雪解けのしらせ
雪解けのしらせ(前)
男の子が、男の子でなくなるときが来る。
旅立ちのときが近いってことさ。
水終月になると、雪はめっきり減る。
流れがへって凍りついた川も、雪解け水で流れをとりもどす。
日光が暖かくなり、春の気配に大人はほっとし、子供たちははしゃぎまわる。
「こら! チビども! 俺たちよりも前を歩いちゃいけない! ジュアンとジュジュはそんなふうにして、雪庇にはまったんだぞ! 年長のものの足跡をふみながら歩け! 言うことを聞かないと、今日は連れて行ってやらないぞ!」
アレフがえらそうに指示をとばしている。
小さな子たちはあいかわらずきゃらきゃらと笑いころげて、てんで言うことを聞きやしない。
「ミドス! テニコ! 言うことを聞かないと、おやつを上げないわよ!」
シャルにしかられ、二人はあわてて列にもどる。
アレフよりも、シャルとおやつの方がよほど効果があるようだ。
「俺たち、シャルに負けてるな」
「おやつがほしいだけだろ」
アレフといっしょに子供をしつけていたレニとクランバルが、疲れた顔を見あわせて言う。
「シャルはジョウニーばあさんに似たんだよ。ジョウニーばあさん、プレデ爺さんを一言でだまらせて雨の中を走らせたんだ」
「アレフ! おばあちゃんの悪口言ったら許さないわよ!」
ひっ、と三人組が首をすくめる。
「な?」
「本当だ」
目配せをしあい、三人がこっそりと笑う。
「まあ!」
それを耳に入れたライラが、こらえきれずに笑った。
その日は、学校がはじまる前の最初の遠出だった。
大きい子たちは小さな子たちを集めて世話をする。
小さな子たちが大きくなれば、また小さな子たちを集めて世話する。
そうやって、村のことをいろいろと教えてもらいながら、子供たちは立派な大人になってゆくのさ。
「アレフ! アレフはセイラとお話をしたんでしょ!」
「アレフ! どうやって風とお話をするの?」
この春から新しく子供の集団に加わったミドスとテニコは、他の子たちよりもひときわ大きな声ではしゃいでいる。
二人はベネリの弟妹で、カラジャリーさんの厚意で、学校に通えるようになったそうだ。
「もう、ぶら下がるなよお前たち! 教えてやるのは向こうに着いてから! そう約束したろ!」
この秋から冬にかけて、アレフは村で大きな活躍をいくつもした。
今や小さな子らの憧れの的なのである。
彼らは三つ国峠村をこえて、ツェルテ湖に向かった。
三つ国峠村は、緑風村よりも大きく、にぎやかだ。幼い子供たちは、目をきらきらさせてまわりを見ている。
村の広場を通るとき、あの嫌味やのジメルに会った。
「ようジメル」
「あ、お前、緑風村のアレフ!」
ジメルがうろたえる。
「ここは俺たちの村だぞ! よそ者は通るなよ!」
「だったらお前たちは緑風村を通らずに滝つぼにいくのか? それとジメル、お前、溺れたのを助けた礼を、俺に言ってないだろ」
「れ、礼なんて!」
「俺がいなきゃ、一角馬は来なかったんだぞ。それに、母さんも『山の一角馬に大きな借りができてしまった』って言ったぞ」
伝説の霊獣の名を出されたジメルは、逃げてしまった。
その一部始終を見ていた村の農夫が話しかけた。
「よお、お前さんもしかして、キリエの息子かい?」
「アレフだ!」「アレフだよ!」
アレフの代わりに小さい子供たちが答える。男は
「こりゃあ驚いた」
と目をむいて、パイプをひとつ吹かした。
湖にたどり着くと、男の子は釣り道具をとりだし、女の子はシーツを広げた。
そんないつもどおりの光景がくり広げられるのかと思いきや。
「シャル、だめだってば」
「放しなさいライラ! 今日こそあいつらに目に物見せてやるの!」
なんとシャルが釣りに参加してきた。
