文句屋のプレデ爺さんが恐れる人
文句屋のプレデ爺さんが恐れる人(前)
大人は子供の話を聞かないもんさ。
みんな自分が子供だったことを忘れて、子供は何も知らないって思ってしまうんだ。
川下のプレデ爺さんが、またぞろ文句を言いだした。
プレデ爺さんは絵描きで、それもなかなか有名な作家らしい。
この地方の風光明媚を絵に閉じこめて、そいつを町で売って生計を立てているそうだ。
芸術家、という人種なんだそうだが、どうやらこの芸術家という奴には、変人が多いとか。
自分の創りだすものはこの世のなによりも重要で、ほかの全てはそれに従うものなのだと思いがちになるという。
そういうような話を、アレフは母・キリエや、村の大人たちから色々と聞いていた。
だから、プレデ爺さんが家の近くの川に藁やもみ殻や流れてくるとか、水が濁っていて困るとか、そういうどうしようもない事でいつも怒っているのはいわゆる“芸術家”という奴だから、仕方がないのだろうと考えていた。
アレフにとってはどうでもいい爺さんだった。
興味がないのさ。
だって、家に閉じこもってずっと絵を描いている人間なんて、面白くも何ともないじゃないか。
話を戻そう、そのプレデ爺さんが、またぞろ文句を言いだしたわけなのだが、これがまた、どうしようもない理由で腹を立てていた。
「雨が降りつづきで、川の水が濁っていかん! 何とかしてくれ!」
馬鹿馬鹿しい、とアレフは思う。
火中月、夏の真っ盛りは雨が多いものと昔から決まっているし、村の誰かが雨を降らせているわけじゃないので、そんな文句を村長さんに持ってっても仕方がない。
しかし、それを仕方がないで済ませられないのが、村長という立場だ。
なんでもこのプレデ爺さん、これでも村で有数なお金持ちらしく、そういう人の話は、他の人にもましてしっかりと聞いてやらなければならないのだそうだ。
しっかり聞いたところで、雨が止むとは思えないけどね。
「そういう訳なんじゃよ。済まないがキリエ、手を貸してくれないか?」
で、困り果てた村長さんは、アレフの母を訪ねた。
“緑の魔女”の異名をとる彼女ならば、なにか知恵でもあるんじゃないだろうか、というわけだ。
じっさい問題、そんな上手い話があるはずも無いのだが、そこは人づき合いの良いキリエのこと、無ければ無いで、そう言ってやらなければプレデ爺さんも納得すまいと、拭き掃除の手を止めて、ポンチョを引っぱりだして着こみはじめた。
「村長さんのところに行くの?」
「ええ。夕方までには帰ってこれると思うけど、遅くなりそうだったら適当にご飯を食べておきなさいな」
「俺も行っていい? もう、家にいるのに飽きたんだ」
長雨は、子供たちの足も止める。
水かさが増した川では大人だって溺れるかもしれないし、そんな中、子供を表に出す親なんていやしない。だから学校も休み。
そんなわけで、アレフは一週間ばかり、母親以外の誰とも話をせずにいた。
そりゃあうんざりもするだろう。
よりにもよってアレフみたいな悪童が、五日間も家にこもりっぱなしだなんて!
キリエは少し考え、村長さんに視線で許しを求め、
「そ、良いけど? 雨具は自分で出しなさいな」
「すぐ着てくる!」
アレフは大急ぎで自分の部屋にとって返し、すでに用意してあった、母とそろいのポンチョを頭から引っかぶる。
「さあ! いこうよ!」
最初っからそのつもりだったのだ。手際の良さに村長さんは目を細めて笑い、
「まったく!」
キリエも、苦笑を禁じえなかった。
三人は連れだって雨の中へとびだした。ざあざあと猛烈な雨が、肩や背に重たいほど降りかかる。
雨具から雫がこぼれ、ズボンの膝をあっというまにずぶ濡れにした。
足下はいつも通りの裸足なので、どうと言うことはない。
地面が煙るほどひどい雨の中なのに、アレフは上機嫌さ。
だって村長さんのうちには、
「そんなにライラに会いたいの?」
キリエが小声でいじわるを言ったから、アレフは赤くなって母親を睨みつけた。
「まあおじい様、素敵! アレフまで連れて来てくれたの?」
道を進んで村長さん橋をわたり、村長さんの家に入ると、ライラが輝くような笑顔を見せた。
雨粒滴る三人のポンチョを受けとり、一つ一つ広げて壁にかける。
「キリエ、座っていてくれ。プレデを呼んでくる。ライラ、アレフにお前の部屋を見せてやっておあげ」
「はい、おじい様。ねえ来てアレフ! すてきな絵本があるの!」
かわいいライラに手を引かれ、アレフは
「うん」
といつもより素直に従う。まわりに他の男の子がいないのに、格好つけて見せる必要はないだろ?
