プロローグ・終 そして英雄譚は始まる
『あの会話』を終えて、目を覚ました時、ボクは生暖かく、また血腥い蕩けた死肉の中で目覚めた。
皮膚に纏わりつき、視界を包み込む赤黒いスライム状の肉塊は、最早どれが
それを自覚すれば、ボクはこの死肉の中であったとしても、喉を震わせ、深く息を吸い込む。
現実を受け入れるために、新しく、前を向くために。
呼吸し、そして1拍すら置かず、"あの音"が鳴り響く。
─────これは…!あの女が使う、あの
瞬間、鼓膜を突き破るような金属音が鳴り響く。
死ぬ。
ジャンさんが、みんなが助けてくれたこの命。無駄にする訳には行かないとは思いながらも、確かにそう思った、だが、ボクはまだ生き残っている。
『…一体、何が。』そう思いながら、ボクは瞑目していた目を開ける。
其れは───余りにも黒い、宛ら漆のような、或いは闇夜を取り出したような、そんな斧槍。
「─────あ。」
思わず、声が零れる。
そうだ─────ボクは、託されたんだ。
なのに、死んだ貴方に、また守られた。
ボクは────。
情けない。とはもう言わない。ボクはあの人にとって、…いや、みんなが胸を張る程の人間らしいから。
だから─────!!
そう思いながらボクは斧槍の柄に指をかける。
其れに触れた途端、ボクの脳内に其れの使い方、記憶、技術─────
この斧槍────いや、黒槍『
常ならば、その重量から持ち上げることすら出来ない其れを、10回。意図も容易く、そして刹那の内に振り回す。
それにより、飛来してきていた3発の血の弾丸は切り落とされ、ただの液体として地面に撒き散らされていく。
だが、今はそんなことはどうでもよかった。ボクの目に映るものは、視界から消えていくボクの…─────
肉片が散っていく。肉塊は、もはや目視すら不可能なまでの大きさとなっていく。
無論、これは態とだ。遺していてはならない。
だって、それは躊躇いになるから。
だから、これは
────ありがとう、
あとは任せて。
ボクを覆い隠していた屋根が消え、視界に広がったのは満天の星空。そして、少しだけ欠けたお月様。
──明日の祭では、きっと綺麗な満月になっていたのだろう。
ジャンおじさんと、アンリと…屋根にでも登って、たわいのない話に花を咲かせていたのだろう。
アンリがおじさんに花を渡して──────それで互いに、きっと恥ずかしがって面白いくらいに赤面するだろうから、それを笑って見て
あとは─────
──────もう、いいか。もう
だって、これは
もう有り得ない話なんだ…。
だからボクは、"叶えられる
「誰だ。」と目の前の女が口にした。
思考でも読んでいるのか?と思うようなお膳立てだ。
なら、ボクは胸を張ってこう答えよう。
「─────ボクは、英雄になるものだ!」
叫ぶボクに気圧されるように、目の前の女は1歩後ずさる。
ボクや
全力で足を踏み込ませ、"彼"のように、一瞬の内に距離を詰める。
光る黒槍を首に一閃。まずは"小手調べ"。
女は目を見開きながらも腰を背後に80°ほど曲げては回避する。
常人には明らか無理な挙動。分かっていたとはいえ、やっぱり化け物なんだな。
と自分で言うのもなんだが驚くほど冷めた感想が浮かぶ。
とはいえ、予想はしていたのだ。
そのまま畳み掛けるように、背後に穂先を振り終わった黒槍を、其の儘ぶん回し、遠心力に任せて女の腹部に追撃を叩き込む。
「─────ぅ゛っ!?」
両断するつもりで振りかぶった斧槍は、確かに女の腹部に大きな傷をつけたものの、傷口からどくどくと溢れ出した血が一瞬で凝固し、そして盾のようになったが故に、その刃を阻まれる。
然し、岩を砕く程のその衝撃は確かに伝わり、女を、ゴム毬かのように、放物線を描いて吹き飛ばす。
その溢れんばかりの衝撃が故に地面を跳ねながら転がった女は、まともな受け身すら取れずに地の上で呻いている。
────隙を許すな、早くトドメを刺せ!