「シャルだって?」
「本気か?」
レニとクランバルも驚いている。
「いいぞ! 入ってこいよ!」
アレフが言うと、今度は男の子たち全員が驚いた。
「おいアレフ」
「シャルに負けたやつは、帰りの荷物持ちだぞ!」
「ウソだろ」
一部の男子が、涙目になる。
「見てなさい! この湖の魚、全部釣りあげてやる!」
シャルが勇ましいことを言う。
アレフはなぜかワクワクしていた。
ずっとシャルと勝負をしたかったのだ。
カリガルたちがやってきたのは頂陽、お昼のてっぺんをすぎてからだった。
「おいアレフ! 何を勝手に釣りなんてしてるんだ!」
ジメルがあいかわらずの剣幕で言う。
「別にお前の湖じゃないだろ? 釣りをされたくなけりゃ、ポケットに入れて持ち歩いてろよ」
アレフに上手いこと返されて、ジメルがうぐ、と黙る。
「あれは?」
カリガルが、こっちもあいかわらずの野太い声できく。
「まだ一匹も釣ってないんだ。いいだろ」
二人の話にあがってるのは、勇ましく参加したにもかかわらず、いまだ釣果のないシャルだ。
むろんこの会話もばっちり聞いていて、悔しさに首まで赤くして、荒い鼻息を吹いている。
まるでストーブの上のヤカンだ、とアレフは思う。
「なんでよ、おばあちゃんのとっておきの毛鉤を持ってきたのに!」
「シャルがんばれー」「シャルー」
最初は元気だった女の子たちの応援の声も、だんだんおざなりになってきている。
カリガルが釣り道具を手に、アレフの横にならぶ。
「シャルだよ。ジョウニーばあさんの孫だ」
「なら俺のまた従姉妹だな。あの竿と仕掛けだ。気をつけろ、コツをつかんだらとめどなく釣りだすぞ」
「お前のまた従姉妹! 本当に?」
アレフが驚く。
「ウソだろう? シャルの言ってたことは、本当だったんだ」
クランバルが涙目になる。
ここでシャルに負けてしまうと、次の祭りもまたシャルを誘えなくなる。
なぜ誘えなくなるのかって?
うーん、男の子はそういう生き物だからさ。
「で、どっちだ?」
カリガルが、竿を振るう。
「何が?」
「どっちと結婚するんだ?」
アレフがかっとなる。
「お前には関係ないだろう」
「どうせあの、岸に座って綺麗にしてる子だろう。ならシャルは俺がもらう」
「ふざけてるのか? だめに決まってるだろ」
「なんでだ? お前は関係ないだろ」
「なくない」
二人はにらみ合いを始める。
今にもケンカが始まりそうだ。
「おーいアレフとカリガルや、小さな子らの前でケンカはよくないぞ」
後ろで大賢者ガリオラの声がしたから、カリガルがぎょっとしてふり返る。
湖畔には、ガリオラがどこからか取り出したイスに座っている。
パイプなんぞを吹かし、あいかわらずのんきなもんだ。
「魔法の爺さんだ……!」
「大賢者ガリオラさまだよ」
アレフは面倒そうに言う。
「退屈だからって、行くとこ行くとこついてくるんだ」
つれてゆくのが面倒なとき、最近アレフは例の石細工を置いてゆくようになった。
だけど相手は大賢者様、機先を制してライラにもそれを渡した。
おかげでふり切ろうにもふり切れない事が増えた。
仕方ないよな、ライラを邪険に扱うわけにもいかないし。
「本当に大賢者様なのか? ただの変な爺さんじゃないのか?」
「大地の魔法についちゃ、あの人にかなう魔道師はこの国にいないんだってさ。お前もミミズ集めてるの見たろ?」
「大道芸かと思ってた」
アレフが微妙な顔でカリガルを見た。
「確かにな」
音にきこえた白の塔の番人、沫月の大賢者ガリオラ。
魔術院の三賢者の一人も、ここでは大道芸人とさして変わらない扱いだった。
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