二人っきりなら、男の子は女の子に優しくあるべきと、古の詩人も謳ったものさ。
「さあどうぞ!」
ライラが上機嫌で見せた部屋は、かわいい人形や、きれいな絵や、変わった刺繍でいっぱいだった。
村長さんの家だけあって、さすがに裕福だ。
だからライラはこんなにかわいいんだなと、アレフはずれたことを考えている。
「この本を一緒に読みましょう! すてきなすてきな物語なの!」
ライラがかざして見せたのは、“ジャッキー・ジャック物語”の第三巻、“ジャッキー・ジャックと幻城のお姫様”だった。
ジャッキー・ジャックは白馬に乗った騎士だ。
王様から授かった魔法の鎧を着こみ、愛馬リュッフェンを駆って、世界のあらゆる土地へ旅をする。
ゆく先々で、世界の邪悪と戦い、打ち倒し、そしてそこに住む人々に平和と幸せを贈り物にする。
勇敢なジャッキー・ジャック。
彼はいまも、どこかで人々を救っているのかもしれない。
さて、第三巻“幻城のお姫様”だが、この本でジャッキー・ジャックは呪われた城に住む美しい姫と、悲しい恋をする。
宿敵たる邪悪な魔法使い、グレンダルに呪われたとある地方の王族、その最後の生き残りが、この幻城のお姫様である。
領民誰もがこの姫を恋い慕うのだが、姫はかけられた呪いで日ごと病魔に蝕まれる。
そこで立ち上がったのが、偶然通りかかった我らがジャッキー・ジャックだ。
ジャッキー・ジャックは姫の勇敢な親衛隊とともに、悪の魔法使いグレンダルの住む悪魔の谷へと赴く。
死者を操り、ジャッキー・ジャックを亡き者にせんとするグレンダル。
さあこいグレンダル、貴様のよこしまな望みを打ち砕いてやる!
何をこしゃくなジャックー・ジャックめ、お前など王の威光をはぎ取ればただの若造よ!
激しい戦いの末に、ついにグレンダルはその野望を打ち砕かれる。
だが、邪悪な魔法使いは巨大な黒コウモリ竜の背に乗り、あわやの所で逃げてしまう。
復讐を誓うグレンダル、白馬リュッフェンにまたがり宿敵をにらみつけるジャッキー・ジャック。
呪いが解け、本来の美しさを取りもどす幻城の姫。
儀式を経て女王の座につき、愛しきジャッキー・ジャックを親衛隊長に、やがては王座へと迎え入れたいと望む。
ジャッキー・ジャックも、彼女を愛してしまっていたが、自分にはすでに忠誠を誓う王がいると、彼は悲しみながらその栄誉を辞する。
やがて国を去るジャッキー・ジャックを、悲しげに見送る若く美しき女王。
リュッフェンにまたがるジャッキー・ジャックも、離れゆく魂の恋人の姿にこっそりとため息をつく。
……という物語なのであるが、邪悪な魔法使いグレンダルが出てきたあたりで、アレフは退屈しはじめた。
大体この騎士とお姫様の会話が、愛だの恋だのとやたらに甘ったるく、そのうえ魔法使いが悪役なんである。
本当の魔法使いは、こんな奴じゃないや。
キリエという類まれな人物を母に持ったアレフには、そういう思いがある。
魔法使いが悪役として描かれることに、強い抵抗があるのだ。
優しく厳しく、美しい母を、アレフは心のどこかで誇りに思っている。
子供が自分の親を、誇りに思う。
それは幸せな事なのだ。
「こんなの、嘘っぱちさ!」
だからアレフがそうやって文句をつけると、ライラが悲しそうにした。
「だって、これは物語だもの……」
「そうじゃなくてさ、こんなに悪い魔法使いは、本当にはいないって言いたかったんだ」
アレフがへどもどになって取りつくろうと、ライラもほっとして、
「そうよね、先生はこんな魔法使いじゃないもんね。きれいだし、優しいもの」
と言ってくれたのでアレフも安心した。
「シャルとも一緒に読んだの。シャルったらおかしいの、『どうして男の子ばかり冒険して、女の子はお城で待っていなきゃならないの?』だって言って、本気で怒るのよ」
「シャルは、男の子になるべきだ。そのほうが絶対にいい」
時々そのことを、アレフは本気で考えている。
だってシャルなら駆けっこも早いし、賢くて口喧嘩も強いし、友達になれたら、どんなに心強いだろう。
「それは困るわ。だってシャルがいなくなったら、誰が男の子のスカートめくりをやめさせてくれるの?」
「もう、しない、しないさ」
急にスカートめくりの話なんてされたので、アレフはさっきよりもうろたえた。
シャルも言ってから気がついたようで、しばらく二人は目を合わせたり外したりしている。
「馬鹿な事を言うんじゃない!」
一階から、怒鳴り声だ。
プレデ爺さんのしゃがれて甲高い声。
アレフは部屋をとび出て、階段の下を覗きこむ。
「どうしてわしが居を移さねばならんのじゃ! この村に、あそこよりもましな場所なぞ無いのだぞ!」
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