荊の美女

深雪 了

荊の美女

遠い昔、西洋のとある国に、ひとりの美しい姫様がいました。

その姫はなかなか子宝に恵まれなかった夫婦の悲願の子であったので、姫が生まれた時には二人はたいへん喜び、祝宴をひらくとその国に住む12人の魔女を招待しました。


しかし宴の途中で、それに呼ばれなかった13人目の魔女が突然現れました。

自分だけ招待されなかったことに腹を立てたその魔女は、あろうことか姫に呪いをかけたのです。

それは「姫が15歳になった時、紡ぎ車の錘が刺さって死ぬ」という恐ろしい呪いでした。

周囲に居た者は恐れおののき狼狽しましたが、別の魔女が「姫は死んでしまうのではなく、長い眠りにつくだけです。いつか運命の相手が現れた時に、その方の口づけで目を覚ますことでしょう」と呪いの効力を弱める魔術を加えました。


死の運命を免れたとはいえ、いまわしい呪いであることに違いはありません。王と王妃によって国中の紡ぎ車が処分されました。しかし姫が15歳の時、彼女は屋敷の離れにある棟に一つの紡ぎ車があるのを見つけてしまいました。


「もし紡ぎ車を見つけたとしても、その錘には決して触ってはいけないよ」

両親から口酸っぱくそう言われていた姫でしたが、それが逆に幼い彼女の好奇心を刺激しました。そして姫は錘に触ってしまい、城の者ともどもすぐに深い眠りへと落ちてしまいました。



姫が眠りに落ちると、城の周囲には堅く険しいいばらが生い茂りました。その様相から、姫の呪いの話は国中に知れ渡りました。


当然、姫を救い出そうという男達が現れました。しかしその誰もが“姫を助ければその手柄で自分が国王の座にありつけるかもしれない”と目論んでいただけで、哀れな姫に同情したわけではありませんでした。


そういった男達が城に向かって来る様子を、姫は夢の中で見ていました。

呪いの力は思いの外弱くなっており、城を覆っている荊を搔き分け城の敷地に人が入ってくるだけで姫は目を覚ましました。

姫が目を覚ましている様子を見て、やってきた男は驚きましたが、自分は険しい荊の中を果敢にやって来た、是非自分との婚姻を考えてくれと申し立てました。


しかし姫は夢の中で男の思惑を知っていましたし、実際やって来た男の態度にもそういった野望があからさまに滲み出ていました。姫は失望し、男を城から追い出しました。

けれど、無事に目が覚めたことにひとまず姫は喜びました。これで元通りの生活を送れる、結婚相手などゆっくり探せばいいと。


しかし目を覚ました姫は、今度は全く眠ることが出来なくなってしまいました。やはり運命の相手の口づけを受けないと、呪いは完全に取り払えなかったのです。

眠れないまま幾日かを過ごした姫でしたが、とうとう限界を迎えました。それで再び錘に触れてみたところ、すぐに彼女は眠りに落ちました。


ようやく眠りを得たものの、錘による強制的な眠りは彼女に悪夢をもたらしました。加えて姫が眠りにつくたびに城を覆う荊は増してゆきます。その見た目はきらびやかなお城などではなく、禍々しい廃墟のような様相でした。


その後も姫を救おうとする男達がやって来ましたが、全てが最初の男と同じ、玉座を狙っての行動でした。男に城に入られては目を覚まし、無礼な男を追い出し、眠れなくなってはまた錘に刺され悪夢にうなされる。そんな日々が続きました。



しかし数ヶ月そのような状態が続いた頃、変化が訪れました。


姫が眠っていると、また城に男がやって来るのが夢で見えました。これまでの男達の様子から最初は期待をしていなかった姫でしたが、その時現れた男からは、今までの者達のような邪気が感じられませんでした。

男は上品な身なりの若い青年でした。茶色くて長い髪を顔の横で低く括り、背は長身、温厚そうな顔つきをした青年でした。


(もしかしたら、この人なら・・・)


そう思った姫は青年が荊を搔き分けるなり飛び起き、城の扉を開けて自ら彼を出迎えました。

青年は突然姿を見せた姫を見るなり少し驚いた顔をしました。


「突然の来訪を失礼します。私は隣国から参りました、ルシアンという者です。貴女はもしや、こちらの城の姫君でしょうか・・・?」

ルシアンという青年は頭を下げると、姫に挨拶をしました。礼儀正しさと品格の良さが口調や所作から滲み出た青年でした。

姫がそうだと言うと、ルシアンは再び一礼しました。

「てっきりお眠りになっているかと思っていたので、驚きました。もうお体は問題ないのですか?」

「いいえ、呪いの力が少し弱まっているから、こうして人がやって来ると目が覚めるの。けれどまだ完全に解放されていなくて、ずっと呪いに蝕まれた暮らしをしているのよ」

この青年はきっと悪い人ではない、そう思った姫は、立ち話はなんだからと青年を敷地内の池のほとりに誘いました。澄んだ池と周囲に繁る緑を眺めながら、姫はルシアンにことの発端と今の状態を話しました。ルシアンは口を挟むことなく、姫の話を頷きながら聞き入っていました。