そう、頭に声が響いたような気がし、足を叩きつけるようにして再び女に距離を詰める
然し、女は此方に指を差し、いつの間にか残りの少なくなった屍人達へと命令を出す
「ぅ゛、うぅ…ッ!何をしているの!?其奴を此方に来させないでッ!!」
黒の汚泥を撒き散らしながら、いつの間にか錆びた剣や鉄槍を構えた屍人達が此方へと襲い、迫ってくる。
────だが、不意打ちならまだしも、ただの屍人など、最早足止めにもならない。
立ち塞がる屍人を、足を止めるまでもなく刃の腹でその胴体部を横凪に押し潰しながら薙ぎ倒す。
そして、そのままの勢いで尻餅を着いている女に、容赦なく切返しの斧槍を叩きつけるだろう。
「【呪血弾丸】────ッ!!」
再び金属音が響き渡る。
何と、女は迫り来る刃に合わせるように例の魔法を放つ。
そして威力を抑えながらも呆気なく散らばる血を、しかし再び凝固させては血の盾とし、ギリギリの防御を行った。
そんなことも出来るのか。と何処か感心する様に目を丸くしながらも、それを何とか押し通ろうと上から力を込める。
─────だが、流石に吸血鬼に膂力で及ぶはずもなく、押し返しによって背後へと後ずさることとなるだろう。
肩で息をしながら、女は信じられない様なものを見るような目でこちらを睨みつける。
「────有り得ませんわ!!その戦闘力の向上…っ!『律』の芽生えとしか思えない…っ!!」
奥歯がギリギリと悲鳴をあげるほどに女は口を噛み締めながら此方を、怨嗟のこもった目で睨みつける。
─────その目をすべきなのは、此方だろう。
と、心の中で呟きながらもボクは『不必要に神経をさかなでる必要も無い』と思い直し、別の言葉を投げかける。
「…『律』?…何を言っているんだキミは。…いや、それよりも…!」
「キミは誰なんだッ!何故ボク達の村を襲う!?」
怒りにか、或いは腹部の鈍痛にか、方で息をしながらも、女は態とらしく鼻で笑う。
「あら?そんな事を聞いて何になるのかしら?…貴方は此処で死ぬって言うのに。」
おどける様にそう言いながら、「まぁいいですわ。」と言葉を続ける。
「───こんなクソ田舎です物ね。知らないのも無理はありませんし、弱者をいたぶる趣味もありません。」
────そんなクソ田舎を、何故襲う意味があったんだ。
と叫びたくなる気持ちを留めては口の端を結んで押し黙り、ただその目を見ながら言葉を聞き続ける。
その様子を見れば、先程までの怒りは何処へやら、此方の悶々とした様子に気分を良くしたのか、悪辣にニヤつくような面で、勿体ぶるように話し出す
「────私達は旧き規律を撤廃し、新たなる規範を知らしめるもの。」
「弱者、貧者、卑者、罪人を蔑み、"強者、富者、賢者、正人という義"こそを広める教導者達。」
「我らによってのみ、世界は一段階上のレベルに押し上げられる─────」
「───教導者の名を『新秩序』。貴方方、
「そして
「──さぁ、私の名を知ったその幸福に、酔いしれなさい?」
「…じゃあ、ヴラヴィ。何故ボクたちの村を襲ったんだ?」
歌う様に、女───いや、吸血鬼ヴラヴィは話す。
だが、無駄な情報には耳を傾けず、ただ冷静な目でボクはそのまま気になった事を声を返すだろう。
「────何故貴方の様な
怪訝そうな目…と言うよりかは誤魔化すように目を背けた顔で、ヴラヴィは聞き返す。
…推測ではあるが、他の様子には躊躇いなく答えた事、そしてこの顔を見る限り、恐らく彼女もこれの答えを知らないのだろう。
────そして、大人しく質問に答えてくれた原因であろう腹部から発生している白霧(恐らくは再生能力の作用であろうか?)が今止まる。
「────ではそろそろ!」
と言い出したヴラヴィの声に被せるように、ボクもまた声を出す
