収穫祭のあのいろんな顔
収穫祭のいろんな顔(前)
人はなぜ恋をするかだって? ふむ、いい問いだ。自分でも考えてごらん。
その答えは、人の数だけあるんだから。
暦が木前月に入った。山が色付き、実りの季節が来る。
爪ブドウなど冬に収穫するものを除いて、緑風村ではほとんどの作物はこの木前月に刈り入れがおこなわれる。
種や実を取り込んだらそれを乾燥させたり加工したり、藁をくくって吊るしたり、使い終わった畑を焼いて休ませたり。
この時期、村が一番忙しくなるのは、みんなも知っての通り。
アレフやキリエもいろんなところに手伝いに行かされて、帰りにはいくばかの食べ物なんかを貰ってくる。
それもひと段落すると村は本格的に冬支度を始めるんだが、その前に大きな行事がある。
そう、収穫祭さ。
取れたばかりの食べ物やワインを持ち寄り、楽器を担いで村の真ん中に集まる。後は朝まで歌って踊って、くたびれはてて家に帰るのさ。人生で最も楽しい時間だ。
さて、若い者たちにとって祭りといえば、酒や歌ばかりではない。
伴侶を探さなきゃならない。
この時期仲が深くなる若衆は多い。
大きな仕事が終わった上に、酒と歌と踊りが村人の心を柔らかくするからね。
それに数え年で十五・六にもなれば、将来を誓い合う相手がいてもいい年頃さ。
アレフたちが羊飼いのベネリとすれ違ったのは、カラジャリーさんの麦畑の収穫を手伝った帰りだった。
「やあアレフ、元気かい?」
「やあベネリ、こっちは上々だよ」
妙に偉ぶって返すのは、さっきまで大人の中で仕事をしていた名残と、レニやクランバル以外にも、小さな子たちを引きつれているからだ。
子供の手は一つに集めたほうが、仕事がはかどるからね。
なんせ彼らは、なんでも遊びのつもりでやってしまうから。
「それはいい、キリエさんにもよろしく言っといてくれ」
ベネリはアレフたちの三つ年上、学校には通っていなかったが、時折ヤギの乳を売り歩くので、村人のほとんどと顔見知りだ。
まあ、こんな片田舎で顔と名前が一致しない者なんぞいる訳もない。
「妹弟たちは元気?」
「ああ元気だよ。また遊んでやってくれ」
ベネリには小さな兄弟がいるが、みな大人に混じって働いていて、キリエの学校には通っていない。
「もうすぐ収穫祭だね。ベネリはサラセを誘いにいくの?」
「いいや、今日は羊の毛刈りだけ。ううん、今年は誘わないよ。おいちび達、羊の尻を触るなよ。硬い蹄を食らわされるぞ」
気まずそうにほっぺたをかくベネリ。
小さな子供たちを注意している風を装っているが、何かをごまかしているのが見え見えだ。
サラセというのは、村で一番大きな畑を持っているカラジャリーさんの三番目の娘で、同年代の娘たちの中では、一番美しいと評判だ。
まあもちろん、ライラの方が断然可愛いんだが。
そんな風にアレフは思ってる。
シャルなんて論外さ。
だってあいつは告げ口屋なんだから。
さて、ベネリがそのサラセのことを好きだというのは、少し前から村じゃ当たり前のようになっている。
たいした用もないのにちょこちょこ顔を見に行ったり、頬を赤らめて話をしているのを見れば誰だって一目瞭然さ。
もっともサラセを好きな男は他にもたくさんいて、ベネリもそのうちの一人に過ぎないんだがね。
ベネリが羊を連れてカラジャリーさんの家に向かう。
その途中でサラセの姉の、マルゴに挨拶をする。
子供たちはみんな、サラセよりもマルゴのほうが好きだ。
よく面倒を見てくれて、お菓子なんかもくれるし、それに引き換えサラセは面倒くさがり屋で、男の子の前でだけいい顔をする。
ちょっと嫌だな、とアレフは思っている。
「サラセ、カラジャリーさんのところに戻ろう」
だけどその日のサラセは少し虫の居所が悪かったらしく、子供の相手もどこか気がそぞろだ。
「お父さんも、きっとわかってくれるよ」
慰めの言葉をかけるベネリ。サラセは返事もしない。
「ほらお前たち、大人の手をわずらわせてはいけないよ」
どうやら親子げんかの後らしいと察し、レニが小さな子たちをそれとなく引き離す。
「なあ、アレフは収穫祭に誰かを誘うのか?」
クランバルが声を潜める。女の子の話をしているなんて、小さい子に見られたらかっこ悪いからだ。
「もちろんライラさ! 当たり前じゃないか!」
「レニは?」
「俺もライラを誘うつもりだったけど、アレフが誘うなら勝てそうにないからやめとくよ。そういうクランバルはどうする気だ?」
レニが聞き返すと、クランバルはとたんに口をもごつかせる。
「なんだよ。言えよ。自分で聞いておいて言わないなんてずるいぞ」
レニとアレフが口々に責めるので、クランバルは仕方のなさそうに、
「……シャル」
と白状した。
「なんだよそれ、おかしいぞ。なんだってシャルなんか誘うんだ。あんな告げ口屋!」
「しい、アレフ! 声が大きい」
レニにたしなめられて、年少の子達が彼らの内緒話に耳をそばだてているのに気がついた。
