あのエレベーター 表

 いつの頃だったか、正確には思い出せない。

 小学校の低学年? もしかしたら幼稚園の頃?

 ひとりで行ったのだから幼稚園ということはないか。

 とにかく古い記憶だ。

 家から歩いて十分ほどのところに父が店を出していた。

 カウンター席が十三席ほどの小さな寿司屋。雑居ビルの三階。いま思えば不思議な立地だが、昔はそんなものだった。

 おおらかというか、大雑把というか。

 ある日、父が忘れ物をした。休日だったのだろう、その日、私は母と家にいた。

「お父さんに忘れ物を届けてちょうだい」

 ビニール袋に無造作に入れられた何かを渡された。幼い子供に忘れ物を届けさせる。今では考えられないが、昔はそんなこともあった。

 おおらかというか大雑把というか。

 ひょんなことから父に会えると、私も喜んでいたのかもしれない。

 母からビニール袋を受け取り父の職場に向かった。

 詳細な記憶はない。

 雑居ビルに着き、エレベーターで三階に向かう。

 薄暗いエントランスホールだった記憶がある。それほど大きな雑居ビルではなかった。

 エレベーターが到着して扉が開いた。

 中に、こちらに背中を向けた女性がいた。

 背中を丸めて、こちらに背を向け、降りる気配がない。

 どうしよう。

 幼心に戸惑った記憶がある。

 躊躇ったいると扉が閉まりかけたので、慌てて乗り込んだ。

 幼い子供には、エレベーターに乗ったままこちらに背を向けている人に、どう声をかけて良いのかまるで分からなかったはずだ。

 三階にはお父さんがいる。

 大丈夫だ。

 背後にいる女性のことを思うと心臓が破裂しそうだった。

 二階。

 あともう少し。

 三階。

 着いた。

 扉が開くと、私はエレベーターを飛び出した記憶がある。

 ホッとしたのだろう、エレベーターからだいぶ離れてから振り返ってみた。

 閉まりかけの扉の向こうに、じっとこちらを見つめる男性の顔があった。

 えっ?

 私のあとに誰かが乗り込んだのか。

 ちょっと恐い顔をした人だった。

 あの女の人は大丈夫かな。

 心配だったけれど、それよりも忘れ物を届けなきゃという気持ちが勝った。

 私は父に忘れ物を届け、ご褒美に握り寿司をいくつか食べさせて貰った。

 あのエレベーターでの体験は何だったのだろう。

 今でもたまに思い出す不思議な体験だった。

 

 

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