「待て。聞いた事はもう1つある。」
それを聞いたヴラヴィは「はぁ?」というような顔をし
「───ですから!何故私がそのような事を貴方に…!」
「────そんなに情報をボクに知られるのが怖いの?」
「…それとも、偉大な吸血鬼様に限って有り得ない話だとは思うけれども─────」
「ただのクソ田舎の人間に、慈悲をあげるほどの余裕も無いの?」
「新秩序の吸血鬼には。」
「…は?」
またしても食い気味に被せるように、そして強調するようにそう呟けば、『ビキッ』と何かがキレる様な音が鳴る。
セイル自身、意識して放った訳では無いのだが、その一言はヴラヴィの逆鱗をこれでもかと撫で回す事に等しく────
─────その「ビキ」と音を立てる事となった原因、とてつもない量の青筋をこれでもかと浮かせたヴラヴィは
「…あぁ、ハイハイ!分かりましたわよ!慈悲を上げますわ!…ですが、これで正真正銘最後ですわよ!!」
とヒクヒクと口角を震わせながら、無理やり作ったような笑いで答える。
…やっぱりか。
と内心で思いながら、余計なことは話さずに、最後の質問を投げかける。
「最後の質問だけど─────君の言う『律』って何だい?」
────律。ヴラヴィの言い分からして、其れはボクみたいな一般人を、彼女のような怪物に匹敵する程まで引き上げるような物らしい。
肉体鍛錬でも、魔法の習得でもない。そんな簡単に強くなれる物があるなんて眉唾物の話だが
だが、現にボクは彼女と張り合えている。
その直接的な原因は『
────"あれ"の起こった原因が、律という物ならば…きっと…。
「─────ま、確かに貴方はそれが気になるでしょうね。」
拍子抜けだ。とでも言うように、向かい合った吸血鬼ヴラヴィは肩を竦める。
「でも残念。其れは何奴も此奴も──────特に、雑魚の人間共に誰にでも目覚めるような代物ではありませんわ。」
その言葉にボクは少し目を見開かせる。…言いたいことをわかっていたか。
そうだ、これさえあって、覚醒方法を理論づけられれば────きっと、この村のような悲劇はもう起こらない。
全員が全員満足な戦闘技能を持って、どの様な脅威にも最低限の防衛を可能とできるだろう。
…だが、それはどうやら
「まぁ、こんな事。教えてあげても意味なんてありませんが…知りたいなら教えてあげますわ。」
「律。其れは生物に定められた在り方─────つまりはその個体の
「つまり、本来は誰もが持っているものなのですわ。」
「でも、普通の生物なら誰もがそれを眠らせている─────」
ヴラヴィは苦虫を噛み潰したような顔で"まぁ一部例外の怪物は居ますが。"と挟むも、すぐに言葉を続ける
「────ですから、それを目覚めさせる必要がありますの。」
「そして、其れが発生しやすいのは生命の危機…或いは自己崩壊の危機────つまるところ、自分の価値観が壊されるような事態の時ですわ。」
彼女がそこまで言ったところで、ボクは暗澹とした表情をし、ヴラヴィを睨みつけるように、その話を聞き続ける
「───あら♪どうやら分かった様ですわね。そうですわ、貴方が思ったような事が無理な理由。」
ボクの様子に、ヴラヴィは上機嫌に口角を釣り上げる。
「其れはその生命の
「それに、この村を見れば分かりますでしょう?それをしても、目覚めるのは砂漠の中の砂から、一粒の硝子片を見つけるような確率ですのよ。」
…こんな事を知っても意味が無い。
とんでもない正論だ。
何も言えずに、ただ歯を食いしばってボクは押し黙る。
ヴラヴィはフン。と満足気に鼻を鳴らし、そして掌から血を零し、そして凝固させる事で、血で構成された
「呪血弾丸に意味が無いことはもうわかりましたわ。─────なら、判りやすく切り結びで殺して差し上げましょう!」
