猫人族と踊ろう
猫人族と踊ろう(前)
猫人族には、生まれた時にはもう死ぬ時までの記憶が備わっているの、とキリエは言った。
何度聞いても、それがどういうことなのかアレフにはよく解らなかったが、学校で勉強をしなくてもいいというのは、楽ちんだよなあ、とうらやましく思っている。
猫人族は、森の奥にある奥の滝のもっと奥にある奥の奥の滝の、さらに向こうに住んでいる。
猫人族が大人と話をすることはあまりない。
猫人たちはそろって気まぐれで、人には理解できない事を言うので、話が通じない相手を嫌う大人たちからは敬遠されている。
子供たちには、人気がある。
猫人族は誰も陽気だし,男も女も,子供も大人も年よりも,背が低くふわふわした毛皮でつつまれていて、かわいいからだ。
緑風村以外の子は会ったこともないし、村の子だってそうそう会えないんだけれど。
「かあさ、せんせ、ええと母さん? 今日は猫人族のところに遊びにいくから」
学校のあるときは先生、それ以外はキリエの事を母さん呼びなさいと、アレフは言い聞かせられているのだが、時々こんな風にこんがらがってしまう。
「晩ご飯はどうするの?」
「向こうで食べてくるよ。そのまま泊まってくるから、朝ごはんもいらない」
もぞもぞと、むず痒そうにするアレフに、キリエはなにか言いたげにしていたけれど、
「そう」
と簡単にすませて、アレフをのこして家をでる。
家の外では、風終月の風がうなっていた。
魔法使いといっても、キリエは風説にあるように、こもりがちだったり偏屈だったりしない。
散歩したり、皆にあいさつしたり、年寄りに呼ばれたり、毎日のように表を出歩く。
今日もまた村長さんあたりに会いにゆくんだろう。
そうだ、川下のブレデ爺さんが、またぞろ文句を言いだしたとかいっていたっけ。
追及を受けなかったことにほっとして、アレフも食べ物をかき集めて家をでる。
キリエには内緒にしていたが、今晩は猫人族の集落でお祭りがあるのだ。
猫人たちにお祭りがあることを知る者は少ないし、それに呼ばれる者はもっと少ない。
いっぱいに膨らんだ袋をかついで、アレフが坂道をかけおりてゆく。
はるか下方、村落の中心にたつ教会の時計塔から五つの鐘が、緑風村に流陽の刻をつげる。
日の入りまであと鐘二つ、猫人の集落まではけっこう距離がある。
急がないと、祭りに間に合わないかもしれない。
「風の人だ!」「風の人よ!」「おい、風の人!」
女王松おいしげる森の奥から、息をはずませながらアレフが姿を見せると、猫人たちはいっせいに声をあげる。
にゃあにゃあとまとわりつく小さな彼らに混ざり、揉みくちゃにしつつされつつ、アレフは顔なじみの一人一人とあいさつを交わす。
「チェル久しぶり、あいかわらず最高の毛並みだな。やあロンロン元気かい? マタタビの食べ過ぎには気をつけろよ。あれ、クーカ・シーラってブチだっけ? え、若い娘の尻をなでて奥さんになぐられた? そりゃあ、大変だ」
アレフと比べてもまだ頭一つ小さな彼ら。
わらわらと集い、ふわふわの毛並みが一面埋め尽くすさまはまるで、綿畑に迷い込んだかのようだ。
「よく来てくれたな風の人。待っておったぞい。このめでたい風期の終わりを、ともに祝おうではないか。わしも一段ときばりたい所じゃが、今夜は婆さんの尻でがまんしとくよ」
村長の、白長ヒゲのクーカ・シーラが陽気に笑う。
それから長年の伴侶の怖いまなざしに気づいて「にゃあ」と身をちぢめる。
どうしてだか猫人たちはアレフを「風の人」と呼ぶが、その理由はよくわからない。
「猫人は過去も未来も見通すわ。きっと意味があることなのよ、私が子供のころから森の女王と呼ばれていたように。いつの日かそれが判る時が来るわ」
とキリエが言うので、はあ、なるほど、そんな物かとアレフも言われるままに丸呑みにしている。
「さあさあ風の人も来た! 飲んで食べて踊って騒いで、大いなる月夜を存分に盛り上げようではないか! さあ、風の塚をとりかこめ!」
クーカ・シーラが音頭を取ると、猫人たちはにゃあにゃあと鳴き声を上げ、草原の中央にそそり立つ石板の周りに集い、木の枝やら踏み鳴らす足音で心地よくて素敵なリズムをとりだした。
残照は西に追いやられ、空には星が見えはじめている。
緑風村の教会から隠陽を告げる七つの鐘がかすかに届いたが、うっそうと茂る森にぽっかりと開けた猫人の広場は、そこだけ眩しいぐらいの活気にあふれていて、だから鐘の音に気づく者はいなかった。
いたとしても気にもしないだろう。
だって猫人は、どんな生き物よりも自由な心を持っているんだ。
人間が刻む時の音なんて、気にするものか。
エスト蛍の大群がぱっぱと明滅し、りっぱな石板と、そのまわりを踊り歌う猫人たちを照らしている。
猫人は火をきらうので、灯りが必要なときにはこの虫を大量に捕まえてきては、ひとところに集めるのである。
エスト蛍はカゲロウの仲間だ。
ゆるゆると空を飛び、尻の先で強い光を放つ。
三匹も集めて虫かごに入れれば、新月でも本が読めるほど明るく輝く。
そんな点滅が高く低く、猫人たちの間をぬいながら飛び、歌にあわせて風に舞う。
アレフもその中で、持って来た燻製をかじり、くすねてきた酒を飲み、時々クーカ・シーラにマタタビの煙管を貰いながら、次から次へととっかえひっかえ、猫人娘たち相手に踊っている。
中には娘という年でないものもいたが、そんなのはささいな事さ。
猫人は赤子からおばあちゃんまでみんな小さくてかわいい。
シャルも猫人に生まれればよかったのに。
そしたらあんな仏頂面ばかりせずとも、楽しく遊んで暮らせるのにな。
ライラが猫人だったら、きっともっとかわいいだろうなあ。
俺も猫人に生まれればよかった。
「風の人、風の人」
群集がさっと割れ、赤子を抱えた猫人の母親が、アレフの前にすすみでた。
「この仔の名はルト。やがてあなたの友となる仔です」
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