第三十一話 あの夜の残滓

 ​───ひび割れた罪石の家々、今にも落ちそうな木の看板、苔産し、緑混じらせる道。

 けれども、棄てられた、閑静な街という訳でもなく、その町並みは、この時間でさえ、どことない活気を感じさせる。


 そんな、ただでさえ歴史の匂いを濃厚に感じさせるロートの街並みは、この夕暮れ時には茜色に染め上げられ、もっと、経験したことのない、けれど“記憶の中のあの光景”を思わせる。



 そんな心地の良い、自意識に酩酊する様な町並みを抜けて訪れるは、古き良き街並み、茜色の街のウラ側。

 一足早くに夜闇に沈んだ、街の路地から、“更に進んで行った”場所。



 サークルクス墓地あの場所よりかは少し現代チックながらも、確かにあの場所と変わらぬ存在だと主張するような風​​────

 いや、生者の生を許さぬ死者の息吹を。

 骸のみを寄越せと泣き笑う冷たい声を、その錆び付いた鉄の門扉より吹き荒ばせている地下墓地カタコンベ



 そう、くだんの迷宮、【地下墓地ハデス】の入口へと私は来ていた。



 『ふむ​───、あヤツらは信用ならんから一足先に……という訳ではなさそうよな?アンリよ、このようなチンケな場所に2度も来る必要はあるまいて、今来てなんの用があるというのだ。』



 あくび混じりに響くモラグの声。「つまらない」という感情を少しは隠したらどうだと言いたくもなるが、無神経ノンデリは私の言えた口じゃない。


 先程のこともあってか、その様子に口出しすることなく、私はその質問に答えを返す。



 「まぁね。どうせ明日来るから、別に来なくとも良かったんだけど​────…ほら、もし黒い屍人がの彼らだったとして、何か、“私”にだけわかる以上があるかもしれないでしょ?」



 『ふむ…なるほど、確かに一理ある。​魔力や呪いなど、目に見えぬ者でも、その痕跡は色濃く個人を解き明かす故な。そしてそれは、個人を知っているからこそ、それを見つけることが出来ると言い換えることも出来るであろうさ────』



 『​──それで?なにか見つかったか?アンリよ。』



 そう聞かれては、くるくる、きょろきょろと、地下に収まりきらなかったのか、地上に立ち並んだ、個性豊かな墓の真ん中で周囲を十数秒見渡すも、私は直ぐに諦めがついたように、「ふぅ」と息を吐く。



 「それが残念。魔力も何も、めぼしいものは見つからないね。」



 「もう少し、地下に進めば話は​─────。」




 『待て。』




 ぴしゃりと、墓地特有の厳格さはあれど、緊張感の欠片もなかった雰囲気に冷水を被せるような、モラグの威圧的呼び掛けが響く。



 その変わった雰囲気に、私は既に、背負った剣の柄に指先をかけながら、周囲の警戒を行っていた。



 『な、居るぞ。』




 「うん、恐らく近くに。」



 短い呼び掛けも束の間、“ き ぃ゛… ”と、唸り声じみた、立てかけの悪い木扉を開く事が響いた。



 その内、人の現れるはずの玄関口より現れるは​────“奇妙”としか言えぬ、不自然な、影のごとき亡者であった。



 ​────輪郭は人型で、傷だらけのその肉体は屍人のように見えるものの、全身から絶え間なく溢れ、今もその身に纏わりついている漆黒の汚泥は、今にも夕焼けの影、夜闇に熔けて、この世界から消えてなくなってしまいそうな歪みを感じさせる。



 また、その者から臭う異臭​────血腥い鉄の匂いは、は、あの夜を私の脳裏に明瞭に思い出させ、手足に震えを呼び、嗚咽を強制させてくるようだ。



 「​────っ、…はっ、?……は、…は…っ…はっ!!」



 …なんで、どうして。唐突に、胸が張り裂けるほどに苦しくなった。山の頂上に置いてけぼりにされたように空気が薄くなった。

 その姿を見た途端に、手足の震えが止まらない、、また逃げ出したくなってしまう。

 また、目を背けようとしてしまう。



 ​つよさにかけていたはずの指も、ゆっくりと、自身を抱きしめようと、引き戻して​─────




 『​────前を見ろ馬鹿者ぉッ!!!!』



 普段の慶陽とした雰囲気に似合わぬ、落雷じみた激昂の様な怒鳴り声に、一瞬、怖気は飛ばされ、そして視界は前方の敵、既に振り下ろされていた黒い爪を捉え、長い修練による身体反射によって肉体はそれをすんでのところで回避し、勢い余った屍人の臀部を、後ろ蹴りで後方へと蹴り飛ばす。



 『​──…馬鹿者めが、何を震えている?何に怯えている!?お前は既に戦場に立ったのだ、剣を握ったのだ!不死者であれ何であれ、のだ!!』



 『それを経て、戦士となったお前が何を…っ!…戦場に立ってなお、怯えに支配されるとは…っ!!…それは、お前と戦ったものたち全てへの侮辱と知れ!!』



 「…ぁ、…だ、だって…いや、ちが…!ご、ごめんなさ​────!」



 吃り、言葉が上手く出ない私の声を、更に上書きするように、どこまでも響くようなモラグの声が再び響く。



 『謝罪など要らん、余は其れを求めてなどいない。…だが、一つだけ求めたぞ。お前に。』



 『​───もう一度言う。前を見ろッ!!……お前がは、やるべき事は、なんだ!』



 「…え?」



 その声に、私は前を向く。気付かぬ間に涙が溢れ返り、嫌な汗が入って、痛くて、怖くて、開きにくくなっていた目を無理やりに開けさせて、言われた通りに、前を見る。



 そこにいるのは、やはり、私の友人を、父を、故郷のみんなを弄ぶように殺した、あの黒い屍人。



 ​───そして、その右手に、乱雑に髪を掴まれた、傷だらけの老年の女性。



 …思えば当然だ。あの屍人が出てきたのは民家の中。

 金も食料も必要としない屍人が人間の住処に侵入するなんて、その【目的】はひとつしかない。

 “被害者”は、既に出ているはずだったんだ。



 『おうともさ、その目的は、生あるものを殺すことしかないだろうよ。…だが、のう、見てみよ。あの老婦人は運が良いようだ。』



 ​──あの日の村では、ハーレンさんを始めとしたみんなは、家の中で、逃げることも許さずに、遊ぶように殺されていた。

 だが、今回はどうも違うらしい。



 今、地べたから立ち上がろうとしているあの屍人に髪を掴まれ、今も引き摺られている彼女は、頭と両足から酷く出血し、意識を失っているものの、まだ息はある。



 『で、あるな。…さぁ、三度目を聞く必要はあるまいだろうが​───アンリ。…あの日を乗り越え、あのしみったれながらも強き老騎士の元で、激しい修練を乗り越えた、我が愛しき戦士よ。』




 『お前のすべきことは!!何だッ!!!』







 ​────” ギ ィ ン ”




 …重く、冷たく、けれども激しい【爆炎】を秘めた長刃を、一瞬にして引き抜いて、私はその剣先を、虚ろを夢見る屍人の額へと向ける。



 ​───その剣先に、手に、もう震えはない。




 「私の…、ボクの名は!!アンリ・パラミール!!…英雄を目指すものとして、お前を打ち倒し、その人を救う!!!」



 …大きく叫んで、身体が少し温まった。

 ​───今やつの見てみれば、怖くともなんともない!なんとも笑える間抜け面!


 であれば、恐れることなど何もなし!



 「​───…さぁ来い!!あの日の恐れごと、ぶった斬ってやるからさ!!!」

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