ヴラヴィは、セイルに勝るとも劣らない速度で地面を踏みつけ、そして"空中で加速する"ような不可思議な挙動で瞬間的に距離を詰め、単純な速度のみに破壊を任せた、長剣の突きをセイルの胴体部へと繰り出すだろう。
「────ぐぅ…っ!!」
ギリギリで岩融を防御に構えるも、衝撃を殺し切れずに地面を両の踵で抉りながら、後方へと飛ばされる。
岩融の黒鉄の
両手の骨の軋む音に顔を歪ませながらも
────然し、今までの戦闘方法。そして、この一撃を体感する事で、セイルは内心とある事を確信していた。
追撃に、といつの間にか距離を詰めていたヴラヴィは、そのまま長剣を振り上げ、
が、それはいとも容易くすれ違う様に躱され、ヴラヴィは、そのまま背部への切り払いによって大きく体勢を崩される。
「───う、ぐぅ゛ぅ…────クソ!触れるなぁッ!」
背部からどくどくと血を流しながら、ヴラヴィは異形に尖る犬歯を見せながら恨めしげに唸っている。
やっぱりか。
この女────吸血鬼ヴラヴィは、単純な戦闘力で言えば弱いとは言えないものの、ジャンおじさんやボクと比較すれば、…より…ほんの少し、だが確実に弱い。
考えてみれば、ボクも、そして当然おじさんも、一対一の切り合いの状況下で言えば、一度も下手を取ることは無かった。
不覚を取るのは、いつも部下の横槍だったり、不意打ちじみた作戦だったりで────
…警戒を怠らなければ、確実に勝てる。
***
あの打ち合いからもう剣戟を数十合は打ち合わせ、そして十手は彼女────ヴラヴィ自身の肉体に打ち込んだ。
その度に血による自動修復であったり、呪血弾丸による牽制であったりで時間を食ったが───────
ヴラヴィ「────う、うぅ゛…っ!」
最早、ボクに相対する
***
どうして、どうしてこんな目に─────!?
なのに…ッ!なのに!!
目の前の────己の100分の1も生きてはいないであろう
違いは、違いはただ律の有無だけなのに…ッ!!
────そうだ、私の律はまだ目覚めてはいない。
何十の死に至る怪我を経験しても、何百の国を滅ぼしても、何千の村を焼き払っても、何万の人間を殺しても────ッ!!
私の『律』は、目覚めなかったッ!!
それなのに…ッ!このガキはッ!意図も容易く…ッ!!
肩で息をする私に、忌々しいこの人間は、再びの攻撃を振るう。
攻撃を防ぐ。
一切の躊躇なく、戦闘の経験も、殺しの経験も無い筈のガキは、捲し立てるような追撃を行う。
重い腕を無理やり動かし、何とか防ぐ。
然し、構成した長剣は砕け散り、ただの液体として地面に散らばった。
───傷口を塞ぐほどの血がない私は、最早剣の構成すら間に合わない。
…なんで、なんでなんでなんでっ!!
心の中で叩きつけるような激昂を上げる。暗澹とした焦りと恐怖を燃やし、怒りに変える。
だが、体はそれに応えない。情けない呼吸が出そうになるも、貴族の意地としてそれを抑える。
─────巫山戯るな。
私は、私は『血の貴族』、『夜の帝王』である吸血鬼だぞ!?
今頃は私の故郷────湖の古城で、同じ吸血種の皆と仲良く人間の血を啜っている筈だった。
なのに、何故、何故私は人間風情に追い詰められている。
溢れる愚痴と、悔やみを吐き出すようにしながら…、然し、意識を外してしまったが故に、人間の放つ続け様の攻撃を胴体部にもろに受けてしまう。
どくどくと流れ落ちる
ヴラヴィ「─────っ!!─────っ!!」
もう、私は咽び泣く事しか出来ない。父様も、爺様も彼奴に敵わなかったから、私は今こんな屈辱を受けている。
私のせいじゃないのに。父様が、爺様が、仲間のみんなが弱かったせいなのに─────ッ!!
