毒薬変貌

第1話 序


 「なあ、この後ヒマか?」


 時は遡って、4月初旬。


 引っ越しやら、入学式やら、ガイダンスやらも終わり。ようやく大学生活が始まったという現実感が現実に追いつき始めたころ。


 入学式で知り合った友人が、講義終わりに話しかけてきた。


 「…暇っちゃあ、暇だけど」


 この後は講義もない。


 強いて言えば、夕飯の食材を買いに行きたいくらい。


 「オッケイ!、じゃあサークルの見学一緒にいかね?」


 「隼人はやと、おまえ確かサッカー部に入ったって言ってなかったか」


 大学の部活って、結構忙しいイメージなんだけど。


 「まあなー、でもせっかく大学生になったんだし。色々と見てみたくね?」


 明るく脱色した茶髪の下の、無邪気な笑顔がまぶしい。


 こうも純粋な目を向けられると、どうにも断りづらい。


 「…ま、見学だけなら。そこ、見学行っただけで入れって言われたりしないよな?」


 使い始めたばかりのノートパソコンとかの荷物を片付けながら、確認の意を込めて聞いてみる。


 ガイダンスでも、そういう悪質なサークルには気をつけろと言われたばかりだ。


 「ん~、たぶん? 大丈夫じゃね?」


 隼人は何が楽しいのか、底抜けに明るい笑顔のままで楽観的なことを言う。


 こいつは基本的にいいやつだし、地頭も悪くないんだが、いかんせん楽観的で行き当たりばったりすぎる。


 まだ会って1か月と経っていない俺ですら気づくくらいには。


 「ちなみに、なんのサークルなの?」


 「ボルダリング。いやー、都内だと結構できるとこあんだな。調べてみてびっくりしたぜ」


 「ふうーん」


 ボルダリング、ね。

 

 あの壁を登るやつか。


 やったことはないし、見学だけならいいか。


 「…分かった。俺も行くよ」


 「よっしゃ。じゃあ早速行こうぜ!」


 「え、もう行くの?」


 「おう!、サークル始まんのが18時だって言ってた!」


 ちなみに今の時間は17時半である。


 「ちょ、おまえもっと早く言えよ!」


 「はははは、悪い悪い!」


 何がおかしい。


 








◆◆◆


 








 「初めまして、一年生のみんな。僕がサークル代表の藤峰ふじみねです。よろしくね」


 結果的に言えば、本当にギリギリで時間には間に合った。


 キャンパス近くにある、大きめのボルダリング用ジム。外観はクリーム色で統一された建物の入口に立っていた人に見学に来たことを伝え、指示された場所で急いでジャージに着替えると、すでに20人くらいの先輩と、10人くらいの新入生が集まっていた。


 30人がこうして集まると、大きいはずのジムは少し手狭なように思えた。


 (思ってたより、人多いな。結構規模が大きいサークルなのか)


 「とりあえず、最初はボルダリングを体験してもらおうかな。この中でボルダリングやったことあるよーって人いる?」


 灰色の壁に色とりどりの突起がつけてあるボルダリング用の壁。それを背にして俺たちに話していた代表の人がそう聞くが、10人全員誰も手を上げなかった。


 代表の人は、なんていうか、大学生らしい人だ。愛想笑いなのか、どこか薄っぺらい笑顔を浮かべている。


 髪の色は暗めの青色に染めていて、左耳にだけイヤリング。顔も整っている方だと思うし、話し方にもよどみがない。


 一見しただけでモテそうな人だなというのが感想だ。


 「よし、じゃあ一人一人に先輩がつくから、初心者用のコースだけやってみようか」


 「いやー、やるのは初めてだけど面白そうだな!」


 「…そうだね」


 隼人が準備運動をしながら、言った。


 …だいぶ気合入ってんな。


 それはそうと。こうして実際に見てみると、それなりに面白そうではある。


 彰人と話していると、2人の先輩がこちらに向かってきた。


 「今日は僕と彼女が教えるから、よろしくね」


 「よろしく~」


 これまたおしゃれな先輩二人だ。


 男性の先輩はきっちりと七三分けに髪をワックスで撫でつけていて、女性の先輩の方も世間の女子大学生のイメージそのまんまみたいな感じだ。


 パーマをかけたであろうボブカットの黒髪が、ふわふわと揺れている。


 もし俺がファッションやら化粧やらに詳しければもう少しマシな感想も出るんだろうけど、つい数ヶ月前まで男子高校生だった俺にはどうにもその手のことはよくわからない。


 彰人の方には男性の先輩が、俺の方には女性の先輩がついてくれた。


 とりまやってみていいですか!、とか相変わらずなことを言っている隼人に苦笑していると、女性の先輩が俺の顔を覗き込んできた。


 「あの子、友達なの~?」


 先輩は、間延びした声でそう聞いてきた。


 「ええ、そうですよ」


 「へえ~、まだ入学したばっかりでしょ? 友達作るの早いね~」


 「…あいつの性格が、いいだけですよ」


 上目遣いでクスクスと笑う先輩になぜか気恥ずかしさみたいなのを感じてしまって、俺は少しだけ先輩から目をそらした。


 そらした視線の先では、他のペアがすでに練習を始めていた。


 「あらら、皆早いね~。あ、私望月遥もちづきはるか。今3年生だよ。よろしくね」


 「よろしくお願いします。一年の荒谷彰許あらやあきもとです」


 「荒谷くんね~。じゃあ最初は私がお手本見せるから、その後実際にやってみて」


 それだけ言うと、先輩はいとも簡単に壁を登って行ってしまった。


 最初の突起に手をかけてから、1分と経っていない。こういう言い方はなんだけど、ちょっと猿みたいな軽い身のこなしだった。


 「よし、ゴールっと。最初はなんとなくでやっていいよ~。もっと上級のコースとかになるとどこを掴むのかとか戦略たててやるんだけど、最初だし、思うがままにやってみよー!」


 「はい」


 成り行きでついてきたけど、なんかこういうの、大学生っぽくていいな。


 


 












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