或る森での話
男の名前は■■■と言った。
■■■は人の集落より離れた森の中に住んでいた。
集落の人々は其処に人が住んでいるということ自体誰も知らなかった。
人間が住める最低限。其処で■■■は生活をしていた。
■■■は私が訪ねてきたことにひどく驚いていた。
■■■は旧時代の銃と、本当に使えるのかも怪しい錆びた短刀とを持っていた。
私が会話しようにも、彼は会話を拒否した。私の言葉が分からない訳ではない。
はっきりと、「話はしない」と、彼が言った。
私は■■■について聞いていたので、彼が会話をしないことも承知だった。
それでも彼との対話を試みるために、次の日彼のところへ訪れた。
すると彼は昨日とは打って違って、彼から私に話しかけてきた。
「何を話したい」
「私は頼みに来たんです」
「何を」
「失礼は承知で、」
「そんなのは要らん、何が目的だ」
「ヒノジカを狩るのを辞めてほしいのです。あなたが売っているあの角は、人を殺す武器に使われます。ですから、」
「何を代わりに」
「代わり?」
「俺はあれのおかげで生活が出来ている。辞めてほしいというのなら、お前が俺の生活を保ってくれるのか」
「あ、ああ。ええ。勿論です。近くにあるフタラの港に来ていただければ、別な仕事をいくつか、」
「断る」
「しかし、」
「もう話はしない。帰れ」
私はその言葉に従い、彼にお辞儀をして、其処を後にした。
■■■は顔の見えないように笠を被っていた。
兎に角、彼には、鹿狩りを辞めてもらわなければいけない。
生い茂る夏の青青しい草葉、森は太陽の光を浴びて恐ろしく美しくなる。
森に入ってしばらく歩く。
雀のような小さい鳥が地面に落ちた実を啄んでいたから鳥に聞いた。
彼らは口々に■■■は話嫌いで好かないと言った。
元来お喋り好きな鳥なのだろうが、それには私も同意した。
彼らはまた、■■■は山の礼儀を心得ているから悪い人間ではないと言った。
■■■は彼の儀式を忘れることがないと言った。
私は彼らに礼を言った。彼らは食事を続けた。
私はまたしばらく歩き、木に停まっている梟のような老い鳥を見つけた。
彼は■■■について知りたいと私が聞く前に答えてくれた。
「あれは何も話さないが、我々も元々話さないモノだ」
「それは、御もっとも」
「それに此処は廻り場であるから、あれが何を殺そうが、森の誰も気にしていまい」
「失礼、私の無勉強の致すところなのですが、廻り場とは?」
「魂が廻っている。此処の我々はそう考える」
「成る程。彼も又それを知って居るのですか」
「知らんだろう。彼は我々に聞いたことが無い。我々も彼に話さない。彼は彼の神に祈るだけだ」
私は彼に礼をすると彼は何処かへ飛び立った。
■■■は川の側で魚を取って焼いていた。
私は彼と目が合ったが、彼はまるで此処に人などいなかったように目を逸らした。
「俺は人と話したくない」
「そのようですね」
「お前は俺の了承が無ければ帰れないのか」
「帰ることはできますが、私が此処に来た事が無駄になります」
「帰れないということだな」
「そうなります」
「お前が他の条件を出せば俺はお前を帰してやろう」
私は彼から離れたところに立っていた。
■■■は焼き上がった一匹の魚の串刺しを一口食べた。
「俺は人が嫌いだ。人の多い港など以ての外だ。人と関わらないで生きられるのなら、それだけで良い」
「……判りました。次はそれだけを話しに来ます」
それでまた礼をして、其処から離れた。
私はなんだか存外上手くいきそうだという感じがしてきていた。
しかし一度町に帰らなくてはいけなくなった。
■■■がどうやってヒノジカの角によって生活をしているのか些か不思議だが、話さない彼にそれを聞くわけにも行かず、また、恐らく彼が角を売っただろう先の人間にそれを聞くわけにもいかなかった。
道中で屍体をつついていた烏のような鳥に聞いてみれば、■■■は森の外れの石の台に角を置き、そしてなにかを書いたものを其処に置き、後で別な男が其処から角を取って行って、いつも違う物を色々と置いているのだという。
ヒノジカの角なんて高価な物を物々交換で渡しているのだから、余程の物でないと釣り合わないだろうが、男の様子からして、生活ができるのなら、その物が等価かどうかなど気にしていないのだろうと思った。
残念ながら、結果として、町で人と一切関わらずにして生活が出来るような職は無かった。
それを上に話し、■■■という男についての話をした。
「それなら火処は諦めよう」
「しかし、それでは次の戦で……」
「仕方あるまい。あれを殺せとは言わん。あれは殺せぬものじゃ。火処の矢を如何に防ぐか、海向かいで興味深い鉱石に就いて聞いた。火処でも貫けぬ盾が出来るやも知れん」
「はあ、」
やり遂げる積もりで、あくまで現状報告と、後は助言を求めに来たのに、何だかもやもやとした気持ちが残る。
「にしても、■■■というのはどういう人間なんですか」
「儂も詳しくは知らぬ。人の噂によれば、西柄の英雄。トアライの戦の生き残り。千年を生きる霊。火処の人間はあれは人ではないと言っておる」
「しかし、殺せないとは」
「そう言われているのだ。アカウの長があれを殺そうとして、返り討ちに遭い、亡骸は森の外に捨て置かれたと、」
「初めて聞きました。とんでもない所に行かせますね」
「おや、てっきり承知の上と思っていたがの」
それから、■■■という男の話をすることは無かった。
その森にも、二度と立ち入ることは無かった。
短編集 海呈 灯 @kaiteiA09
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