この村で得た、
そして、そんな私に対し────この人間は。
セイル「……。」
────やめろ!やめろやめろっ!そんな目で見るな。私を…ッ!人間が…!!
其の儘数分の時が静寂の内に過ぎていく。
────こんな時になって、腐れ屍人共は何をしているんだ。
私が、司令官の私がこんな目にあっているのに、何時まで人間共で遊んでいる?
あの家の完全破壊を含めたとしても、とっくの昔に終わっているはずなのに。
愚痴と役立たずへの憤怒に心を燃やしているその時─────
────音が、聞こえた。
───────そうか、そうか。そうかそうかそうかッ!!
あの化け物に古城を奪われ、氏族の殆どを作業のように虐殺され、犬のように酷使され、そして律も目覚めず、下っ端として活動している内に神を信じなくなっていた私なのだが────
────我らの
溢れ替える喀血をどくどくと吐き捨て、私は捨て犬のような、愛くるしい懇願の瞳で人間の目を見つめる。
ヴラヴィ「────ごめん、なさい。」
セイル「───────は?」
ヴラヴィ「─────助けて…ください」
セイル「…何だと?」
人間は、目を見開き、驚くような視線でこちらの瞳を見返した。
ヴラヴィ「──────私は、私は無理やり従わされていたのです…。」
ヴラヴィ「─────本当は、貴方と同じように、氏族のみんなと…暮らしていたかっただけ…なの…。」
悲しげな、悲しげな。捕虜となった奴隷のように、引き絞るような声で私は訴える。
────実際、この言葉に嘘はない。
全てが真実だ───────無論、私の"暮らし"で
セイル「一体…何を言っているんだ…?」
怒りか、或いは同情か?どちらでも構いはしないが、好都合だ。
感情が揺さぶられたのなら───────狙い通りだ。
ヴラヴィ「─────言葉の、通りです。私は、…ただ殺されるのが怖かったのです。」
ヴラヴィ「────手を下したのは私です…でも、でも分かって欲しいのです!悪いのは、本当の悪は、私では無いという事を!!」
セイル「…なら、なら何故ボクらをあんなに…あんなに簡単に殺した!?」
セイル「本当に君が奪われた側だったのなら…!!」
セイル「────なんで、なんでボクらの気持ちを想像することができなかったんだ!?」
ヴラヴィ「─────確かに、貴方達の気持ちは分かっていましたわ!…でも、殺されるのが怖くて…怖くて…。」
ヴラヴィ「…────本当に、ごめんなさい…っ!」
セイル「────っ!…ふざけるなっ!!ふざけるな!!お前達のせいで、おじさんは死んだ!!…恐らく、村のみんなも殺したんだろう!?」
セイル「なのに今更─────今更!!そんなこと─────ッ!!」
卑怯だ──────。でしょうね。
その通り。でも、勘違いしていることがありますわ。
無論、
────奪われた側の気持ちは分かりましょう。父が目の前で敗北する屈辱も分かりましょう。
でも、違いがある。貴方方は、負けるべくして負ける種なのですわ。
…分かります?その甘さも、怒りに震えるその感情も、全て不要。全てが劣等。
だから貴方方は、負けるのです
────来ますわ。私の、勝利の女神。
暗い路地の中から、足音が鳴る。
そして、鈴を鳴らす様な、子供特有の甲高い声が響く。
アンリ「─────セイル?」
ハッとするような顔でセイルは路地裏から現れた少女の姿に目をやった。
─────そして、視界の隅から現れる吸血種の影にも。
ヴラヴィ「────あぁ、感謝致しますっ!真祖っ!!私の…私の獲物…っ!!」
飛び出す影が狙うは、やはり
この騒ぎの中、走る愚か者の足音が!!
