洗体

 ゴシゴシと洗う。汚れと垢をタワシで削ぎ落とす。

 ゴン、と棒で殴る。

 言えよ番号。

 飛び散る血と肉片。

 棒が汚れる。

 違うだろ、お前はB班の十六号。

 棒で殴る。

 後頭部が爆ぜる。髪の毛が飛ぶ。持ち手がぬめる。血で滑る。

 血はお湯で洗う。死体は熱湯が湧いた浴槽に押し込める。ゆで上がった死体は解体しやすい。

 血の池、地獄巡り、ゆで上げた死体、もげやすい死体、外れやすい関節、折りやすい骨、剥がしやすい皮膚。

 足元に転がる夥しい人体。肉片と骨と、髪の毛が残った頭皮。眼球は萎み、折られた歯は砂利のようだ。その中に転がる、あまりに小さな手のひらを見下ろして、ふっと正気だった頃を思い出してしまった。

 吸い上げられそうなほど澄み渡った青空。河岸段丘を利用して造られた水田は水鏡のよう。点在するイグネの中に守られるようにして建つ民家。

 あそこで父と母と妹は、今も暮らしているのだろう。

 血脂で汚れた手を見下ろす。

 かつて、農具を持って家業を手伝い、ペンを持って本をめくり、勉学に打ち込んでいた自分を助けてくれた手。

 盛岡の国立大学では理工学部で生命理工学を学んだ。情報分子生物学とゲノム情報解析で生物の腐敗の構造を研究した。

 生命活動を終えた肉や血管、脂肪はどのような過程で腐敗し、有毒な状態になっていくのか。

 優秀な学生、だったのだろう。

 在学中に国立の研究所から声を掛けられた。聞いたことがない研究所。卒業生の就職先リストにも載っていなかった。担当教授に呼び出され、興奮気味に言われた。

 国のために働いてくれないか。

 我が国は新しいステップに入ろうとしている。

 隣国の脅威は君も理解しているだろう。

 これはひいては国家の再建に関わる研究なのだよ。

 国際情勢に疎い僕でも、隣国が領土的野心を隠さなくなっているのは分かっていた。

 戦いはすでに始まっているのだよ。

 担当教授は興奮していた。

 国のために、故郷のために、あの美しい景色の中で暮らす家族のためになるならば。

 僕は大学卒業を待たずに研究所に入った。家族には飛び級で大学院課程に入ったと説明された。一度、帰省したとき、父は誇らしげにこの手を握ってくれた。この血脂で汚れた手を。

 そして僕は山奥の、巨大な温泉施設でこの仕事に従事している。

 景気が良かった頃、日本郵政株式会社が運営していた温泉施設だ。何十室もある客室には全国から集められた『棒』が押し込められている。

 各地の精神科病院から集められた身寄りのない患者や、児童養護施設から集められた『棒』たち。

『棒』は様々な実験に使われる。

 開発中の毒の実験、人間の皮膚はどれほどの擦過に耐えられるのか試す実験、白兵戦で負った傷を放置した場合、環境によって生存率や生存可能な時間は変わるのか調べる実験。

 僕はその『棒』をここで使えるようにする。

 体を洗い、汚れを落とし、場合によってはここで殺し、解体し、発注に合わせた形で『棒』を実験施設に送り出す。

 国のため。

 敵に勝つため。

 故郷を守るため。

 そのために、僕は『棒』を洗い、殴り、切り刻み、台車に押し込んでは、また『棒』を受け取る。

 あの小さな手は、あれは、いや、そんなはずはない。あれは棒きれ、昔、故郷でトンボを追いかけていた手みたいだけど、そんなことはない、あれは棒きれだよ。

 さあ、洗わなくちゃ。

 頭の中で、まだ世界が血の色で沸き上がる前に聞いていた声が言う。

 せんたい。

 そう、僕は今日も棒を洗う。

 せんたい。

 僕は棒を殴り、ぽきりと折る。

 せんたい。

 いいや、違うよ。

 せんたい。

 千体なんてとっくに過ぎてる。

 もう、数えることも出来ないよ。

 誰か、たす…。

 ダメだよ、国のためだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る