でれすけの手紙

 国道4号を右折すると右に小林畳店があった。子供の頃に嗅いだイ草の匂いが思い出される。須賀川二本松線と交わる交差点で信号に停められた。

「三十年前と何にも変わってないじゃないか」

 思わず声が漏れた。

 右には婦人用品店のかどや、道路をへだてて菓子屋の白河屋があり、その少し先は食料品を扱う金沢商店だ。昔は店先に赤い筐体のガチャガチャがあったが、今はないようだ。

 中学校卒業までいた田舎町。そこは三十年経っても何も変わっていなかった。

「俺と同じか」

 自嘲気味に呟いて車を走らせる。

 すぐに東北本線の線路が見えてきて、そして、JR杉田駅が現れた。まわりには郵便局と自転車置き場しかない。

 三十年前、何者かになると家を飛び出し、ここから電車に飛び乗った。

 何のあてもなく、何の目標もなく、いま思えば、何かになりたいという強い思いもなかった。

 それをオヤジには見透かされていた。

「何かになるなんて偉そうなこと言うなら、ここでその思いを見せてみろ」

 中学時代、部活も勉強も特に打ち込まなかった。ただ、自分には何かやれることがある、という漠然とした思いがあった。ここではない、どこかでは何かが出来るという幼稚な願望。

「ここでは無理なんて、お前はかつけてるだけだ。そんなもんは東京に行こうがどこに行こうが何にもなれん。ごせやげるわ!」

 オヤジの言うことには耳を貸さず、三十年前、ここから東京に向かった。

「でれすけが!」(馬鹿者が!)

 それが最後に聞いたオヤジの言葉。

 そして、オヤジの言うとおりになった。

 東京へは出たものの、ただ中学を卒業しただけの少年に出来ることなど何もなかった。

 肉体労働を転々とするだけ。そして十七歳、十八歳と時間だけが過ぎていく。

 気がつけば二十歳を過ぎていた。

 二十五歳が近づいてきた。

 三十歳のときにようやく就職したが、特に生活は変わらなかった。

 一度も実家には連絡を入れなかった。

 二つ下の妹、聖子にはたまに手紙を書いていた。妹は地元の高校を卒業後、福島市内の観光協会に就職、その七年後に同僚と結婚。今では二児の母だ。

 それに比べて俺は、

「でれすけだ」

 いまだ独身、仕事も惰性で続けているだけ。

 結局、何者にもなれなかった。

 オヤジの言うとおりだった。

 そんなオヤジが亡くなった。七十八歳。肝臓を悪くしていたらしい。長年の深酒が祟ったのだろう。

 それでも、オヤジは料理人として自分の店を守り続けた。二本松駅前の日本料理屋。四十年以上は続けただろう。六十五歳まで厨房に立ち続け、引退と同時に店を畳んだ。

 オヤジはこの田舎町で何者かになり、でれすけの俺と二児の母となった聖子を育て上げた。

 一生連絡はしない、などとは思っていなかった。自分も何かを成し遂げた、何者かになれたと思ったら連絡する。

 そんなことを思って一年が過ぎ、三年、五年と過ぎていき、気がつけば四十五歳になっていた。

 そしてオヤジは死に、二度と会えなくなった。

 オヤジが俺のことをでれすけと呼んだ歳まで、あと三年だ。とても敵わない。

 乗客が誰もいない杉田駅をあとにして、三十年ぶりに実家に向かった。


 数日前に交換したばかりの番号に、もうすぐ着く、とメッセージを入れた。聖子からは、待ってるね、と返ってきた。

 東北本線にかかった小さな踏切を越えると、右手は見渡す限りの畑になり、遠くに郡山台の丘が見える。

 中学生の頃、見るのも嫌だった風景。

 しかし今は胸が締めつけられた。

 すべての風景に、オヤジとお袋、そして聖子と俺の思い出があった。

 歳をとったものだ。

 左手に実家が見えた。

 やはり、何も変わっていない。

 車を停めて実家に歩いていくと、門の前にお袋と聖子が立っていた。

 お袋は二回りも痩せてしまっていて、聖子は一回りふくよかになっていた。

 ゆっくりと二人に近づいていく。

 聖子は肩を震わせているようだった。

 目を伏せて近づく。

 頭の中が真っ白だ。

 三十年間も音信不通で、オヤジの死に目に会えず、何が言える?

 二人の顔が見られず、目の前に来ても、顔を上げられなかった。

 すると、目の前に皺くちゃになった茶封筒が差し出された。

 驚いて顔をあげると、痩せたお袋が泣き笑いをしていた。

「あんたが出て行ってから、お父さんがすぐに書いた手紙」

 震える手で受け取る。

「聖子が連絡先を知ってるんだから、送ったらってずっと言ってたのに、あいつから直接連絡があったら、そのときに送るって言い張って、ついに送れなくて」

 封筒をあけて中から手紙を取り出す。

「あんたと一緒で頑固者で、いくら言っても今年は連絡がある、今年は連絡があるって言い張って。全くでれすけもいいところよ」

 手紙を読んで俺は膝をついた。

 止めどなく溢れる涙で濡れないように握り締める。

 手紙には短く、お前なら何にでもなれる俺の息子だからな、と書かれていた。

 お袋の足と聖子の足のあいだに、雪駄をはいたオヤジの足があった。

 俺は、まだ間に合うかな。

 オヤジに訊いてみる。

「お前はでれすけ(のろま)なんだ、まだまだこれからだ」

 俺はようやく一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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