私の
理性よりも先に飛び出す体で、セイルは、沸騰するような激情を、憤怒を溢れ返らせる。
────懇願も、涙も!!全てが
セイルは
だが、彼は知らなかった。
血も涙もない、冷たき化け物。
人間と分かり合えない
セイル「やめろ─────っ!!」
夜の村にて慟哭が響く。
─────この村においては特別でもない、他愛のない、ありふれた話。
その一瞬で、風吹くように、流れるように、いとも容易いひと吹きで、一人の命が花を咲かせて消えていった。
***
彼女を助ける速度に至るには、あの
だから、捨てた。
だから、防げなかった。
腹を貫く病的なまでに白い手を見下ろす。
─────もう、駄目か。
自身の目の前に仁王立ちする少年を、臀を着いて見上げながら、少女は恐怖と困惑に、唇を小刻みに震えさせる。
1拍遅れ、花束が地面に落ち、どくどくと流れる血に染まっていく。
アンリ「─────え、え?…なんで?…セイル?」
悪辣げに、そして老獪に笑う
────然し、小さく漏らすような声と共に、ボクの体はもたれ掛かるように何かに引っかかる。
────あたたかい。
その感覚を不思議に思うと、どうやら彼女が受け止めてくれたようだ。
ありがとう。と軽く言おうとするも、声に出ない。
ただ喉から零れるのは、堰を切ったように溢れる血だけだ。
朧気に見上げる視界の中、映るのは呆然とした表情で、ただ目尻に貯めていた涙を決壊させる彼女。
─────心の中から、おじさんに、ずっと、忠告されてたのに。
油断した…なぁ。
─────トドメを、早く刺してたら、
…でも、それはやっぱり、出来ないや。
ただ暮らしていたかった。って…涙を流す、あの吸血鬼の顔が、アンリに…見えたんだ。
もう、本当なのかも分からないけど、でも、どうしても…無理だった。
話し合いで終わるなら、それの方がいいしね。
────分散し、薄弱となっていく意識の中、響く泣き声が気になって、もう一度、アンリの─────大好きな子の顔を見る。
─────ごめん。ごめんね。アンリ。
─────どうか、泣かないで。
どうか、笑って。悲しいなら、ボクが笑わせるから。
いつもみたいに、笑わせるから。
だから、笑って
ジャンおじさんと話して、そして、自分と向き合って────気づいたんだ。
"英雄"に、強さはいらない。
ただ、大好きな人の笑顔を守って、みんなの、大好きな人を守る。
それだけすれば、英雄なんだって。
────いつになってもいいからさ。もう一度、心から笑ってほしいな。
────それだけでボクは、英雄になれるから。
***
どうして?どうして?…セイル、なんで倒れてるの?なんでそんなに血を流してるの?
なんで、私を庇ったの?
どくどく。どくどく。と、溢れる血から聞こえる死へと誘う鼓動の音色が鼓膜を叩く。
ダメだよ。そんなに血を流しちゃ死んじゃうよ。
そう言おうと喉を震わせるも、溢れるのは過呼吸気味な私の呼吸だけ。
傷口を抑えれば、熱い火傷しそうな血が私の手を焼く。
でも、抑えないと。死んじゃうから、セイルが、セイルが死んじゃうから。
赤色に染め上げられていく、土だらけの花束の横で、私は必死に傷口を抑え続ける。
すると、セイルが動いて、その手に触れる。
その手は、凍えそうな程に冷たい。
蒼白になったセイルが、絞り出すように一言だけ零した。
「─────ごめんね、アンリ。」
それを区切りに、セイルは体をどっと重くして、そして蒼白だった顔は、生気のない士気色に染っていく。
─────死んじゃったお母さんと同じ、あの色に。
「ぅ、あ、あぁ…!!あ゛あ゛あ!!」
なんで、なんで私は泣いてるの。なんで私は叫んでるの。
まだ大丈夫。助かる。助かるよ。アンリ。
私が、私が居るから。お父さんが居るから。
村のみんなが、きっと────助け…に。
不意に、脳裏にハーレンさんの顔が過ぎる。
やめて、なんで。このタイミングで。やめて。
私の望み通りに働かず、今まで通った声と顔を想起する、自身の脳に懇願するように私は咽ぶ。
傍目を気にせず、
────まだ、きっと誰か居るんでしょ、?
