二口女の茶見世





 青く澄んだ空の真ん中に太陽が昇る頃、キヨと畑仕事をする小珠に野狐たちが近付いてきた。無言で傍に立っているので小珠の方から「どうしたのですか?」と聞くと、中心にいる野狐が屋敷の方を指さす。おそらく付いてこいという意味だろう。


「おばあちゃん、私呼ばれたから行くね」

「おや、どこかへ行くのかい」

「午後から空狐さんと市へ行く約束をしてるんだ。おばあちゃんも、体大丈夫だったら来る?」

「市ぃ?」


 キヨより先に小珠の言葉に反応したのは、キヨの押しに負けて何だかんだ昼まで畑作りを手伝ってくれた銀狐だった。銀狐は、続けてぶつぶつと文句を垂れる。


「あのなぁ、空狐はんはそないな下賤な妖怪が集まるとこ行ってええ人ちゃうねん。一応君も場違いやで。一応。いくら振る舞いが下賤とはいえ、一応」

「でも空狐さんは了承してくれましたよ?」


 銀狐の口の悪さにも慣れてきた。平然と返すと、銀狐は信じられないといった様子で疑わしげな目を向けてくる。

 その隣のキヨが野菜の種を植えながら答えた。


「わしは今日この屋敷で医者と会うから行けないねえ。それに、折角久しぶりに畑仕事ができたんだ。そこの妖狐と妖力でどこまで収穫ができるか試したい」

「え、俺まだこれに付き合わなあかんの?」

「銀狐さん、おばあちゃんのことよろしくお願いします」

「え、俺?」


 銀狐に深々とお辞儀をし、野狐に付いて屋敷の中へ向かった。



 ◆



「…………こんなに人を連れていたらばれてしまいませんか?」


 屋敷の門の前に、物凄い数の野狐たちが並んでいる。小珠はその様を見て思わず疑問を口にした。

 空狐は彼らを皆連れて行こうとしているらしい。このように行列を作って町へ繰り出せばすぐに妖狐の一族であると気付かれてしまうだろう。


「何かあった時のため護衛の者は必要です。ご安心ください。野狐たちは一般の妖怪の姿に変化させます」

「でも……大人数で市へ行くのは不自然ですよ」


 昨日この屋敷に来る道中、野狐や空狐を見て市にいた妖怪たちがどんな表情をしていたか、小珠はよく覚えている。――怯えていた。

 少しでも小珠たちが妖狐の一族だと勘付かれることがあっては、市のあの賑やかさも一瞬で失われてしまうはずだ。


「私一人で行くっていうのは駄目ですかね……?」

「慣れない町で一人歩きは危険です。人食い妖怪もいます。妖力を取り戻しつつあるとはいえ、今の貴女はまだ人に近い」

「では、よければ空狐さんももう少し地味な服を着てください。目立ってしまいますので……」


 空狐が着ている着物は、明らかに庶民のものではない。小珠は野狐に頼んで地味な見た目の小袖を持ってこさせた。

 空狐は一瞬にして着替えてくれたが、小袖を着ていても何だかきらきらと光り輝いている。そのうえ、育ちの良さのためか、一つ一つの仕草からも滲み出る品性のようなものを感じた。


(駄目だ……どんな格好をさせても目立ってしまう気が……)


