深淵より、ドアスコープから

 見ていると思っている人ほど無防備な人はいない。

 誰かを見つめている、誰かを観察している、私が見ている、僕が見ている、君を見ている。

 みんなそう思ってる。

 見ている、見ている、見ている、見ている。

 だから、見られていることに気づいていない。

 あなたはいつも見られているのに。


 ここを借りたのは、駅へと急ぐ人と、無防備に帰宅する人、その両方をしっかりと見られるから。

 築四十年の木造アパート。誰も見向きもしない寂れた一角。住んでいるのは、僕以外は老人ばかり。大家さんも八十をこえた、人の良さそうなおばあさんだった。

 だから、ドアスコープを改造しても、部屋に緩衝材を持ち込んで、防音にしても何も気がつかなかった。

 たまに顔を合わせたときに愛想良くしたら、好青年と勝手に思ってくれた。百円ショップで買ったカリントウを届けたら、まるで孫みたいだと勝手に感激していた。

 そして僕は今日もドアスコープから世界を見ている。

 寂れた木造アパートには見向きもせずに通り過ぎる人たちを。

 背後では、先週の収穫が泣いている。

 地元の信用銀行で窓口業務をしている二十七歳。ここに連れて来たときは香水の匂いがきつかった。

 今は自分の血の臭いをまとっている。

 そう、僕はドアスコープから世界を眺めている。

 誰も、見られていると気がつかない。

 みんな、無防備に通り過ぎていく。

 僕はドアスコープに眼球を押しつけて、次の獲物を探している。

 あっ、ちょっと好みの獲物が通り過ぎた。

 僕はドアスコープから目を離し、重い金槌を持ってアパートを出る。

 僕が住んでいるのは、あなたが通り過ぎた、そこですよ。

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