…家の前の黒い血の中で浮かぶ、お父さんがいつも首から提げていた、銀のロケットペンダントも、きっと落としちゃっただけなんでしょ?
癇癪を起こしたように人を呼ぶ私の視界に映るのは、知らない、死体のように蒼白で、心胆が凍える程に冷たい目をした────セイルを殺した、女の人だけ。
「────呆気のない幕切れでしたわね。」
つまらなそうに、目の前の彼女はそう呟く。
「────まさか戦えない人間を庇って死ぬだなんて、死ぬ時間が遅れるだけではありませんの。」
「────とはいえ、あの人間と私にあったのは少しの戦力差。人一人の血を吸って強くなった私なら、どうせ時間の問題でしたわね。」
鼻で笑うように目の前の女の子は言う。
─────セイルの事を言っているのか。
憎悪と憤怒が心を包む。
でも、私がそれを表情として出すことを、溢れ返る涙と恐怖と、セイルの死の要因となったという罪の意識が許さない。
噎せ返り、そして大粒の涙を、血のように熱い涙を、どくどくと流しながら。
然し、視線だけは振り下ろされる手からは離さず。
ただただ、私は心の中で呪詛を紡ぎ続けた。
───許さない。絶対に、死んでも呪ってやる。殺してやる。…と。
負け犬が、その場から立ち去る勝者の背に対してのみ永遠と吠え続けるように。
叫ぶしかない奴隷が、ただそうするように。
『─────でも、私は死ななかった。』
あの時の記憶は、今でも鮮明に脳裏にこべりついている。
私が死を覚悟したその時。
高速で振り下ろされた吸血鬼の手が、寸でのところで、不意に両断される。
両断したのは、夜に輝く月明かりのように、淡く輝く
其れを振るったのは、黒い煤と、黒い血を全身にこべりつかせた、白鎧纏う巨躯の老騎士。
先程までは絶対に存在していなかったその存在が、確かに振るわれたあの手を────
────"高速で振るわれている最中に、近づき、両断する"という作業を終えたのだ。
────それからは正しく蹂躙であった。
凝固し、襲いかかる血の刃や弾丸を、意に介すことなく捌き、切り捨てながら騎士は吸血鬼に接近、肉体のどこかを両断を繰り返す。
両断部位から溢れ出すように白霧を放ち、時を巻き戻すように再生するものの、次の瞬間にはどこか別の部位が消失している。
それを繰り返しながら、吸血鬼の体は、段々と再生が追いつかなくなっていき
そして、その傷の数を刻一刻と増やしていく。
────死んだ。と思っていた私は、ただ呆然と見ているしかなかった。
怨敵が刻まれていく様に、何の感慨も抱くことは無かったか。と聞かれればきっとそうでは無いが。
濁流────いや、それどころか津波の様に押し寄せる情報の量に、まだ幼い私の脳と意識は理解が追いつかなくなっていたのだ。
最後の一撃か、傷だらけとなり、片腕と腹部の右半分を失った吸血鬼は、建物へと蹴り飛ばされ
「───ふ、巫山戯…るな…ぁ…っ!わ…私は…私は【新秩序】の尖兵でしてよ…!?」
「ふ、ふふふ…!き…貴様のような老いぼれ、【新秩序】がすぐに殺しにくる…、か…彼らが、そして何よりも私が…!貴様を許しはしませんわ…!」
と口にし、足元の影に飲まれるように、忽然と消え失せた。
それを見終わった時、いや、あるいはそれから少し経った後だろうか?
