第2話 驚天


 「いや〜、疲れた」


 「それな…」


 体験はなんだかんだ1時間ほど続き。俺と隼人だけでなく、他の一年生もぐったりとしていた。


 「あはは、大丈夫〜? まあ、あたしも少し疲れたよ〜」


 「初めてだしね。力入っちゃってたのかも」


 対して、先輩方はあんまり疲れているように見えない。特に、隼人に教えていた男の先輩───二階堂瑠唯にかいどうるいというらしい───は余裕そうだった。


 やっぱり慣れなんだろうか。


 「はい、どうぞ〜。スポドリ」


 「あ、ありがとうございます」


 座り込んで休んでいると、望月先輩がペットボトルを差し出してくれた。


 「どういたしまして〜」


 「…おい、望月。それは藤峰が買ってきたやつだろう? 何、自分の手柄ですみたいな顔して渡してるんだ」


 二階堂先輩が苦笑しながらそう言った。


 「わかってるよ〜、ちょっと言うタイミング逃しちゃっただけ!」


 「どうだか」


 (仲良いんだな、この2人)


 スポドリをありがたく飲みながら、そんなことを思っていると別の一年生に教えていた藤峰先輩がこっちに向かってきた。


 手には、何かのチラシを持っている。


 「今は、休憩かい?」


 「あ、はい」


 「そうっす!」


 「ならちょうど良かった。これ、よかったらもらって。うちのサークルのチラシ」


 相変わらず薄笑いを浮かべたまま、先輩はB4くらいの紙を差し出した。


 「近いうちにうちのキャンパスでやる、サークル紹介のイベント用に作ったんだけど、なかなかいいでしょ」


 紙にはサークルの名前が大きく書かれ、ボルダリングをしているであろう人の影がイラストで描かれている。


 そこまでは普通のチラシだが、背景には不思議な絵柄がある。


 「お、どれどれ? 俺らにも見してよ」


 「あたしも見た〜い」


 望月先輩たちも藤峰先輩からもらって、チラシを眺めている。


 万華鏡の中みたいに精緻な模様が円形に置かれ、所々には大小様々な十字架が描かれている。


 …なんか、変だこの絵。


 ボルダリングと全然関係なさそうなのはもちろんだけど、なんか、この絵は


 見ていると、足元がおぼつかなくなるような、吸い込まれるような感じがする。


 (変なの…。代表の趣味なのか?)


 「…君は、」


 「はい?」


 チラシを俺が訝しげに見ていると、藤峰先輩がゆったりとした口調で話し始めた。


 「効きが悪いんだね」










◆◆◆


 








 悪寒がした。


 さっきまで優しそうだった藤峰先輩の声色が、なぜか急に恐ろしいものに感じる。


 思わず、弾かれたように顔をあげると、先程までと同じ薄っぺらい笑みを浮かべた先輩が1


 「個人差があるのかな? だとしたら君はだいぶ稀有な存在だなあ」


 「っ、いきなり何を言って…」


 いや、待て。 


 …1人?


 他の先輩たちはどうした?


 体がうまく動かない。


 あきらかに、何かがおかしい。


 ほんのさっきまで何も感じなかったはずのジム内が、まるで別世界のようだ。


 俺だけが世界から仲間外れで、居てはいけない異物になってしまったかのようで。


 悪寒が止まらなくて、ひどくゆっくり視線を下げてみると、藤峰先輩の足元には2人分の身体が転がっていた。


 「先輩っ⁉」


 倒れているのは望月先輩と二階堂先輩だ。


 (な、なんで? どうして、さっきまであんなに余裕そうで、別になんとも、ってそうじゃなくて!)


 思考はグルグルと回るのに、体は依然として動かない。


 まるで動くなと誰かから押さえつけられてるみたいに。


 「は、隼人、」


 かろうじて動く首を曲げて横を向くと、そこでは先輩2人と同じように倒れている隼人の姿があった。


 ひゅう、と喉の奥が絞まる。


 もう、声も出なかった。


 「ああ、大丈夫。そんなに心配しないで。彼らは眠っているだけだから。僕がその気になればみんな起きるよ」


 藤峰先輩は、変わらない表情のまま、右手を回してみせた。


 つられて視線を周りにめぐらせば、俺以外の誰もがチラシを握りしめたまま倒れ込んでいる。


 何十人もの人が、皆一様に倒れている中で、俺と藤峰先輩だけが立ち尽くしている。


 「さてと、もうこの体もいらないや」


 そう唐突に言ったのは、藤峰先輩ではなかった。


 まるで着ぐるみでも脱ぎ捨てられるみたいに藤峰先輩の体が宙を舞い、ボルダリングジムの柔らかい床に投げ出される。


 そうして現れたのは、まだ十代前半くらいの美少年だった。


 芸能人でも滅多に見れないほどに整った容姿は、同性の俺から見ても魅力的なものだったけど、なぜか目だけが異様に爛々と輝いていて、不気味だ。


 ウェーブのかかった金髪が、蛇みたいにうねっている。


 「そんなに怖がらないでくれよ。何もひどいことをしようってわけじゃない。ただちょっと、僕の仕事を手伝ってもらうだけさ」


 意識が、飛びそうだった。


 人形のような容姿を優雅に笑わせて、美少年は俺に近づいてくる。


 理屈じゃなく、本能的なところで俺がまずい状況にいることがわかる。


 カチ、カチ、カチ。


 幻聴まで聞こえだした。


 歯車が噛み合うような、神経質な音が頭いっぱいに広がる。


 今すぐ声を上げて逃げ出したいのに、体は動かない。


 吐きそうなのに、吐けない。


 カチ、カチ、カチ。


 「でもさ、実験に例外が混じるのは好きじゃないんだよね。仮説通りに進んでくれなきゃ困るんだ」


 カチ、カチ、カチ。


 美少年がどこからか鋭利な意匠の十字架を取り出し、俺の目前に掲げる。


 悪魔のような美貌の微笑みが、脳裏に焼きつけられる。


 カチ、カチ、カチ、


 「だから、死んでね」


 十字架が、ほんのりと光りだす。


 カチ、…カチリ。


 瞬間、俺の中で何かが熱く弾けた。










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