 がくりと項垂れた小珠は、ふと思い付く。


「空狐さんって変化ができるのですよね?」

「ええ、はい」

「狸の姿にはなれませんか?」

「狸……? この僕がですか?」

「嫌ですか?」


 じっと空狐を見つめると、空狐は同様にじっと見つめ返してきた後で、目を瞑って頭を押さえた。


「僕が……狸……」


 非常に抵抗があるようだ。


「それから、この牛車も必要ありません。空狐さんさえよければ歩いて行きたいです」


 空狐が用意した立派な牛車を指さして言う。昨日のものよりは小柄で、空狐なりに目立たないよう配慮してくれたことが感じられるが、そもそも庶民は牛車など乗らない。


「僕は構いませんが……小珠様が疲れてしまうのでは?」

「体力には自信があります。何なら走って行けますよ。こうやって」


 衣服の裾をたくし上げて足を出すと、空狐がすぐにその裾を元に戻させてきた。


「女性が足を出してはなりません」

「あ……すみません」


 はしたない真似をしてしまったかもしれないと反省する。


「僕は狸の姿で小珠様に付いていき、野狐はこの屋敷で待機するということでいいですか?」


 空狐の確認にこくこくと頷くと、空狐は次に野狐たちの方を見て命令した。


「何かあればすぐに連絡を入れます。駆けつけられるよう準備しておいてください」


 こうして一悶着あったが、空狐と小珠のお出かけは開始した。



 狸の姿をした空狐は可愛かった。もふもふしていて軽いので、抱きかかえたまま歩くことにした。腕の中にある小さき存在を可愛がりながら道を進んでいく。

 町には少し歩くだけでも様々な見慣れない生き物――妖怪がおり、小珠はそれを見るたびあれは何かと腕の中の空狐に質問した。空狐は一つ一つ丁寧に教えてくれた。


 川にいた胴体が蛇の姿をした女性は〝濡れ女〟。

 川辺で不気味な歌を歌いながら何かを研いでいたのは〝小豆洗い〟。

 道端にしゃがみ込んでいた、目も鼻もない、お歯黒の口だけがある女性は〝お歯黒べったり〟。

 一本足で歩きながら移動していた目が一つの妖怪は〝一本だたら〟。

 長い首をくるくるさせながら歩いていたのは〝ろくろ首〟。


 様々な妖怪の種を知ることができた。妖怪と一言に言っても色んな見た目の者がいる。人間の場合はそれほど外見的特徴に違いはないので新鮮だった。



 しばらく歩いていると、ようやく市の近くまでやってきた。まだ少し距離があるが、ここでも賑やかな声が聞こえてくる。今日も沢山の妖怪が集まっているのだろう。


 途中の道端に、よしず張りの休憩所が見えた。〝おやすみ処〟と書かれた掛行灯が出ている。茶屋だ。お茶とお菓子の良い香りがする。中では床几しょうぎに座って妖怪たちが砂糖餅を食べながら休んでいた。


「空狐さん、ここに寄ってみてもいいですか?」

「茶屋ですか……。実はどんな処か僕も知らないのですが、小珠様は歩き疲れたでしょうし、構いませんよ」


 疲れているわけではなかったが、団子につられて中に入った。中には木綿の赤前垂れにたすきがけで働いている、蛇のような髪を持つ美しい看板娘がおり、「あら、いらっしゃい」と小珠の姿を見て優しく微笑んでくれた。


「お茶とお団子をお願いします」


 その美貌に惚れ惚れしながらも、野狐たちに預かった貨幣を渡して注文をする。


「ちょうどよかったわ。お団子今できたところなのよ。ちょっと先に味見するわね」


 看板娘の蛇のような髪が動き、団子を一つ掴んだかと思えば、彼女の後頭部が大きく口のように開いた。そのまま、髪で掴んだ団子がその後頭部の口の中に入っていく。看板娘の後頭部が、団子をもぐもぐと食べた。

 その様子を見て、小珠は唖然としてしまう。


「あれは二口女という妖怪です」


 床几の隣に座らせた空狐が小声で補足してくれた。


 その後、団子と茶はすぐに用意された。黙って食べていると、二口女が話し相手になってくれた。


「貴女まるで人間のような見た目ね。一人で来たの? この辺りは妖怪が多い分物騒だし、人間と勘違いされて食われたら大変よ。暗くなる前に帰りなさいね」


 団子を頬張る小珠に対し、二口女が心配そうに忠告してくる。小珠は「ありがとうございます。気を付けますね」とお礼を言いながら、団子の一つを狸の姿をした空狐に与えた。


「市の方、賑わっていますね」

瑞狐ずいこ祭りが近いからね。皆活気づいているのよ。この茶屋も今は暇だけど、夕方になれば仕事終わりの妖怪たちがわらわらやってきて大変よ」


(きつね町にも瑞狐祭りがあるんだ)


