第一章 神様は赦してくれない

第一話(覚悟を決めた。私に全ては選べない)・1

──彼女だけ、違う時間に生きているようだった。


 分厚い雲から降り注ぐ雨が、あたりを暗く塗りつぶしていく。その中を、舞うように戦場を駆ける少女の鮮やかな銀髪だけが、唯一の色のように輝いている。3体の神罰獣しんばつじゅうの群れにたった1人、死体横たわる泥土でいどに足をとられることもなく、軽やかに走り抜ける名も知らぬ銀髪の少女の後ろ姿。その煌めきは雨すら弾いていると錯覚させる。

(いや、たった1人でなにができる)

 あんぐりと開いていた口を閉じて、剣士は慌ててその小さな背中を追い始めた。

 まとわりつく泥。気ばかり焦り、前に進んでいるのに、少女のもとに辿り着けない。

 

◆聖歴1197年 残夏

 

 銀髪の少女が剣士の視界に飛び込んでくる数刻前。

 赤い髪を雨除け外套についた頭巾の中に乱雑に押し込んだ剣士は、背の高い梯子木の上から街道を行軍する部隊を見下ろしていた。

 抜き身の黒き長剣を幹に突き刺し、柄頭を掴んで体を支え、枝から身を乗り出し観察している。

 酔狂すいきょうでわざわざ木の上に登り、行軍の様子を盗み見ているのではない。部隊の発する音に気づき、鉢合わせる前に隠れたのである。街道と言われてはいるが、ここは普段は狩師達かりしか、彼らに用がある隊商しか使わない道。道端は広い部分もあるが、視界が開けているわけではなく、乱立する梯子木はしごぎの間をうように道が伸びている。

輜重しちょう部隊だな)

 赤髪の剣士はそう判断した。目的地まで食料や武器などを送り届ける荷運び役だ。その根拠は、この部隊で一番頭数が多いのがいかにも農家から連れてこられたであろう人足達だったからだ。見た目からして重そうな荷車を、長雨のなか泥と格闘しながら引いている。

 その次に多いのは雇われ兵、つまりは傭兵達が苦悶くもんの表情の人足達とは正反対に、欠伸あくびをしたり小声で笑いあったりと緩みきって、荷車を陣形もなにもなく囲んでいる。

(あーあ、出遅れたな)

 赤髪の剣士は心中で毒づき、咥えていた虫の頭を吐き出す。剣士の予想通り輜重しちょう部隊なら、ここは戦場の後方ということになる。

 ずるずると木の幹にもたれかかりながら、足りないと文句を言ってきた腹をなでる。

 あてがはずれた。どうやらしばらくまともな飯にありつけそうにない。

 北の狼族が崩れた。どうやら密猟に手を出し、神罰が下ったらしい。

 そんな情報を買ったとき、当面の飯を買う金が手に入るかもと期待して、大国ラティカへ足をのばしたというのに、どうやら大分遅かったらしい。剣士の肩に、疲れが一気に襲いかかってくる。

 剣士の眼下には、食料を積んだ荷車が今まさに通りすぎようとしていた。なんとはなしに視線はこの部隊を仕切る国軍の騎士達を捉える。よく雨を弾いている揃いの外套コートを纏っているから見分けやすい。

(いまから雇ってくれるはずもねぇよな)

 街から大分離れた街道でいきなり他国人の、おまけに流れ傭兵1人が現れるなど、不審者ふしんしゃもいいところだ。のこのこと出て行ったら無用な戦いになってしまう。

 ふと剣士に疑問が浮かぶ。

(正規騎士と詠術師えいじゅつしが少なくねぇか?)

 荷車は6台。傭兵は5人単位の組が6組の30人。騎士が3人で、軍属詠術師の特有の外套コートを着ている男が1人。一個小隊の編成であった。

 傭兵の練度は剣士の目からすれば、決して高くない。現場指揮官たるラティカ国軍の騎士と詠術師は全員老兵だ。神罰に沈んだとされる所に赴くには、到底考えられない部隊編成だ。

 もっとも輜重しちょう部隊を軽く考える指揮官はいる。武器も糧食もなくとも、人は根性と愛国心、そして怒鳴り声でいくらでも戦えるという幻想を抱いているのか、もしくは裏方を軽んじる類いの指揮官だろう。

 関わらなくてよかったと思い直して、剣士はぼんやりこれからの食い扶持ぶちをどう稼ぐか考えはじめた。

 剣士がいるこの街道はまだ人界寄りの緩衝かんしょう地帯のはずだ。危険はあるが、どこに向かうにも面倒な手続きや、関所兵への手みやげはまだいらない。

(つってもラティカだよな、目指すなら)

