第2話
過去問を入手した次の日には、書籍をネットで注文していた。
とにかく、あらゆる行動が早くなっているように思う。
世の中には動きが機敏な人間もいれば、鈍い人間もいる。
それは生まれつき備わった人間性だと思っていたが、その認識はとうに変わった。
行動のスピードは、置かれた状況によって決まる。
動きが機敏なのは、楽しかったり追い詰められていたりと、機敏になるだけの背景があるのだ。
逆に動きが鈍いのは、楽しくなかったり追い詰められていなかったりと、機敏になるだけの背景が無いのだ。
俺は今せかせかと動いているが、これまではそういう人間ではなかった。
夏休みの宿題を8月下旬になってからようやく処理し始めるような、典型的なナマケモノだった。
ただ、今の俺はどうだ。
たった1日も無駄にしたくない想いで生きている。
何事も、キッカケ1つだ。
だから俺は、機敏な人間を凄いとも思わないし、鈍い人間を見下したりもしない。
いずれも、大半は運で決まっているのだから。
今俺は必死こいて図書室で勉強しているのだが、ここは在学している大学の図書室ではない。
ここは、近所にある大学の図書室である。
つまり、端的に言えば俺は部外者なわけだ。
ただ、この大学は図書室を一般開放しており、部外者でも自由に使える。
これは、本当にありがたい。マジで感謝している。
勉強をする際によく議論に上がるテーマとして「どこで勉強するべきか?」というものがある。
様々な答えがあると思うが、俺は1つの明確な答えを持っている。
答えは、図書室だ。
なぜなら、めちゃくちゃ集中できる上に、費用が全くかからないからだ。
図書室は基本的に、真面目な態度の人間が集まる。
他の場所のように、浮ついた人間は比較的少ない。
勉強をする際は、実はこういった「周りの人間の特徴」が非常に重要だ。
アメリカの有名な起業家ジム・ローンの名言に「自分の周りの5人を平均すると自分になる」というものがある。
この名言を裏付ける確固たる根拠があるわけではないが、俺は概ね正しいと思っている。
人はなぜお金を払ってまでジムに行くのか?家でも外でも運動はできるのに。
理由は、運動している人間に囲まれないと運動できないからだ。
つまり、ジムにさえ行ってしまえば、運動したくてたまらない精神状態になると言える。
俺が図書室で勉強するのも、全く同じ理由だ。
図書室は勉強に没頭する人間で溢れかえっているので、ひとたびそこに身を投じれば、勉強したくてたまらなくなる。
まあ人間なんてそんなもんだ。周りの環境に簡単に流される。
だが、悲観する必要はない。
その脆弱性を冷静に受け入れて、有効活用すればいいのだ。
それともう1つ重要なのが、費用がかからないことだ。
毎日のように勉強する人間にとって、場所代がかかることは結構辛い。
たまに「カフェで勉強すると、めちゃめちゃ捗る」と意見する者もいるが、俺は全くオススメできない。
カネがもったいないし、普通に周りがうるさい。
ただ、「勉強に没頭している俺カッケーだろ?」という自己顕示欲が原動力になるのであれば、ありだとは思う。
まあ下品な原動力ではあるが、俺は一切否定するつもりはない。
「よお!頑張ってるな」
「おお!来たか!」
コイツは、高校時代からの親友だ。
単刀直入に言うと、親友も俺とほぼ同じような状況に置かれている。
親友は中堅どころの大学に入学したのだが、そこでは満足できなかったようで、現在絶賛仮面浪人中だ。
まあ本当は「満足できなかった」なんて一言で終わらせられない想いがあるのだろうが、今は深く聞く気になれない。
全てが終わったら、俺の想いも含めてじっくり語り合おう。
「もうどれくらいやってる?」
「まあ4時間くらいかな」
「おお!なかなかやってるな。じゃ、俺もあっちで勉強するわ」
「おう!頑張って」
僅か1分程度の会話で切り上げ、親友は早々に勉強モードに突入した。
本当はもっと話したいが、これでいい。
俺らには、馴れ合っている時間などないのだ。
まあそんなことは、言わずともお互いわかっている。
こんな感じで、毎回交わす言葉は少なかったが、強く通じ合っている実感があった。
暗めな境遇を共にすると、不思議と強固な絆が生まれるものだ。
束の間の休息で緩んだ緊張を力強く締め直し、閉館時間を迎えるその時まで、勉強に心血を注ぎ続けた。
***
家に着いたので、飯を食って風呂に入って、また勉強を開始する。
俺はこれまで、怠惰の限りを尽くしてきた。
そんな人間が、名の通った大学に入ろうとしているわけだ。
安息の時間などない。
肩の力を抜くのは、全てが終わってからでいい。
ハッキリ言っておくが、これがリアルだ。
受験を題材としたストーリーを見ると、わかりやすい紆余曲折が描かれている。
馬鹿な不良が熱血野郎と運命的な出会いを果たし、素晴らしい教師たちに恵まれ、切磋琢磨しあえる仲間もわんさか湧いてくる。
そして、なんだか上手くいかなくて途中で勉強を投げ出すが、教師や仲間が助けてくれるといった具合だ。
ただ、これはあくまでも創作物だ。
現実は運命的な出会いもなければ、いつ何時でも助けてくれる仲間もいない。
俺の唯一の心の拠り所は、境遇を共にしている親友だ。
おそらく、こういった親友が1人いるだけでも、相当に恵まれていると思う。
