夢からさめて
切り落としたのは名前も知らない女の首。
しっかりと血抜きをしたから、血の一滴も出やしない。
脊髄や気道、動脈などが断面から見えた。
首が打ちっぱなしのコンクリートの床に落ちる。何の意味もなく足蹴にしてみた。
床から突き出した鉄筋にぶつかりながら転がっていく。鼻や目は潰れただろうか。あの憎たらしい八重歯は折れただろうか。
あれが生きていたのは、いつの頃だったか。
記憶が曖昧で、おぼろで、うまく思い出せない。
いや、これは、そうか、これは…。
夢の断片を思い出しながら、安西大夢は手早く夏野菜カレーの盛り付けをする。
米油で焼き色をつけたズッキーニをルーのよこに添えて、プチトマトの酢漬けをチキンコンソメとターメリックで色づけしたライスにのせる。
親や親戚から借金をして購入、改造をしたキッチンカー。コロナ明けの消費を当て込んでの、不動産業からの転身だった。
大学の頃から付き合っている彼女には反対された。飲食業の八割以上は三年以内に廃業している。
確かに厳しい業界だ。流行りや口コミ、ちょっとしたつまずきで客足は遠のき、経営は火の車になる。
しかし、挑戦したかった。
自分の料理と経営手腕で稼ぐ。一国一城の主。いずれは店舗を増やし、業態にもバリエーションを持たせてチェーン展開。
弱肉強食の世界だからこそ、その強者になりたかったし、なる自信が安西にはあった。
大きな夢だ。
そして、周囲の不安と彼女の反対を押し切って始めたキッチンカーは成功を収めつつあった。
すでに借金は返済した。反対していた彼女はコンサルタント会社を辞めて、いまは隣で手伝ってくれている。
デニムの前掛けをした彼女が保温器からタンドリーチキンをトングで取り出し、夏野菜カレーのうえに盛り付けてくれた。
「ありがとう」
お礼を言うと、サンダルの足で安西のふくらはぎを軽く蹴り、微笑んだ。
悪戯っぽく目を細める。八重歯が可愛らしかった。微かに彼女の、ココナッツに似た匂いがした。
夢を叶えつつある。
そんな充実感に満たされているのに、それなのに、なぜ、あんな、あんな…。
人体は関節に刃物を滑り込ませると、嘘みたいに簡単に解体できる。
肘も膝も、股関節も肩もだ。
骨スキ包丁のような厚みのある刃物ならば簡単だ。
難しいのは背骨だ。
頚椎から胸椎、そして腰椎から仙骨まで、まるで巨大な蛇のように連なり、噛み合っている。しかも、別個の生き物のように彎曲しているから刃物が入りづらい。
解体しにくいことこの上ないのだ。
だから安西は、背骨は手っ取り早く電動ノコギリで切断する。
あれの、残った胴体も、細かく解体するのが面倒だから電動ノコギリで切断した。
手足もそうすれば良いと思うだろうが、それは違う。
せっかくの楽しみを短縮する馬鹿はいない。
だから、胴体の切断を終えた安西は、鋭く研いだ骨スキ包丁を手に、あれの手足に取りかかった。
ああ、これは、いつまで、いつまで、続くんだ。
夢は安西大夢を追いかけ続けた。
なぜ、あんな血に塗れたものを見てしまうのか。
自分の中に暗い欲望があるのだろうか。
誰かを傷つけたい、なんて思ったことはない。
隣で眠る彼女に目を向ける。
暗闇の中で見る彼女はとても幼く見えた。まるで少女だ。
しかし、薔薇を思わせる匂いが彼女の性を思い出させた。
抜けるように白い肌、淡い色の乳首、細く引き締まった足首、艶めかしく唇を開くと、形の良い小さな歯が綺麗に並んでいた。
愛しいひとと、安西は彼女の頬に口づけをした。
何時間もかけて解体した手足を打ちっぱなしの床に並べて、眺める。
小麦色の肌とピンク色の筋肉組織の対比が毒々しい。こぼれ落ちる脂肪は薄い黄色だ。
瓶に入ったベンジンを解体したそれに振りかける。
石油に似た臭いが充満する。
この臭い、この感覚、この風景…。
これは、これは、これは、そうか。
夢を見ていた。
キッチンカーで夏野菜カレーやホットドッグやクラムチャウダーや、肉を細切れにした何かを売っていた。
爽やかな笑顔で、快活に、手際よく。
隣では彼女が手伝ってくれていた。
八重歯が可愛らしい彼女、薔薇の匂いがした彼女、小麦色の肌が眩しかった彼女。
そうか、そうなのか、なぜ気がつかなかったんだろう。
ここでは絞め殺した死体も、死体の血抜きも、切断も解体も遠い。あの血塗れの世界は遠い。
そうなんだよ、それは遠いよ。
だって、こっちが、
夢だから。
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