 緩衝地帯に部隊が展開しているのは、噂の証明に他ならない。子細しさいはどうあれ、部隊が出張っているのなら、剣での稼ぎ時も必ず来る。

 部隊が完全に通りすぎるまではのんびりしよう。そう決めて、剣士は器用にも枝の上で目をつむる。

(あーあ、あのクソ親父、やっぱり厄介やっかい払いに古い情報よこしたんじゃねえのか)

 思い出すのは5日前、大国ラティカの隣、ダーナ公国にある交易街の宿を拠点にしていた日のことだ。


◆5日前 

『おまいさん、またただ働きしたんだって?』

 酒場兼業の宿屋、早耳亭の主人はカウンターごしに面倒くさそうにくもった酒杯を拭きながら、話しかけてきたのだった。

『払えないって泣くんだよ。面倒になってさ』

 剣士が水をちびちびに飲みながら答える様子に、主人は溜め息をついた。

『何度目だい、あんた』

『知らねぇ』

 その答えに、主人はさっと剣士が飲みかけた水が入った椀を取り上げた。

『あっ、なにすんだよ』

『うちの名物はねぇ、旨い料理! 清潔ふかふかな寝床! そして各国名物の旨い酒だ。水が飲みたきゃあんた、街の外に川が流れてるよ』

 無言で睨みつけてくる剣士に、主人はもう一つ溜め息をついた。

『情に流されすぎだよあんた。そんなんじゃさ、自分が食えないだけじゃない、ご同業にだって迷惑かけちまう。あんた、恨まれてるよ。名乗りもしない無礼者が相場を荒らしているって』

 剣士は鼻で笑う。

『どうしようもねえ奴らさ。文句なら剣で言ってこいってんだよ。第一、俺に名前はないんだ、名乗りようがねえだろ。ま、名前があっても、礼儀なんざ持ちなくないけど』

 主人は今拭いていた酒杯に水を注いで、剣士の前に音高く置いた。

『これ、あたしのおごり』

 水じゃねえか、と小声で文句言いながらそれでも飲み始める剣士に、主人は呆れ顔で続ける。

「名前くらい適当に名乗ればいいじゃないか。なんならあたしが考えようか?」

 剣士は露骨ろこつに嫌な顔して、手を降る。

「ナナシでいいよ、今まで通り。どうせそのうち死ぬんだ、名前なんかどうでもいいだろ」

 主人は肩をすくめた。

『あたしもこの宿継いでもう30年経つけどねぇ。ちょっとおまいさんほど剣がたつ剣士は見たことないよ。物も人も流れゆくこの街で、あたしが言うんだから間違いないって話さ』

 嫌みばかりと思えば突然の評価に、名もなき赤髪の剣士、ナナシは水を飲む手を止めた。

『なんだよ急に』

『おまいさんさ、帝国にいったらどうだい? あっちは身分だなんだって関係ないっていうじゃないか。実力主義だってさ』

 胡散うさん臭さそうに目を細めて主人を見返すと、奢りの水をぐいっと飲み干した。

『新大陸に渡る金がねぇ。それに軍属にはなんねぇよ。探せなくなる』

 ごちそうさま、と言って階段へ向かおうとするナナシに、主人は呼びとめるでもなく話しかけた。

『ほんとにいるのかね? 英雄って言ったって、先の大戦じゃあ傭兵にしちゃあ相当の高齢だろう? ええと確か、《ひとたび戦場に現れたのなら》…』

『《敵も味方もこう呟く。戦が終わる》、だ。いるんだよ絶対に。大剣使いは。俺は必ず探しださなきゃいけないんだ』

『あんた、ほんとに帝国には行かないんだね?』

『くどいな、なんだよ』

 主人はため息一つ吐いてちょいちょいと手招きすると、その大きな顔をナナシの小さな顔に寄せた。

『北の狼族が神罰に飲まれた。どうやら密猟に手を出したらしい』

『は!?』 

 慌てて主人は口を塞いだ。

『声! 売りにだしてない情報なんだよ』

 口を抑える手を払って小声で聞き返す。

『あのめちゃくちゃ堅物で、めちゃくちゃ強いって有名な狩師団が? よりによって密猟?』

『そう、壊滅って話さ。まあさ、こういっちゃなんだけどさ、動乱あるところ……』

『傭兵の稼ぎどき、か』

 ナナシは苦々しく言葉をひきとり続ける。

『なんで俺なんかに売りに出してない鮮度の情報を寄越す?』

『行くんなら地図は買ってもらうさ。でもねそれ以上に、あんたが腕っぷしが強いのに単独の傭兵だからだよ。徒党ととうを組まない傭兵なんてそういやしない。そういう奴向けの情報さ。あたしの勘だけど』

