第7話

「いらっしゃい」

 扉を開けたその先には、ボクの部屋と変わらない、質素な品々。

 なのに、まるで密通をしているかのようなイケない気持ちになるのは、福原さんのオーラのせいだ。仮面舞踏会の最中に、貴婦人が顔が見えないのをいいことに、宴会場から貴公子と抜け出して、月夜にお酒を嗜むように、彼女はポットのお湯を沸かす。

 彼女が誘拐犯人そのひとであったなら、きっと鏡花もこうしていざなわれたのだろう。彼女の虜にいま、ボクはなっているのだから。

「閉めて」

 ドアは勿論、閉じている。彼女の言っているのは鍵のことだ。蘭陵王は、仮面をつけることで、部下を叱咤する威厳を得た。福原さんは、妖艶な美でもって、有無を言わさぬ魔力を手に入れたのだろう。たしかここは修験道の霊山らしい。着物の似合う彼女は山伏か、それとも女天狗なのかもしれない。

 一日中、ボクはこの瞬間に備えながら、ずっとドキドキしていた。彼女が善人か悪人か、それはもはやどちらでもいい。問題は、福原さんがなぜ、こうして二人で会うのを許したかという、根本的な疑問なのだ。

「いけない、もう3分」

 慌てて彼女はティーバッグをカップから出し、ほんの少し味見していた。ボクも一口含むが、熱さばかりで濃いのか薄いのかよく分からなかった。

 福原さんは、まるでボクがかつて夢見たようなでありながら、サナトリウムにいるためか、現実離れしていて、今みたいに幼げなところもある。


 ―――まるで鏡花と反対だ―――


 鏡花はまるっきり子どもの見た目で、大人びたことを言い、考える。

 福原さんの場合は、とてもクールないで立ちだけど、目元のマスクのちぐはぐさと、不意に現れる少女っぽさが、逆説的に、なんだか余計に大人っぽく感じてしまう。どっちつかずのボクは、今夜もシャツにパンツスタイル。


「そろそろいいかしら」

 独り言のようにそう呟くと、彼女は目元のマスクをベッドへ放り投げ、こちらをまっすぐにみつめてきた。


「改めまして、福原信子のぶこです。よろしく」


 本当に驚いた時、人は声が出ないという。

「二重人格‥‥?」

「あらあら。あたらずとも遠からずってとこかしらね。二重人格、あるいは多重人格は深層心理が生み出す作用であって、私の場合、一人二役が正しいかな。そんなに怖がらないで」

「‥‥そういう症状なんですか?」

「どうかしらね」と彼女はおかしそうに笑う。

「私はフリーのルポライターなの」

「記者さんですか」

「まぁ、似たようなものだけど、雑誌や新聞、ネット記事やジャーナリスト連中とは違うつもりよ」

「どういう風に」

「私が欲しいのは、特ダネでもページビューでも言論の場でもない。真実」

「ボクに何の用ですか」

「私を誘ったのは貴女だけれど、久世さん?」

「そ、それは」返す言葉が見当たらない。クーラーが程よく効いているはずなのに、喉の奥がカラカラだ。

「冗談よ。私は黒咲鏡花さんに近づくために、こうして和装の怪人になっていたのよ」

「どうしてですか」

「言ったでしょ。私は真実が知りたいの。東雲しののめ秋人あきひとと黒咲鏡花とこの場所の繋がりを」

「どなたですか‥‥その東雲さんって」

「聞いていないのね。貴女、彼女から何か受け取ったはずよ」

 ルポライターというのは彼女の誇大妄想ではないらしい。ボクらのことを確かに見張っていたらしい。マスクの下の彼女の表情は、外す前よりもずっと、その真意を読み取らせまいとする、世慣れた女性のが施されているかのよう。


「中身もぜひ知りたいけれど、きっとそれは彼が書いたモノの一部のはずよ。それを託したからこそ、彼女はここから消えることになった」

「鏡花の居場所を知ってるんですか!」

「いいえ。けれど、こんな物語がかつて、ネット上に投稿されていたの。ここ、吉野には、魔物や怪異が住んでいると。そこに調査へいった登場人物は皆、行方不明になって終わっている。作者はアマチュアで、人気も大してないけれど、幾人かには読まれたり、好意的なレビューもおくられていた」

「その作者が、東雲さんという方なんですか?」

「ご名答。そして、読者の一人が、黒咲鏡花。彼女はその物語が本当のことだと考えて、彼にコンタクトをとった。驚くべきは、彼もまた、実話としてそれを考え、小説という形で投稿していたの」

「まさか」

 確かにここは山深い。けど、小説の作者と読者が盛り上がっていただけだろう。

「彼女の両親は、東雲をカルトを娘に布教する輩だとして警察に相談。彼女の両親はとある企業の重役で、単なるネットのノリで片付けられそうなお話を、事件性のあるものとして、彼に迫った。その結果、彼は失踪した。ネットからもリアルからも。私は黒咲さんと接触することで、この事件の本当の側面を知りたいの」

 そういうと、福原さんは紅茶を上品に一口含み、おとぎ話の終わりを伝えるように、ボクへ物憂げな瞳を向けていた。

「福原さんも、怪異を信じるんですか」

「彼は、ここに役行者や平家の落ち武者、義経、南朝が寄り付いた最大の原因として、怪異を想定していた。でもそれは何も妖怪とか、私たちが想像するようなものとしてではなく、もっとこう、科学的な、電磁場と重力場、そして時空間の特異点が存在していると考えていたようね」

「その人は、趣味で小説を書いていたんですよね? もし科学者なら、そういう仮説は論文とかで表現するんじゃないですか」

「それだけ彼の発想が異質で、確かにカルトだったということよ。ちなみに彼は科学者ではないけどね。専門は非ユークリッド博物学」

「何ですかそれ」英文科のボクには聞いたこと無い。というか、ユークリッドって数学では。高校の時に名前を習った気が。

「さて、私はルポライターだけど、こんなにも自分の情報と正体を明かしたわ。久世さんにも協力してほしいな」

「何をしろと」彼女がお祭りではなくを指定した理由はここにある。

「まずは私のことを誰にも漏らさないこと。これでも、対人恐怖症とか、いくつかの精神疾患の診断はおりてるんだから。アイマスク無しでは話せない。和服しか着れないってね。そして、彼女から渡された手紙を私にも見せてほしいの。今の情報と交換にね」

「でも、別にに繋がるようなことは書いていなかったと思いますよ」

「それなら最後のお願いもしやすいわ。調査に協力してほしいの」

「鏡花のですか、それとも東雲さん?」

「特異点のよ」

 はっきりと告げると、再び彼女はマスクを装着し、鍵を開けてボクを部屋から出したのだった。猶予はおそらくそう長くはない。

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