とにかく、私の意識は失われていた。
────次に目覚めた時には、私はあの老騎士の背中に背負われていた。
大きな背中はあったかくて優しくて…でも、だからこそ寂しかった。─────お父さんはきっと死んだんだろうって、飲み込むことが出来たから。
そして私は、大いに泣いた。
何も出来ない、それどころか、好きな人を死なせた自分の弱さが悔しくて
───ずっと望んでいた
泣いて、泣いて。小さくなって消えていく私の村を見て、また泣いて。
老騎士さんがもうちょっと早く来てくれたら、みんな死なずに済んだのに────なんて、巫山戯たことを考えて
そんな私が、どうしようもないほど情けなくて、私はまた泣いて、そして再び意識を失った。
***
それから私は、石造りの、置物のどれを取っても高級感のある、大きな屋敷のベッドで目を覚ました。
隣には、椅子に座って
名前をスカイというお爺さんが座っていた。
私が寝ている間、ずっと、ずっと看病をしてくれていたらしい。
また自分が情けなくなっている中、スカイさんは「お腹が減っているだろう。」とご飯を振舞ってくれた。
暖かい食事は、嬉しかったけど、悲しくて、でも、もう泣くことは出来なかった。
私の涙は、もう枯れていたから。
スカイさんに色々なことを聞いた。
「本当に言ってもいいのか。」と聞き返されたけど、お願いしますと頭を下げて、全てを聞いた。
まず、
お父さんも、セイルも、おばさんも、おじさんも、みんな、みんな、みんな死んだ。
そしてスカイさんは、どうやらサリラおばさんと、お父さんの友達だったらしい。
だから、私の事も聞いていた。
「強い子」だって。
それに乾いた笑みしか出なかったのは、きっと、私が思っていたより薄情者であったからだろう。
お父さんの期待にも、信頼にも答えられない。
薄情者であったからだろう。
全てを言い終わった後、スカイさんは私に聞いた。
「君が望むなら、この家でずっと暮らしてもいい」と、そして、その上で────
「───君は、これから何がしたい?」
と。
それを言われて、初めて私の未来を意識した。
淡く望んでいた
だから、私はすぐに決められた。
薄れる記憶で聞こえた、あの女の声。
『新秩序』。
お前を、お前たちを、決して逃がしはしない。
それが唯一残った、他の人たちを見捨てて生き残った私の進むべき道だから。
村のみんなを見捨てた
それを聞いたスカイさんは「────そうか。」とただ一言だけ答えた。
その悲しそうな顔に、私は謝ることすらしなかった。
ごめんなさい。
***
───そして、あれから5年の月日が過ぎた。
復讐を望んだボクに、スカイのお爺ちゃんは武術、魔法、
彼の知る限り、全ての技術をボクに詰め込んでくれた。
────そしてボクが14歳となって2ヶ月ほどが過ぎた日。
"あの日"から、丁度5年。
最後の《魔法》をボクは修めて、そして旅立ちの日が来た。
「────じゃあ、おじいちゃん。行ってくるね。」
あの日、ボクを助けてくれた刃を磨くこの人の後ろ姿に、ボクはそう声をかける。
スカイお爺ちゃんは此方を向かず、ただ天井を見上げ
「───元気でな。」
と一言だけ口にした。
────涙ぐんだ声が聞こえた。でも、ボクはそれに答えることが出来なかった。
だって、この旅は、きっと元気で終わることができるものじゃないから。
帰ってこない返事に、スカイは困ったように頭を掻き、もう一言。
「───こんな事言っちゃ、ジャンの奴に怒られるかもしれんがな。」
「儂からしてみりゃお前は────間違いなく、自慢の娘だよ。」
飛び抜けるほどに優しげな声に、"私"は枯れた筈の目尻に涙を浮かべ
「────うんっ!」
と、噛み締めるようにそう返し
それを
────鉄製の、そして
初めは重くて開けられなかったけど。今では軽々と開けられるようになってしまった─────。
そんな事実に、少し笑って…そして広がる青い空に、太陽の光に透けさせるように胸の"銀のロケットペンダント"を掲げ見る。
「───お父さん、セイル。ボク、そろそろ行くね。」
ボクは、苦難の数々が待ち受ける旅路に、ついに踏み出した。
───之は、ボクが復讐を志し、そして全ての不幸を打ち砕くまでの物語だ。
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