 いぶかしげな視線を隠そうとしないナナシに主人はこまったように眉根を寄せた。

『察しておくれよ。戻ってこれたならその情報は高く買う、保証するさ。確かに変な情報だよ? 異変はあったのは確かなのに、ダーナ側に被害がないってんだからね。一次情報も占い師だか旅詩人だかの奴の話だし。でもね、あんたはしばらくこの街を離れたほうがいい』

『北の狼はラティカだろ、確か。国境までこっから4日はかかる』

『2日だよ普通は。でも、どう? 地図買う? おまいさんは神罰狩りの経験あるんだろ、高く雇ってくれるかもよ?』

 剣士が主人をいよいよ睨んだとき、派手に腹が鳴った。

『買う』

 地図を受け取り、今度こそ荷物をまとめるため二階へ向かうナナシの背中に、主人は椀を洗いながら呟く。

『おまいさん、傭兵向いてないよ』




「うるせぇ」

 ナナシはさきほど寝そべった枝の上で、いまさら5日前の記憶の中の主人に反論すると、不意に耳鳴りが襲う。

 酷い耳鳴りは体調不良の前兆か、もしくは。

(神罰獣か?)

 かばっと起き上がり、枝の上から降りずに真っ先に部隊の進行方向に目を向ける。

 部隊はナナシのいる木を通り過ぎてはいたが、そこまで離れているでもなかった。最後尾の人足の、戸惑った表情もよく見える。しかし緩く曲がった道と、枝葉のせいで部隊の中腹から先はこの高さではよくわからなかった。

 舌打ちして、幹に突き刺した剣の柄を足場に木の頂上に跳び登る。

 やはり枝葉に隠されて部隊の展開はよく見えないが、立ち上る蒼い光はありありとわかる。

(2……いや3体はいる!)

 絶望的な数だ。もしこの輜重しちょう部隊の詠術師が凄腕で、騎士も傭兵も神罰狩りの経験が豊富ならどうにかなるかもしれない。

 ナナシは両の拳を震えるほど握り締め、木々に隠れた蒼い光が立ち上る根元の辺りを睨みつける。

 前線にいるであろう戦うための部隊なら、ナナシの思うような部隊かもしれない。しかしそんな部隊は形は違えど、しっかりとした規律が目に見えて分かる。

 ナナシは樹上から降りない。

(義理もないし、道理もねぇ)

 この部隊の中腹から恐怖に上擦った叫び声が響く。大陸公用語ではない、ナナシには意味の解らない単語の羅列られつ

「詠唱!? 馬鹿、早すぎるだろ!」

 思わず叫んでしまう。木々に隠れて部隊がどうなっているのか全容は見えないが、とても陣形が完成しているとは思えない。

 バキバキと枝が折れる音が連続すると、蒼い光をまとった、やたら腕の長い人間のような形のものが、部隊前方から剣士の目線よりも高く跳び上がってきた。弧を描き、部隊の中腹へと落下していく。

(猿の神罰獣……か?)

 詠唱は断末魔だんまつまに変わり、ナナシにもわかるくらいの高さまで血と肉片が宙にまき散らされ、雨に混じる。十中八九、先ほど見かけた詠術師の体の一部だろう。

 悲鳴の合唱が始まった。眼下は文字どおり、今この瞬間に地獄と化した。

 冷静な部分は、離脱を訴えている。このままでは巻き込まれる。現にこの一瞬だけで、降り注ぐ血しぶきは4、5人分どころの話ではない量になっていた。

 ナナシは突き刺した長剣を引き抜かず、叫びながら樹上からひと息に飛び降りた。

「ただ働きはやらねぇ!」

 すると背中側、腰の辺りについた小型の糸巻取機がギュルギュルと不協和音を立てて落下速度を緩和する。長剣の柄頭と腰の糸巻取機が、細い糸でつながっていたのだ。ちょっとした城壁ほどの高さから降りて、しかしなんなく地面に着く。

 名も無き剣士は誰に言うでもなく叫ぶ。

「だから! お前らが運び損ねた食糧で手を打ってやる!」

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