第3話

 詩音という名前は、男女いずれでもあり得る。名は体を表すというが、ボクも性別・心からして女なんだけど、[ボク]だし、ショートボブに、シャツとパンツスタイルと、わりとビジネスパーソンらしい恰好。

 でも、ボクは落伍らくご者で、こうして片田舎の時代に取り残された建物の三階、14号室で朝を迎えている。


「あ、今日もいる」

 窓からは、またしても、イラストレーターが描くような西洋風の光景、つまり、ティーセットをひとりでかちゃかちゃと使っている少女がいた。

 彼女は一体どうしてこんなところに居るのだろう。それもおそらくは独りで。近所の子どもという風にも思えない。

 閑静な療養所に入って間もないというのに、現代人の一人であるボクは、早くも退屈が忍び寄っていることに気付き始めていた。旅行カバンに入れてある三冊の文庫本から、今の気持ちに合いそうなものを拾い上げたが、気分はもう、窓の外へと引っ張られていて、活字が視線から滑ってゆく。

 

 耐えかねたボクは、朝の散歩も、療養生活には善行だろう、と考えて、一階へと降りていく事にした。元が『サナトリウム』であって、精神病院ではないので、堅牢な扉や鉄格子などなども張り巡らされてはいない。

 あくまでも、社会に疲れた人間が、再び自主的に過ごせるように、あえて居住空間を移しただけ、というのが、基本方針らしい。元来の生活に捉われず、己の意志を貫け、というのが大楠公からのメッセージなのだろうか。

 芝生が綺麗に刈り込まれた庭には、やはり彼女が、ウッドチェアへ腰を下ろしたままだった。鳥の声が聞こえているが、どこにいるかは分からない、広い立派な庭。山が近いのも、緑をよりいっそう、大きく見せているのだろうか。

 外側が青色の美しいティーカップを、関節球体人形のような、どこか脆さを感じさせる真っ白な腕で持ち上げて、モーニングティーを堪能している。


「どうぞ?」

 [出来の良いアニメのようなリアリティ]を感じながらまごついていると、驚くことに彼女の方からボクを誘ってくれた。

「それとも、私の使用人?」

 親切心というより、大人びた少女の持つ特有の諧謔心から、ボクは向かい合わせに座ることとなった。彼女の名は、黒咲くろさき鏡花きょうか。名前まで可愛い。私の久世詩音とかいう、古代のどこかの首都みたいな音とは違って、何度も口に出して呼びたくなる。きっと、ご両親からも可愛がられてはずだ。

「あの‥‥‥鏡花ちゃんは一人でここにいるの?」

「そんなに私、子どもですか?」

 正直、私が今まで出会った誰よりもロリータだけど、さすがにちゃん付けは早かったか。そうだ、ここに居るのは、何も疲弊したからだけじゃない。社会との折り合いが付けにくい人も大勢いるはず。

「ごめんなさい! あの、黒咲さんって」

「『鏡花』でいい」

「きょ、鏡花は」

「何度も同じ質問しなくていいから」

 猫のように大きな瞳が、私をとらえている。あれほどに脆そうだった彼女に、私はなぜだかとても怯えていた。より自然体に生きるここでは、弱肉強食もよりは強く支配しているのかもしれない。

「ご、ごめんなさいっ」

 逃げるようにして、私は病棟へと戻っていった。カップに注いでもらった私の分の紅茶は、きっと彼女も飲まないだろう。

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