恋敵

ぬこみや

結び

「君は運命を信じるかい。」


小麦色の光に浮かぶ教室の中で

彼は僕にこう言った。


「僕は目に見えるものしか

信じない主義なんだ。」


僕は、はっきりと、彼に返答をした。


「果たしてそれが、

この目に見えるとしたら…

それなら信じてくれるかい。」


「あぁ、見えるもんならね。」


見えるわけがない。


「見えるんだよ…。」


「何を言ってるんだ、君は。

気でも触れたのか。」


全く、馬鹿馬鹿しい。

僕だって暇じゃあないんだよなぁ、と、

半ば彼を馬鹿にしながら聞いていた。



「いいや、見える。見えるんだ。

君も見てみるといいさ。その小指を。

確かに結ばれているだろう。」


本当に頭がおかしくなったのか。

まぁ、見える見えると言われても

何が見えるものかと思いつつ、

僕は自分の小指を、見た。



見た。見えた。



見えた。確かに結ばれている。

鮮やかな血のような、

曼珠沙華の花のような、

地底から湧き上がる溶岩のような、

この世の終わりの空の色のような、

赤い糸が。

始まりはこの指に。終わりは見えない。

細いながらも、芯のある

確かな力強さを感じる。


「なんだこれは。初めて見たよ。」


冷静を装ったが、声は震えた。


「僕達の人生の意味。

それはこの糸の終わりを探すことだ。

そうして、もう一方の端との結びを、

強くするために生きている。

この糸の先、終わりは、幸福なんだ。」


僕までおかしくなりそうだ。

洗脳されそうだ。というか、

もうされているはずだ。

こんな糸が見えたことなんて

今が初めてだ。


「君が、考えたのか。」


「いや、分かるんだ。

確かにそうなんだよ。そうなんだ…。」


すぐに理解は出来なかった。


「…なるほど。確かに、糸が見えた。

君の方がこの事象について、

詳しく知っているはずだ。信じよう。」


にわかには信じ難かったが、

見えてしまったものは仕方がない。

納得せざるを得ない状況だ。


「人間だれしもが、この糸の端になりうる。

だが、それを自分から切る人もいれば、

無理やりにでも結んでしまう人もいる。

話は変わるが、

僕はこの糸のもう一方の端を見たんだ。」


「なんだって?

ならば、君はその相手と

運命的な関係にある、ということだろう。

良かったじゃないか。おめでとう。」


何故、僕を呼び出したのか。

あまり関わりもない僕らだが、

僕なんかを呼び出してわざわざ

自慢をしたかったのだろうか。

洗脳がしやすい人を選んで呼び出したのか?

僕らの接点といえば、毎朝の掃除場所だとか、帰り道だとか…

そういえば、幼稚園が一緒だったな。

そんなことを考えている場合ではないか。


彼の口が小さく動いた。


「いや、違うんだ…。

彼女の指を、糸を見たんだ。

…2本あるんだよ。」


重く、絶望したような声だった。


「え?なんだい。」


僕は困惑した。意味は分かった。

だが、受け入れられなかった。

運命の赤い糸というのは

よく聞く話だ。だが、こういうものは

1人1本というのがお約束だろう。

反射的に聞き返した。


「彼女の指には、この糸が、

2本結ばれていたんだ。

そこで僕は、僕では無い方の糸を

辿ってみた。するとね…。」


「なんだよ。」


「君にたどり着いたんだ。君の運命の人と、

僕の運命の人は、同じ人物なんだよ。」


「そんなことがあるのかい。」


正に絶句だった。辛うじて口からでた声が

相手に届いたようだ。


「あぁ、この世には浮気やら、

不倫とやらが存在しているだろう。

このような事象は珍しくはない。

だがね、この状況は非常にまずいんだよ。

こういう状態だとね、不幸が現れる。

幸福の関係に、不幸が出てくるんだよ。」


「なるほど、それで、なんだい。」


「2人で、諦めないか。人生を。

この糸は言わば、因果の線だ。

僕たちがどれだけ離れようが

僕たちの運命の人は彼女なんだ。

いずれ僕たちもこの糸に惹かれ合う。

この先、この運命を、糸を追っても、

どちらかが不幸になるのは、

目に見えているよ。僕はそれが嫌だ。

あまり争い事も、好まない性分なんだ。」


本当にこいつは何を言っているのだろう。

人生を諦める?何を身勝手なことを

言っているのだろうか。


「なるほど…。

君の意見を尊重したいところ なんだが、

僕は、諦め切ることが出来ないよ…。

幸せな家庭を築くのは、僕の夢なのさ。」


適当な理由をつけて彼の提案を

断りたかった。

人生を諦めるだなんて

悲しすぎるだろう。

確かに糸の相手が同じなのは、

どう考えても今後、僕たちの関係を

ややこしくしていくだろう。

だが、僕は諦めたくはなかった。

要は、こいつに勝てばいいだけなんだ。

運命の糸を手繰り寄せればいいだけなんだ。


「そうか…。だが、僕はもう既に、

君の運命を握っている。」


僕は、自分の指を、自分の糸を見た。


その先は、彼の手の中にあった。


僕の指から彼の手まで細く張ったその糸は

今にもちぎれてしまいそうだった。

彼の手の向こう側に見える糸の続きは

依然、虚空に伸びていた。


「何をしてるんだ!

僕の運命を、どうするつもりだ!」


焦った。


呼び出された時から

おかしな奴だとは思っていたが、

こいつは善悪の判断も出来ないのか。

運命を変えるのなんて、

運命の糸を切るのなんて、

大罪に決まっているだろう。


「もう、こうするしかないんだよ…。」


彼は、その右手に持った鋏で、

一思いに2本の糸を断ち切った。

しゅるしゅると音を立てて

どこかへと消えてゆく切り離した糸を、

少年達は見つめていた。

小指から伸びた糸の端は

すぐそこに見えている。


「…どうするつもりだい。君は今、

自分だけで無く、他人の運命までも、

この僕の運命までも、終わらせたんだよ。

この先の人生の意味を。」


「責任は取るよ。この鋏を、自分の喉に

突き立てようと思う。君は帰りなさい。」


こいつの頭はもうだめだ。

だが、死ぬのはもっとだめだ。

もし、死なれたとしたら、

胸糞が悪くて仕方がない。

こいつはいつまでも、

他人のことを考えられないんだ。

そう、悟った。


「君、そこまでの覚悟があるのならば、

生きるための覚悟をしよう。」


彼は重い口を開いた。


「…この先、生きていたって、

この糸の先を作るためには、

他の人の糸を、無理やり結びつけるしか

方法はないんだ。

僕はそんな、非人道的なことは

したくないよ。」


今更何を言っているんだろう。

他人の運命を、人生を終わらせておいて

非人道的なことはしたくないだって?

どうしようもない馬鹿だ。


僕は、考えた。答えはすぐに出た。


「一つだけ、誰も傷つけないし、

直ぐに結果が出る方法がある。」


「なるほど。直ぐに出来ると言うのなら

今、見せてみなよ。」


僕は動いた。衝動的に。

こうするべきだ。いや、

こうしなければならないのだと

瞬時に理解した。


揺蕩う2本の糸の端と端を、

固く、結びつけた。

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恋敵 ぬこみや @nukomiya

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