「それは由々しき事態ですね。悪夢にうなされるのも辛いでしょうが、何より呪いに体を侵されているのがとても遺憾です。僕は隣国の人間ですが、あなたの噂を聞いて何か少しでも力になれないかとやって来た次第です」

ルシアンの身の上を聞いてみると、彼は隣国の王の息子、つまりは時期国王のようでした。わざわざ危険を冒してまで荊姫をめとらなくても国王になれるのに、こうして足を運んでくれている。本当に彼は善良な男性ひとかもしれない、姫はそう思いました。


それから池のほとりで二人は他愛もない話に花を咲かせました。ルシアンは話していて心地が良かったし、最初に眠りについてから城の外の人間と話すことがほとんどなかったので、気づくと姫は夢中で何時間もルシアンとの話に興じていました。


「おや、日が傾いてきましたね」

ルシアンが沈みゆく太陽を見ながら言いました。そうね、と返事をした姫は、

「もし良かったら、しばらくこの城に滞在していかない?私、あなたにとても興味があるの」

とルシアンに言いました。彼が彼女にとっての運命の相手なのか、ぜひとも見定めなければいけなかったのです。

「お邪魔でなければ、是非そうさせてください。僕もあなたと話したいことがまだ山ほどある」


そうしてルシアンが城に滞在することになりました。国王も王妃も、城の従者も、全員が人徳があり身分も申し分ないルシアンをいたく気に入り歓迎しました。



毎朝、朝食を終えると、姫はルシアンと共に昼食の用意を携えて池のほとりに行き、お互いの国の話や両親、城の召使いの話などを語り合いました。また城の敷地内を二人で散歩しました。そうして何日かかけ、姫とルシアンは親睦を深めていきました。


ある日いつものように池の傍でルシアンと話していると、姫は時々話も上の空でぼうっとしてしまっていました。ルシアンと過ごすのが楽しくて忘れていましたが、もう何日も睡眠をとっていなかったからです。

ルシアンもそれに気づき、姫に大丈夫かと声を掛けました。

「ええ、大丈夫。でも、そろそろ眠らないといけないわ」

「けれど、錘の力で眠っても悪夢にうなされてしまうのでしょう」

ルシアンが心配げな顔をして言いました。姫はそうなの、と言い顔を曇らせました。

「呪いを完全に解く方法はわかっているのですか?」

姫は、ええ、と言い少し恥ずかしそうにしていました。しかし次の瞬間には真剣な眼差しをルシアンに向けていました。

「・・・呪いは、運命の相手の口づけでとくことができるの。・・・私、その相手はあなたなんじゃないかと思ってる」

ルシアンは少し意表をつかれた顔をしましたが、すぐに真面目な表情になりました。

「僕で出来ることなら、協力しましょう。見たところ、もう貴女の体は限界なようだ。すぐにでも眠れる場所に行って試してみましょう」

彼の申し出に、姫は顔を赤らめました。

「・・・それでね、もし無事呪いがとけたら、あなたは運命の相手だから・・・あなたさえ良かったら私と婚姻してほしいの」

姫の言葉に、ルシアンは彼女の手を取って頷きました。

「是非、僕からもお願いしたい。貴女とこの先も一緒にいることが、僕の願いでもある」


そして二人は城に戻り、姫の寝室へと向かいました。

大きくてふかふかとしたベッドに、姫は仰向けになりました。姫の体がベッドに沈むと、ルシアンはその傍らにしゃがみ込み、姫の手を取りました。

「おそらくだけど、もし呪いがとけたら、私はしばらく目覚めないと思うの。もう何ヶ月もまともに眠っていないから」

横たわったままルシアンへ顔を向けた姫はそう言いました。その言葉に彼は微笑んで頷きました。

「君が目覚めるのをいつまでも待っていよう。そして無事目が覚めたら、式の相談をしようじゃないか。どんなに長くとも僕は必ず待っているから、だから安心してお眠り」

「ありがとう。貴方が来てくれて、本当に良かった」

太陽のような笑顔を浮かべて姫は言いました。そしてルシアンはその姫の額に手を当てました。

「さて、じゃあ・・・準備はいいかい」

「ええ、大丈夫よ」

姫が答え、彼は美しい姫にそっと口づけをしました。すると瞳を閉じた彼女の体から力が抜け、ゆっくりとベッドに沈み込んでいきました。彼女の体の中にあった呪いの塊が溶けて、心身が解き放たれていくのを感じました。そうして姫はやっと、穏やかな眠りを得ることができたのです。城を覆っていた荊も、次々に姿を消していきました。


全てから開放され、安らかな表情で眠りについた姫の額を、ルシアンはまたそっと撫でました。彼も穏やかな笑みを浮かべ、撫でていた手を下ろして額に口づけを落としました。そして、優しくつぶやきました。

「おやすみ、また目が覚めるときまで」





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