第33話 相対者リシア

 私の名はリシア。まだ、カミュスヤーナと思い切ることができない。


 渡された首飾りとともに、私はある一室に案内された。アメリアも部屋の中には入ってこなかった。部屋の中にいるのは私一人。いや正確には2人だ。


 部屋の中の建具は全て運び出され、大きな空間が広がっている。その中央に、水色の大きな球体が鎮座ちんざしている。そしてその中では、一人の女性が膝を抱えて浮いている。


 長い髪がその顔、その身体を包むようになびいている。瞳は閉じられていて、身体も顔もピクリとも動かない。夢の中で何度も見た彼女の姿。


 彼女がテラスティーネだった。


 しばらく身体が動かせず、その球体の前に立って、彼女の姿を呆然ぼうぜんと眺めていた。手を伸ばして球体に触れてみる。


 球体はガラスのような固い感触を返してきた。でも彼女の髪はゆらゆらとなびいている。中には水のような液体で満たされているのだろうか?しかし、彼女の鼻や口あたりから空気の泡が出ている様子はない。


 それにしても。


 私は球体に近づいて、彼女の顔を正面から見つめた。私に彼女と過ごした記憶はない。でも彼女を見ていたい、彼女に触れたいという気持ちが湧き上がってくる。


 でも、本当に私は彼女を目覚めさせることができるのか?皆、私がカミュスヤーナに違いないと言っているが本当にそうなのか?


 エステンダッシュ領の摂政役であり、この地ユグレイティの魔王でもあるカミュスヤーナ。魔法士であり、疫病えきびょうを治す薬も作ってしまう優れた人物。彼に関わった人は、皆私の顔を見ると、ひざまずき、礼を取り、その無事に安堵あんどする。


 そして、目の前の彼女が愛した人物。


 私がカミュスヤーナでなかったとしたら、結界は解除できても、彼女にカミュスヤーナの魔力は流れないから、目覚めさせることができずに彼女は死んでしまう。


 万が一、私がカミュスヤーナであったとして、彼女を目覚めさせることができても、私の記憶が戻るかどうかは分からないのだ。彼女と過ごした記憶もないカミュスヤーナは、彼女の求めるカミュスヤーナなのか?


 取り留めのない考えが浮かんでしまい、私の動きは止まってしまっていた。


『助けて。』


 彼女の声が聞こえたような気がして、目の前の女性を凝視ぎょうしする。でも彼女のまぶたは開いていないし、その口も動いてはいない。


『目覚めさせて。』


 彼女がもし死んでしまったとしたら、私はここから出ることはできないだろう。カミュスヤーナに似た人物を、そのまま手放してはくれそうもない。彼女が死んだということは、カミュスヤーナも死んだものとして扱われるから、処分されてしまうかもしれない。結局、私が記憶を取り戻す術は、彼女と共に失われてしまうのだ。


 彼女が目覚めて、私にもし記憶が戻らなくても、記憶が戻るよう手を尽くそう。それまでは、彼女を笑顔にできなくても彼女を慰めよう。せめて泣くことがないように。


 私は手に持っていた首飾りの宝石を、球体の縁に当てた。キィンと音がして、ペンダントを押し当てたところから球体が崩れ始める。


 崩れ始めたところから結界の中に手を差し込み、彼女の頬に触れた。滑らかな感触が掌に伝わった。でも彼女の顔は触られても、ピクリとも動かなかった。


 結界がすべて崩れたら、彼女は床に落下するのではないか?


 慌てて、彼女の腰に腕を回し、自分の方に引き寄せる。体勢が崩れて、床の上に仰向けに倒れた。背中を強く打ってしまい、一瞬息が止まる。


「ごほっ。」


 咳き込みながら上半身を起こす。自分の上に倒れこんできた彼女の身体を横抱きに抱きかかえた。身体はどこも濡れてはいなかった。


 目の前で水色の球体がもう半分以上欠けていた。中を満たしていたものも欠けたところから流れ出ることはなく、一緒に崩れて空中に散っていく。


 試しに腕の中の彼女の頬を軽くたたいてみたが、起きる様子はなかった。


 水色の長い髪を引っ張ってしまわないよう、自分の身体とは反対側に払った。彼女の後頭部に左の掌を当てて支える。左膝をたてて彼女の上半身を起こす。


 意識がない人に対し、口づけをするのは、とてもとがめるけれど。それでも、やらないと。


 右手を彼女の耳下から頬に対し、すくい上げるように添えた。彼女の唇に自分の唇を当てた。


 守護石に魔力を流すのと同じように、合わせた唇から彼女に向かって魔力を流し込む。

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