ウリヒメゴ奇譚

 まさか、こんなことになるなんて。

 誰も分かってくれない、それは予想できた。

 しかし、あんなことになるなんて。

 もう、体には力も血液もほとんど残っていない。

 地面に流れ落ち、土に吸われ、消えていく。

 これが、彼女のためになるなら。

 見下ろして、彼女の顔をのぞき込む。

 ああ、やっぱり綺麗だね。


 故郷の真秀呂で聞いた昔話。

 川で洗濯をしていたおばあさんが流れてくる胡瓜を見つけた。おばあさんは胡瓜を持ち帰り、ぬか床に漬けた。すると翌日、ぬか床には青々しい顔をした女の子がいた。

 おばあさんとおじいさんは女の子を育てることにした。名前はウリヒメゴ。

 ウリヒメゴは日に日に大きくなり、十日もすると美しい女人になった。ウリヒメゴを嫁にくれと、近在の村や里から男たちが殺到した。

 困ったのはおばあさんたちとウリヒメゴ。見た目は美しい女人でも、まだ生まれたばかりなのだ。言葉もろくに喋れない。どうしようか。悩みに悩んでいたら、ウリヒメゴはどんどんと歳をとり、あっという間に老婆になってしまった。殺到していた男たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。

 そして、おばあさんとおじいさんは覚悟した。そういう運命だったのだ。

 ある朝、ウリヒメゴは息絶えて、たちまち胡瓜のような骨になってしまった。おばあさんたちはウリヒメゴを生まれてきたぬか床に戻した。

 すると、次の朝、ぬか床から女の子の声が聞こえてきた。ぬか床には青々とした女の子が埋まっていた。ウリヒメゴだ。

 おばあさんとおじいさんは顔を見合わせ、笑顔になったあとに、涙ぐんで、悲しく目を伏せた。


 小さな頃から聞かされてきた。

 ウリヒメゴの昔話。

 大切なひとは、その人への思いと胡瓜の力があれば蘇るんだよ。

 ばあちゃんが言っていた。

 じゃあ、ばあちゃんが死んだら胡瓜の畑に植えればいいんだね。そうすれば蘇る。

 ばあちゃんは可笑しそうに笑いながら言った。

「やめてくれよ、死んだんならすっきりするんだ、もう一度生まれるなんて勘弁だよ。ばあちゃんは埋めなくていい」

 だから、ばあちゃんが死んだときは火葬場に送り出した。

 しかし、彼女は駄目だ。

 僕の大切なひと。

 愛するひと。

 ずっと一緒にいると言い合った。

 それなのに、逝ってしまった。

 だから、あの娘は、植えなければと思ったのだ。

 すぐに病院に駆けつけた。

 全身は無理だ。そんなことは出来ない。だから、僕は霊安室に駆け込み、彼女の頭を斧で切り落とした。

 悲鳴と怒号。

 彼女の母親が気絶した。父親が近くにあったパイプ椅子を振りかざして殴りかかってきた。僕は身を丸めながら掴んだ彼女の首を抱え込んだ。

 背中を打たれる。

 あまりの痛さに斧を取り落としてしまった。

 霊安室に大きな金属音が鳴り響く。

 僕は彼女の頭を抱え、霊安室の出口に駆け出す。

「娘を返せ!」

 背後で叫び声。そして、空気を切り裂く重い音。

 ドッと左側に衝撃。体の奥から裂けたような痛み。そしてまた金属音。左の背中に斧が突き刺さり、自重でまた床に落ちた。

 振り返ると、自分の後ろの床に夥しい血が流れ出ていた。斧を投げた父親は呆然としていた。

 僕は彼女を抱えて霊安室を飛び出した。


 そして、僕は、暗闇の中を、彼女を抱えて歩いている。

 胡瓜の畑に彼女を植える。

 そして、彼女は蘇る。

 それなのに、僕は、自分がどこに向かっているのか分からない。

 体から流れ出た血は、どれほどだろう。

 誰かが遠くで悲鳴をあげた気がするが、どうでもいい。

 彼女を植えなければ、蘇らせて、また、彼女の笑顔を見なければ。

 涙が溢れていた。

 僕はたぶん、そろそろ死ぬ。

 彼女を蘇らせたかった。それだけだった。何よりも大切なひと。うしないたくないひと。もう一度笑顔が見たかった。彼女にはずっと生きていて欲しかった。

「ありがとう」

 腕の中で声がした。

 驚いて見下ろすと、彼女が目を開いて、僕を見つめていた。

 唇がだらりと開いて、そこから声が漏れてきた。

「わたし、幸せだね」

 僕は彼女の頭を両手で挟み、唇を近づけようとした。

 そこで、世界が終わった。

 ウリヒメゴは確かに、微笑んでいた。

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