おほんと年寄りのようなせきばらいでごまかし、
「さあ川沿いのセンポウ杉までかけっこだ! 一番に着いたものが、今日貰った砂糖菓子をみんなから半分ずつせしめられるぞ」
アレフの号令に子供たちがわっと走り出す。
全く、子供ってのは何をするにしても遊びなのさ。
「ただいま」
お帰りなさい、と言う返事はない。
アレフはひっそりとしたスズカケヒノキの足元の我が家で、ちぇっと小さく不平を鳴らす。
母のいない屋内はいつもよりひっそりしていて、空気までよそよそしい。
キリエは今、この地方を治めるオーグナジィという貴族の下に、村長さんとともに出かけている。
収穫の報告、というのが表向きの理由で、実際にはキリエを自分の部下として召し上げたいのだという。
国中に名のとどろいた稀代の魔法使いを、ぜひとも手元に置いていたいというのだが。
ばかばかしい。
アレフは思う。
キリエがこの村を出るわけがない。
共に生活していて、不満顔など見せたことのない母だ。
それが証拠に、もう何年も同じ申し出を突っぱね続けている。
断られるのが判っていて、どうして同じ頼みごとを何度もするのだろうと、貴族の見栄なんぞに興味のないアレフには、ただ呆れるばかりだ。
水を飲んで固いパンと塩漬けの川魚を腹に流し込む。
干した鉤ブドウの実を摘まみながら、さっきのやり取りを思い出す。
――……シャル。
クランバルが何であんなことを言ったのか判らない。
だってシャルは、もちろん女の子だけど、祭りに誘うとか、そういうことをする相手ではない気がする。
好きとかそうでないとかは、シャルには似合わない。
たとえば、もっとこう、一緒に釣りをしたり野山を駆けたり、そういうことをした方が楽しそうなやつだとおもう。
確かにあの赤い石みたいな目はきれいだが、それだけだ。
だから、クランバルはおかしいんだ。
なにがおかしいかわからないまま、アレフはそのことを頭の中で蒸し返しては、一人で腹を立てていた。
オーグナジィの邸宅は、こんな辺境の貴族にしては立派なものだ。
川を引いた堀があって、大人の頭よりも高いの石壁があって、重ったるい石造りの屋敷があって、小さいながらおおよそ城に必要なものはすべて揃っている。
もっともそのどれもが造られてかなりの年月を経ていて、あちこち古びちゃいるが。
その日の夕方、屋敷に向かう道半ばの跳ね橋を、キリエと村長は馬車で渡った。
「かつてここが戦場だったという話を、ご存知かしら?」
「ああ。しかしそれは二百年も昔の話さ。今やこの国は、いや、少なくともこの地方は安泰の時代を迎えている。そうではないかね?」
「さあ、どうかしら」
キリエは謎めいた横顔を見せる。
馬車が丘の上に出ると、オーグナジィの城が見えた。
「最初に言っておきますが、私はあの村を出るつもりはございません」
各地の村長が集まるきらびやかな大広間で、彼女はきっぱりといった。
オーグナジィの微かな希望を踏み潰すように、キリエへの説得は、いきなり頓挫の様相を見せた。
「いやしかし、貴女のような才ある者が、あのような国の片すみに隠れずともよいのではないか」
冷や汗をしきりにぬぐいながら、オーグナジィは勧誘の言葉をならべる。
「もちろん音に聞こえた緑の魔女だ、引き手は数多であろう。わしなどよりももっと良い条件を挙げる者も居よう。しかし、この地を愛するならば、このわしに仕え、国のために尽くすべきではないのかね? いやいや是非尽くして欲しい。金が欲しいなら、幾らでもという訳にはいかないが、充分に出そう。住まいも最高のものを揃える。なんなら今わしが使っている部屋を与えても良い」
「閣下、」キリエが苦い顔をする。
魔女、という呼び名が好きではないのだ。
「どのような報酬を約束されても、私の心が動くことはございません。御用がございましたら一日で駆けつけますし、それに、国への尽力も今のままで充分でございましょう」
オーグナジィは言葉もない。
彼女の言うとおり、キリエの編み出したいくつもの農法は、順調にこの地方の取れ高を上げていて、田舎貴族の領分を出るほどの収益ではないものの、オーグナジィの資金もかつてに比べてずいぶん潤っている。
「なあジオリオ、お前からも頼み込んでくれんか」
ジオリオとは、緑風村の村長の名前だ。
「いや、キリエは昔から言い出したら聞かん子でしてなあ」
いたずらっ子に手を焼いたとでも言うように参りきった風に話し、辺りを見回すと、ほかの村長たちもほほほと口々に笑っている。
「まあ。意地悪な年寄りなんて、雨の多い木前月みたいに性質が悪いわ」
キリエは美しい顔に憤慨の色を作って見せた。
もちろん冗談交じりでの言葉さ。
こんな事ぐらいでキリエが怒るはずもない。
ま、ジオリオが言ったのは、全部本当の話なのだがね。
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