機械仕掛けの魔術師《パンツァー・マギエル》

春風落花

第0話 殺戮人形


 今年の夏は、ずいぶんとせっかちだ。


 じっとりとした湿気を頬に感じながら、夜の街を走っていく。


 暑さのせいか、湿気のせいか。真っ暗な夜空は、どこか重たげな様子だった。


 まだ6月だというのに、ひどく暑い。


 いくら夏物だといっても、この気候でブルゾンを着込むのはちょっとつらい。


 とはいっても、防具代わりのこれがないのは体じゃなくて心の方が冷え込みそうだ。


 『次の角を右ね。もう人気もないし、処理しちゃっていいわよ』


 右耳にいれたイヤホンから、柔らかい声が聞こえてきた。


 相変わらず声質に似合わない言い方をするものだ。


 足を速める。


 確かに人気はない。


 まあ、終電はとっくに無くなっている頃合いだ。昼間でさえ閑静なことで有名なこの住宅街に人がいる方がめずらしい。


 それに、人がいたとしてもがどうにかしてしまうだろう。


 変な特技ばかり持っている人だから。


 言われていた角を曲がりざま、身を低くしておく。


 すると、ちょうど頭があった位置を鈍い音とともに影が通り過ぎていった。


 予想通りとはいえ、心臓に悪い。


 振り返りながら身構えると、そこには真っ黒な猪がいた。


 全身で、濃淡のまったくない


 まるで現実離れした光景だが、ここ2ヶ月で嫌になるほど見てきた光景でもある。


 翼の生えた犬に、平べったい猫。虹色に光る四足歩行の蛇もいたし、透明になれる大鷲もいた。


 むしろ今回は原型をとどめているだけ、マシな方だろう。


 「Buugyaaaaaaaaaaaaaaa!!!」


 目の前のが、裂け目のような口を開く。


 「…ずいぶん、変わった鳴き声だな」


 『あらら、すっかり変異させられちゃってるわね』


 他人事のように言う言葉は、どこか軽薄だ。


 ”変異種”、または”ミュータント”。そう呼ばれている改造生物たちは”原理教会”という組織によって生み出されたものだ。彼らとて好き好んで変異種を世間にバラまいているわけではないが、追われる身である彼らは追っ手を撃退するために変異種を使う。


 だから、変異種それ自体に罪があるわけではない。むしろ、勝手に体をいじくられ、戦闘に使いまわされる彼らは被害者側だ。


 動物愛護団体が知ったら、卒倒待ったなしの悲劇である。


 『ちゃんと血の跡とか、消しておいてね。ニュースとかになると面倒だから』


 だというのにどこまでも軽薄な物言いをする雇い主に、俺は少しだけ苦笑いを浮かべながら、ゆっくりと左の手の平を獣に向けた。


 俺が軽く意識を集中させるのと同時に、獣は全くの無音で大地を蹴っていた。


 巨体が大気を押しのけ、が不気味な風鳴りとともに視界に迫りくる。


 焦る気持ちをグッと抑えると、集中させた意識が脳内で歯車の幻想を形作る。カチリという軽い音が耳の奥で響き、想像の歯車同士がかみ合う。


 直後、蜃気楼のような揺らぎとともに俺の手のひらから吐き出された空気の塊がを吹き飛ばしていた。


 「Byugya⁉」


 間抜けな声とともに舞い上がった獣に向かって、今度は俺から踏み込んでみせる。


 宙を舞うを伸ばした左腕で掴み、右腕を引き絞った。


 再度意識を集中させ、短い言葉とともに掌底を叩きつける。


 「”金剛”」


 掌底を打ち込まれた箇所が、まるで切り取られたかのように血煙と化した。


 一般人では到底出せないような怪力を見せた俺の右腕はそのまま、獣の体を貫通して止まっている。


 生暖かい刺激臭が、ツンと鼻の奥に届く。


 直後、獣の体と同色の暗い液体が周辺にまき散らされ、右腕を伝って俺の体にも降り注ぐ。


 掴んでいた左手から力を抜き、素早く右腕を引き抜けば、ほんの数秒で獣から肉塊へと姿を変えたは地面に落ちた。


 『ワーオ、豪快っ』


 イヤホンから聞こえてくるやたら嬉しそうな声を無視しながら、俺は手についた血を振り払い、暗褐色のブルゾンから髑髏が描かれたジッポライターを取り出した。


 使うたびに思うが、このデザインは好きじゃない。


 ライターに点火し、言葉を紡ぐ。


 「”…我、神に祈らん。主よ、敬虔なる信徒を清めたまえ”」


 欠片も信仰心のない言葉がライターの火を燃え上がらせ、柱と化した炎が俺の体にまとわりつく。


 不思議と熱さは感じず、ただ染みついていた返り血だけが消えていった。


 「”我、不義なるを滅する者なり”」


 燃え盛っていた炎がその方向を変え、地面に転がっていた肉塊に向かっていく。


 舐めるように炎の柱が路面を過ぎ去ると、流れていた黒い血液は綺麗に無くなっていた。


 それだけではない。


 獣のなれの果てだった肉塊もまた、炎に飲み込まれるようにして消えてしまった。


 「…Amenエィメン


 ジッポライターの蓋を閉じ、手早く十字を切る。


 こんなことをしているが、別に俺はキリスト教徒ではない。


 雇い主である彼女が、この弔い方しか教えてくれなかっただけだ。


 『お疲れ様。撤収しましょうか』


 無線から聞こえてくる声がどこか遠い気がする。


 達成感とは到底言えない、虚しさを伴った虚脱感が全身を包んでいた。


 うっすらと湿った服が、気持ち悪い。






 

















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