第2話

 私鉄特急に乗って、ひたすらに木々の中を進んでゆく。

『サナトリウム大楠公だいなんこう』。

 まるで出来損ないのスナックのような名前の場所へ約1か月は滞在する事と決まった。会社も一応は規約的にも許してくれたが、もう席が無くても構いはしない。ボクが居ても問題は解決するはずもなく、ただただ世間は動き続けるのだから。

 まさしく都落ちするかのようだが、先生にされた温かい紅茶を飲んで、せめてもの風格を保つ。

 奈良県に来るのもこれが初めて。当然、吉野山という地名もテレビか何かで見聞きしてはいたが、ボクの中での奈良といえば北部の『公園』エリアであって、生涯、来るはずのない場所へ単身乗り込む有り様には、いくら車窓に自分の顔が反射していても、現実のようには思えないでいる。


 初夏というにはあまりにも日差しが強く、早々にカーテンを閉じたボクは、終点までの間を、道中の回想と休息に充てることとした。人からよく褒められる色白さを手放すのも惜しいし。

 その車両の先頭にボクは座席券を請求し陣取っていた。幸いにして横へは誰も座らなかったものの、2号車はほぼ満員だった。ほとんどが老年の観光客だが、なかには子ども連れもいるらしく、時折、なぞなぞが聞こえてきては頭の中をかき回されたものだ。


 桜の名所として全国から人が来ると聞いていたが、どことなく寂しさもあり、さっきまで大勢いたはずの、人々の音も山にのまれて、その影もまばらとなっていく。

 自販機でカフェオレを飲もうと、500円玉を入れたのに、返ってきて買えなかった。どうやら新硬貨は未対応とのこと。

 新人さんが社会に馴染めず、吐き出されるというのは、何だか心が重たくなるので、喉を潤すのはやめて、そっとお財布へと戻しておいた。折りたたみ財布からはお札も見えているのだけれども。

 できるだけ日陰を選びつつ、重たい荷物を運び運び。筋肉がないので、一苦労どころではない。

 仕事をあのまま続けていても、体力的に限界が遅かれ早かれ訪れていたのかもしれない。そう思うと、またしても孤立感が。

「え、あ、ここか」

 なんとなくもうすぐだろうと思って歩いていると、辺りでは珍しくモダンな建築があらわれた。明治時代風なのでサナトリウム感はあるけど、大楠公は?

 もし私が楠木くすのき氏好きだったらUターンしてても不思議じゃない。


 ホテルのチェックインみたいなことを軽くしてから、まずは部屋へと案内される。

 うん、まぁ、そこそこ悪くない。少なくとも、精神衛生を高めるために来た甲斐を多少は感じさせる程度には、設備やベッドもいい。ふかふか。

 良かった、サナトリウムという言葉から、どことなく負の印象が漂っているのかと勘ぐっていたけど、そんなこともなく。その後の検診を担当してくれた車谷くるまたに先生もいい人そうだ。

 流石に、ボクのメンタル的にも、他の人と話す余裕はないけど、だんだん、馴染めるんじゃないかな。


 そんな[新生活テイク2]を順調に送り出し、窓から入る心地よい風と、その山々の風景を眺めているというのに、たまゆら、不安を思い出しもする。

 三階だけど、ここから落ちたら迷惑だよね?

 もしかして親に請求とかあるのかな?

 

 そんな現実的過ぎる悲観をなんとか対処しようとしていると、西洋風の庭に、真っ赤なリボンを胸につけ、これまた同色のカチューシャが目立つ少女がぽつねんとガーデンチェアに座っているのに気が付いた。

 お人形か、でもそれにしては大きいし。結論が出る前に、つまり目を凝らして視力のピントを合わせようとした途端に、彼女はぴょこっと椅子からおり、とことこと、どこかへと去っていった。

「あの子もボクとなのかなぁ」

 サナトリウムとも大楠公とも似つかわしくない、一人の少女に、ボクは既に惹きつけられていた。

「‥‥ボクには似合わないだろうな」

 スカートだって、気づけば何年も足を通していない。

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