第10話
台風はボクの心を騒がしただけでなく、交通・通信設備を不能にしてしまった。山間部にあるここでは、どうやらそう珍しい事件ではないらしく、鏡花の失踪の時と同じように、粛々と大人たちは各々の最低限の職務を全うしていた。
ボクは今日のうちにでもここから出るつもりだったのに。車谷先生に面会しようにも、今回の土砂崩れについて、いろいろ報告・調査があるとかで、アポイントはとれなかった。
話によると、復旧工事はそう時間がかからず、明日の昼にはいずれも解消される見通しとか。まるで当たり前のように、晴れ晴れと日が照っているのが憎らしい。
カーテンを閉じて、少しでもクーラーの効きを良くしようと思った矢先、背後でドアをノックする人がいる。
どうぞというボクの声には返事もくれずに扉を静かに開けたのは、車谷先生。
「え。あれ、今日はお忙しいんじゃ」
もう今日は会う事はないと気を抜いていたのに、あっちから姿を現わされると、何だか妙に怖かった。たぶんだけど、神様にお祈りするときも、神様から返事が来たら腰を抜かすのと同じ心理だろう。ボクは彼を人の皮を被った悪魔のように考えていけども。
「どうですか、ご加減の方は?」
彼はまるでもともと問診があったように、含みも無くそう言いだすと、少し後ろでに持っていた棒をボクにも分かるように持ち始めた。
それは凶器なんかじゃないので、防御の構えをすることはなかった。むしろ、ボクの方から彼の元へと近寄ったくらいだ。
泥にまみれてはいるけれど、それはおそらく鏡花のものだったから。
「すぐそこでこれが見つかりまして。貴女は彼女のことで大変、心を悩ませていると聞いているものですから、ショックかもしれませんが、少しは気持ちの整理に役立つかと思って、朝早くに失礼を」
「これがあるという事は、やはり黒咲鏡花さんは、自力でここから出ていった訳ではないってことなんじゃないですかね?」
恐る恐る気持ちを言葉にしてみる。表情は相変わらずカウンセラーのそれで、優しくも一定以上は近寄らないベールで、ボクの真意を見透かしているようだ。
「この辺りは静かですから、彼女の叫び声も、あるいは走り去る車の音も、大抵はどの部屋からも聞こえるものです。しかし、警察もその線での捜査を決して捨ててはいないでしょう。我々はただ、進展を願うばかりです、違いますか?」
それは単なる反語ではなく、心理誘導のようで、何も彼の声を脳裏に留めてはならない、と強くステッキを握り締めた。
手のひらに砂利と冷たいパイプの質感とが突き刺さる。
鏡花は無事じゃない。そんな事実なんて、知りたくはなかった。もし、台風が来なければ、退所までにこのステッキも見つからなかった、そうすれば、楽観視も出来たかもしれないのに。
――ところで――
肩を男の手にゆっくりと掴まれつつ、その声をきく。
「私に何か用だったそうですね。今、よろしければ聞かせてもらえますか?」
間合いの中に敵かもしれない人間がいる。カーテンの閉じた室内が、一層暗くなったのは、曇ってきたからだろうか、それともボクが恐怖を感じているからかな。
「顔色がすぐれませんね。話はまたの機会にするとして、良かったら、もうしばらくここで過ごしていきませんか」
模範生であったうちは、残り数日での退所だったのに。
「昨日のワンピースもよくお似合いでしたが、やはり今日のように、貴女はビジネススタイルのイメージがありますね、私には。お互い、より良いメンタルになれるよう、今後も努力していきましょうね。あぁ、それと、不自由なければ、貴女は今後もこの部屋を使ってもいいですが、どうします、電球も新たに付け替えましたし、元の部屋へと戻りますか?」
もうどこにきっと居ても一緒だ。全ての偶然が、ボクにそう連呼している。
「おっと、ステッキは警察へと返さないと。失礼、では良い一日を」
福原信子さんが違法薬物を所持していたとして逮捕されたニュースを、その後、看護師さんの持ってきてくれた朝刊と噂とで知った。真相はどうあれ、もう彼女とは会う事はできない。
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