ただ、たとえ仲間がいても、基本的には孤独に勉強する時間が大半を占める。
具体的に言えば、大学の講義がある日は6時間から8時間。
完全に自由な日は、12時間は勉強していた。
おそらく多くの受験生が、この単調な日々を軽視している。
単調な日々は、ゆっくりと人を壊していく。
学力が向上していたとしても、それを実感できる瞬間は少ない。
創作物のように、感情が高ぶるような出来事はほぼ皆無。
ふとした瞬間に虚しさを感じ、全てを投げ出したくもなる。
ひとたびネットにアクセスすれば、多種多様な娯楽が待ち構えている。
確固たる覚悟がなければ、悪魔の手招きを振りほどき、暗く長い道のりを走り抜けることはできない。
受験勉強を開始してから、気づいたことがある。
それは、勝負は始める前から始まっていたということだ。
俺は偶然にも、TOEICで785点を獲得していた。
東大生の平均点が700点と言えば、この点数の価値が一発で伝わると思う。
なぜ俺がTOEICでそれなりの点数を取れていたか。
それは、偶然にも大学内でTOEICが流行っていたからだ。
「TOEICの点数が高ければ就職に有利」といった情報で溢れかえっていた。
特に打ち込んでいることもなかった俺は、流されるようにTOEICに取り組み、結果的に785点を取れるまでになった。
まあ、今ならわかる。
TOEICで高得点を取ったことが、直接就職に結びつくことはない。
頑張った過程は評価されるだろうが、それだけで採用が決まるほど甘くはない。
改めて思うが、やっぱり俺は、空虚な言葉に踊らされる人間なのだろう。
ただ、偶然にも、TOEICに取り組んだ過程が役に立つ時が来た。
俺は英語のカコモンを見た時に「これならいけそうだな」という感覚を得た。
この感覚は間違いなく、躍起になってTOEICの得点を高めた過程が根拠となっている。
さっきからTOEIC、TOEICと言っているが、まあ一言でいえばただの英語の試験だ。
つまり、この取り組みで得た知識が、ほぼそのまま受験でも活用できるということだ。
人生、何がどこで役に立つかわからない。
ただ、だからこそ、何事にも向上心を持って取り組む高尚さが必要なんだろうな。
何事も成し得ない人間は、おそらく必要最低限のことだけをやる癖が染み付いているんだと思う。
だからいざって時に、状況を打破する原動力が全く湧いてこず、ただただ立ち尽くし、自分の不甲斐なさに絶望するのだ。
偶然の産物によって英語を突破する力は身についていたわけだが、小論文はそうはいかなかった。
小論文とは、「自分の意見を論理的に表現した文章の作成試験」と言われているが、未経験の人間にとっては難易度が高い。
そもそも「論理的」ってなんだよ。まずそこから説明してほしいもんだ。
カコモンを見たところ、小論文は毎年800字程度で書くように指示されていた。
正直言うと、一瞬怯んだ。
現状、800字の“ろんりてき”な文章など、書ける自信は全く無い。
まあそれでも、ただ淡々とやるだけだ。
淡々とした積み重ねのみが、道を切り拓く鍵となる。
弱音を吐いて落ちぶれている暇はない。
幸いなことに「小論文の書き方 時事ネタ編」という、まさに俺のために書かれたような書籍が出版されていた。
俺はこの書籍に書いてある一語一句を熟読し、教えに沿って小論文を書き、後日見直した。
後日見直す理由は、フラットな気持ちで見直したいからだ。
書き終わった直後は頭が疲れている。
冷静で元気な状態でないと実りのある見直しとならないので、あえて日をまたぐわけだ。
俺はこの作業を、数え切れないほど繰り返した。
読む。書く。見直す。読む。書く。見直す。
不思議なもので執念深く取り組んでいると、コツは徐々につかめてくるものだ。
提示された社会問題の状況を整理した上で、根拠のある解決策を示し、さらにその解決策に付随する懸念点にも触れる。
ざっとこんな感じで書けばいいのだと、身体で理解できた。
まあ本当は、ちゃんと他人に添削してもらうべきだとは思う。
小論文には明確な正解が無い。1人で取り組むのは危険だ。
だけど、俺には頼れる先生などいなかった。
卑屈な想いが主軸になっている以上、親に塾代を出してもらうのはなんか違う気がした。
だからか、最初から最後まで1人でやりきらなければならないと、無駄に意地になっているのだろう。
***
気づいたら、受験日まで残り2ヶ月となっていた。6ヶ月などあっという間だ。
もちろんここ6ヶ月間、特別なイベントなど起きていない。起きるはずもない。
マジで、ただただ勉強していただけだ。
部屋で勉強に没頭していると、ゆっくりとドアが開く音が鳴り響いた。
「あんた、少しは休んだら?」
「・・・そうだね。少し休むよ」
撤回する。全く1人でやりきっていなかった。
俺は両親の援助と気遣いがあるから、こうして自由気ままに勉強を継続できているのだ。
それに、境遇を共にする親友がいるから、シンドい時でも踏ん張れる気がする。
「まあ、さすがに少し休むか・・・」
母親の言葉を免罪符として、束の間の休息に身を委ねた。
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