 小珠は二口女の言葉に驚いた。キヨと毎年行っていた、今年はないと思っていた瑞狐祭り。もしかすると、あの村で行われていた瑞狐祭りの発祥はきつね町なのかもしれない。山を越えて隣にある町なのだから、同じ祭りをしていてもおかしくはない。


「ただ、今年は祭りの目玉である花降らしができそうにないのよね」

「花降らし……?」

「雨を降らせて花を散らすの。この町の中心に大木があるでしょう」


 二口女は遥か遠く、店の外に見える大きな木を指さした。見たこともないくらい太く、どっしりと構えた大木だ。先の方しか見えないが、圧倒的な存在感がある。


「あの大木から散った花びらを集めて雨と一緒に空から降らせるのだけれど、今年はあの大木、花を咲かせなかったのよ。困ったものね」

「別の植物の花びらじゃだめなんですか?」

「だめよ。この町の象徴である瑠狐花るこはなじゃないと。それに、雨降小僧あめふりこぞうがご高齢でね。今や雨降老人よ」

「雨降老人……」

「毎年雨降老人が雨を降らせてくれていたのだけれど、去年の祭りを境についに寝たきりになったわ。彼は子孫を残さなかったから、跡継ぎもいないのよねえ」


 瑠狐花はきつね町にのみ咲く特別な花であり、花びらは深紅のようにも見えるが、微かに青みがかった薄紫色をしており、光の加減によっては紫や桃色にも変化するらしい。花の中心には、金色の輝きを持つ小さな宝石のような蕾があるそうだ。


「貴女何も知らないのね。まるで初めて外に出てきたみたい」

「引きこもりなもので……」


 小珠の無知を不自然に思ったらしい二口女が疑いの目を向けてくるので、慌てて言い訳した。



 そしてふと、今朝の銀狐の不思議な力を思い出す。種から発芽させることが可能であれば、瑠狐花を咲かせることも可能なのではないか。


「あの、狐の一族に頼んでみるのはどうでしょう?」

「……は?」

「狐の一族は特別な力をお持ちなのですよね。花を咲かせてくれるかも……」


 突然、二口女の顔から笑顔が消えた。


「〝お狐様〟たちが庶民のお祭りなんかに手を貸してくれるわけがないでしょう」


 二口女はぴしゃりと言う。〝お狐様〟という言い方が何だかいやみったらしく聞こえた。


「妖怪として優れているからって偉ぶってこの町を統治している連中よ。あの一族は私たちのことを見下しているわ。町民のことなんか何も考えていない。納める年貢の割合も年々大きくなっているし、納められないと殺されるの。貧困で死ぬ妖怪だっている。正しく統治してくれないから治安だってよくならない。昔は違ったみたいだけど……玉藻前様が長となった時代からは滅茶苦茶よ。この町はお狐様たちの独裁状態。私たちは殺されないよう常にびくびくしながら生きてるの」

「…………」


 二口女からの狐の一族への評価に驚いて黙ってしまった。空狐がこれを聞いて気分を害していないかと心配になりちらりと横目に見る。


「貴女も狐の一族が道を通る時は失礼のないようにすることね。じゃないと殺されちゃうから。……ああ、そういえば昨日あの一族、珍しくこの辺を通ったらしいわ。人間みたいな見た目の女の子を連れてたみたいよ。そういえば、ちょうど貴女のような黒髪だったって聞いたわね……」


 二口女が小珠をじっと見つめてくるので、正体がばれるのではないかと焦り、慌てて空の器が乗ったお盆を返した。

 「ごちそうさまでした、美味しかったです!」と言って駆け足で茶屋を出る。




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