風の声と冬山の捜索(後)

 キリエの謎かけのような言葉の意味が判らず、アレフは戸惑う。

「どういうこと?」

「風に心を開きなさい。どんなやり方でもいい。あなたが思うようにするの」

 まだキリエの言葉が飲み込めないながらも、

「母さんの言うこと、よくわからないけど、やってみる」

 アレフは頷いた。

 近くの吹き溜まりを見つけ、そのそばに立つ。

 目を閉じ、腕を広げた。

 額に吹き付ける雪、鼻をきゅんとつまむ冷たさ、そして、外套をひるがえす風。

 アレフの心に、風が吹き込んでくる。

「何をしているんだ? 子供たちを探さなくてもいいのか?」

「アレフは風をつかめるのかい? まだ年若すぎやしないかね?」

「あの子の力に年は関係ありません。それに、私たちにはもう手段が残されていないの」


 呼気。

 吸気。

 苛立った息遣い。


「駄目だ! みんな茂みの中に入って! うるさすぎるよ! フォーリさん! 外套をさするのもやめて! 寒くても、少しの間我慢していて!」

 大人たちは驚き、それに従った。

 一番驚いたのはガリオラ。

 当惑するウィージェ。

 キリエだけが希望を感じて小さく笑う。

「ふう……」

 アレフは再び、風に心をさらす。

 じわじわと、肌にぶつかる風に意識を集中する。

 地面を這うつむじ風、頭上を過ぎる谷間風、その更に上にはそよぐ大気の流れがあり、はるか上空では地上とは比べ物にならない大きなうねりがあった。

 その瞬間、怒涛のように風が心に流れ込んでくる。

 谷をうごめく無数の風。

 めちゃくちゃに荒れ狂い、何もかもを吹き飛ばそうとしている。


  アレフ、探って。

  うずまく嵐の中から、小さな風を探して。

  あの子たちの吐息から生まれた、幼い風を。


 キリエの声が心に届いた。

 それは言葉のようで言葉ではない、魂に直接響く声だった。

 アレフはその声に従い、感覚を研ぎ澄ましてゆく。

 枝々を揺らす風、雪の塊を運ぶ風、崖を駆け上がる風。

 その大地を這う細い糸のような風、谷の向こうから届いた、崖に沿って雪を舞い上げる暴風に巻き込まれて、荒々しく弄ばれている一本の流れ。

「見つけた! ジュアンとジュジュは、あっちにいる!」

 アレフが思いもかけない方角をさす。

 大人たちが色めき立つ。

「どうやって判ったんだ?」

「本当なのか? そっちには道などないぞ」

「子供のうそを信じるのか?」

「少し黙ってて。今は一刻を争うの」

 苛立たしげにかわされる懐疑的な意見をキリエがうっちゃり、アレフに駆け寄った。

「場所は?」

「向こう。凍った川を越えた先。大きな岩の隙間すきまで、二人が寄り添って凍えている」

「うまい所を選んだわね。あそこなら、子供でもしばらくは無事でいられるわ——よし」

 キリエが革の靴を脱ぎ捨て、茂みの中に溶け込んだ。

「キリエ! 待てキリエ! くそ! 一人でなにが出来る!」

 ウィージェが崖を滑り降りる。

「綱は残しておいてくれ! 必ずみんなを連れて戻る!」

 吹雪でさえぎられた視界の向こうから声がした。

「ウィージェ! この風はまだまだ続くよ! 絶対に戻ってきて!」

 アレフの声が届いたかどうか、判らなかった。

 吹雪は黒々と渦巻き、耳に届く風の唸りは、まるで魔物の叫びのようだった。

「アレフ。その岩のことを教えちゃくれんかね」

「大きな、大人の背丈よりもある岩。てっぺんが魚の頭の形をしていて、下は丸っこくなっている。どうしてそんな事を訊くの?」

「その岩をちょいと暖めてやろうと思ってね。それで少しは幼い兄妹も暖を取れるだろう?」

「そんなことが出来るの?」

「実はわたしゃ賢者様なんだよ?」

 冗談めかして言い、ガリオラは大きな杖を地面に突き立て、ぼそぼそと口の中で呪文をつむいだ。

 地につけた杖の先端がぽっと明るく光る。

「これで少しは命を永らえるだろう」

 ガリオラは元気づけるように笑ってみせ、アレフの肩を抱く。


 長い時間が経った。

 アレフと大賢者、そして村人たちは吹雪の向こうをにらみながら、しんしんとしみ込んでくる冷たさにたえ、身を寄せ合う。

 風はごうごうと唸り、吹きつける雪は一段と勢いを増す。吹雪はさらに勢いをまし、アレフのもとに彼らからの風がとどくことはなくなった。

「……もう駄目なんじゃないか?」

 ひそひそと耳打ちする村人たち。

 天候の悪化と無謀な救助。

 二重遭難の条件はそろっていた。

 それでもアレフは信じていた。

 だってあの母親が、こんなところで死ぬはず無いじゃないか。

 小さな風が、アレフの耳元に誰かの息遣いを運ぶ。

「来た! ウィージェだ!」

 村人たちが目を凝らしてがけを覗き込む。

 だがそこにはやはり吹雪く闇があるばかり。

「綱が動いてる!」

 崖に垂らしていた綱が下方に引っ張られ、ピンと張っている。

 綱は積雪をこすり、たわみ、また張りを取り戻す。

「下だ! もうこの下まで来ておる!」

 村長の指示で屈強な男が数名、崖を滑り降りる。

 上に残った者たちも、頃合いを見計らって綱を手繰り寄せる。

 アレフもそれに参加する。

 やがて吹雪の向こうにかすかに人の影が見え、そしてウィージェとキリエ、それぞれが一人ずつ子供を抱いて姿をみせた。

 やったぞ! 子供たちだ!

 誰ともなく歓声が湧き起こった。



 彼らはテレマフの家に引き上げ、そこで暖を取った。

 もう少し近い家もあったが、みな一刻も早く母親に合わせてやりたかったのさ。

 子供たちは、アレフが言ったとおりの場所にいた。

 衰弱していたが、命に別状はなかった。

 ザーラは二人を一度にかき抱いて、おいおいと泣いた。

 ウィージェは体を温めると、もういつもの調子になった。

 山岳師ってのは、丈夫な体を持っているもんだ。

 一番酷いのはキリエだった。

 はだしの両足が凍傷にかかって、腫れ上がって血が滲むほどだった。

 村人たちの心中は複雑だった。

 だって、高名な魔法使いが、雪に足をやられるなんておかしいと思ったのさ。

 魔法使いも人間だということを、なんとなくみんな信じたくはなかったのだろう。

「ありがとう、キリエ、本当に、ありがとう、キリエ」

 ザーラは繰り返し繰り返しキリエに感謝し、詫びた。

 涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして。

「お前たち、もう雪の日に子供たちだけで山に入っちゃいけないぞ」

 一番いたずら坊主のアレフが、小さい子たちにまじめ腐って言うもんだから、みんな堪えきれず笑っちまった。

「みんながジュアンとジュジュを叱らないから、俺が叱らなきゃだめじゃないか。俺が同じ事をしたらやっぱり叱られるのに、笑うなんておかしいや」

 アレフはふて腐れたが、

「今日一番のお手柄はアレフさ。みんな感謝しているんだよ」

「このところうちの息子は、村を救ってばかりね」

 キリエとウィージェが二人がかりで持ち上げると、すぐに機嫌を直した。

 外はびゅうびゅう、さっきよりも酷い雪が吹き付けていて、でも、家の中は暖かかった。


 いつだって、この世界では、家の中が一番暖かいのさ。

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