことがよほど気に入ったのか、先ほどまでじゃれ合っていた。


「久しぶりに見た。」


 フェリアは満足げな、いや、この感情は悔しさだろうか。そんな感情が籠った声を出した。


「なにがだ?」


「トウヤが魔物を倒すところ。倒した魔物が光って消えるところを見たの。」


 フェリアには洞窟へ入ることを禁じていたので、普段俺が魔物を倒すところを見ることはない。


「そういえば、フェリアは普段見ないもんな。前に一度見ただけか。」


 以前、フェリアが草原に来てすぐの頃、夜に俺を探して洞窟に入ったことがあり、その時、赤いスケルトンに襲われていた彼女を助けたことがあった。


「あの時はトウヤの事、魔女の手先だと思ったもんね。」


 そうだ。あの時フェリアとモティは俺のことを魔女の手先か魔族だと思ったらしい。しかし、今となってはあまり変わらないかもしれないな。


「でも、今となったら、あまり変わらないね。」


 彼女も同じことを考えていたようだ。あの時、フェリアとモティが恐れた南境の魔女であるマナトリアは話で聞くよりずっと気さくでいい奴だった。


「でも、ずっと話で聞いていた南境の魔女のマナちゃんって実際にはすっごく気さくで良い人だったよね。」


 また同じことを考えていたようで、少し気まずい雰囲気を感じながら夜空を再び眺める。


「本当にいろんなことがあったんだなって。」


 夜空を見上げたまま、少し思いを馳せる。


「そうだな。これからもっといろんなことがあるぞ。」


 深淵で“アイツ”は言っていた。この世界の在り方を変えて欲しいと。それがどういう意味なのかは未だにわからないが、俺が何かを託されているのは確かだろう。


クシュン!


 夜風で体が冷えたのか、フェリアがくしゃみをする。


「ほら、風邪ひくぞ。マナトリアも寝たんだ。お前も貨車で寝ろ。」


 老婆心ながら言ったが、フェリアは立ち上がろうとしない。


「ねぇ、トウヤ。私、今日はここで寝ちゃダメかな?」


 そう言うと、フェリアはしなだれかかってくる。


「フェ、フェリア……。お前。」


「ねぇ、わかってるでしょ。私のキモチ。」


「マナが臭いから嫌なんだろ?」


 フェリアがあからさまに目を逸らす。こいつめ。それでいつまでも外にいたのか。


「じゃ、風邪ひくからトラゴローと寝ろ。アイツならきっと暖かい。」


「うん。そうする―。」


 フェリアは頭の上にハートマークが浮かんで見えるほどウキウキしながら、トラゴローへと走って行く。


 俺は夜空に向かって大きく溜息を吐いた。

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