霧の中のリトル・ダーリン

 ファットタイヤを一気に飲み干したドナルドは、空瓶をトウモロコシ畑に投げ捨てて放屁した。フォードのピックアップトラック、エコノラインに駆け寄る。

 また聞こえてきやがった!

 糞ガキが酔っ払ってかき鳴らしているような、エレキギターの騒音。

 ラジオのツマミを力任せにひねる。

 MBBC、MKFC、MQQQ、WKITとラジオ局が変わる。

 不快な騒音は聞こえなくなり、耳に馴染んだトーマス・レイシーの早口がラジオから聞こえてきた。

 レイシーはバンゴーで起きた自動車泥棒の詳細を早口でまくし立てている。

 紫色の煙なんて戯言よりはまだマシだ。

 ドナルドは助手席に放り込んであったファットタイヤの半ダースパックから一本、瓶を抜き取ると、中指にはめたボルトで栓を抜き、エコノラインに寄りかかってらっぱ飲みした。

 ラジオではレイシーが、バンゴーからエディントンに向かって雨雲が北上していることを告げていた。

 ドナルドはファットタイヤの香りを鼻で楽しみながら南西の空を見上げた。もっそりと生えた口髭にはビールの泡がついている。

 確かに、重苦しい雲が近づいている。

 さっさと家に戻ろうか。

 ファットタイヤの残りを目をすがめて眺めながめていたときだ。

 トウモロコシ畑の方向から機械の稼働音が聞こえてきた。何か巨大なものが動力で動いている音。

 歯車が噛み合い、ベルトが回され、巨大な物体が、これは、振り回されているのか。

 ドナルドは金壺眼でトウモロコシ畑を見つめた。

 乳白色の霧がこちらに迫っていた。

 霧に飲まれると、トウモロコシ畑はすっかり姿を消す。

 これはヤバいぞ。

 あれに飲まれたら、車の運転もままならない。

 飲みさしのビール瓶を投げ捨てて、運転席に向かおうとしたときだ。

 トウモロコシ畑から甘いハチミツの匂いがしてきた。それに混じって弾けたポップコーンの匂い。

 ドナルドはぽかんと口を開けて振り返った。

 目の前に、霧が迫っていた。

 飲まれる。

 思ったときは乳白色の霧に包まれていた。

 強烈な甘い匂い。そして、乳白色の中で明滅する色とりどりの電飾。すぐ近くを、のんびりと回る観覧車が通りすぎていった。

 ドナルドは金壺眼をぱちくりさせるのが精一杯だ。

 ケチャップやチキンを揚げた香ばしい匂いもする。

 頭のすぐ上をメリーゴーラウンドが通りすぎていく。くるくると回りながら近づいてくるのはパンチングマシンだ。あれは綿菓子機、クラウンの顔の看板も見える。

「ファンハウスだ!」

 四十七歳のドナルドは少年のような声をあげた。

 顔はいつの間にか満面の笑みだ。

 移動遊園地が、こんな田舎にやって来てくれたんだ。

 ドナルドはエコノラインから離れ、トウモロコシ畑に駆け込んだ。

 移動遊園地はニューポート、バンゴー、オールド・タウンと巡回するが、田舎町のエディントンはいつも素通りだった。

 移動遊園地がバンゴーに来てるんだよ、チャンスじゃないか、週末に行こうよ!

 いくらせがんでも、ドナルドの父親は連れて行ってくれなかった。父親は週末、地下室で溶けてしまうほどビールを飲むのが決まりだった。バンゴーまで車を走らせるなんてまっぴらなのだ。

 ドナルドは目を輝かせて、初めて見る移動遊園地の煌びやかな眺めに胸を高めた。

 そのときだ。

 あれが聞こえてきた。

 男性ボーカルたちの、うっとりするハーモニー。

 これだ、これだ、音楽ってやつはこれだ。

 ダイアモンズのリトル・ダーリン。

 リトル・ダーリン、リトル・ダーリン、どこにいるの。

 ドナルドは笑顔で周囲を見回す。

 風船が飛び交い、ホットドッグが湧き出てくる。

 あなただけのものだった、あなただけのものだった。

 ポップコーンにハチミツがかけられ、ファンハウスから女の子たちの笑い声。

 そう、あなただけ。

 空から射した銀色の光りがドナルドを包み込んだ。

 二百ポンドあるドナルドの巨体が宙に浮かんだ。

 リトル・ダーリンは鳴り止んだ。

 乳白色の霧ははるか上空へと舞い上がった。


 四日後。

 エディントンから三十八マイル離れたローエルの牧場の片隅で、内臓をくりぬかれ、血をすべて抜かれたドナルドの死体が発見された。

 一九七〇年八月。世界で初めて確認されたキャトルミューティレーションだった。

 

 

 

 

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