第24話 ビニールプール/枯野に彩光

 見渡す限りの枯野を、ひゅうと鳴く風が吹き駆けていく。晩秋を通り越し、彩りも抜け落ちた冬の始まりで留められているここは、立冬の村の外れ。できるだけ孤立を望んだ私のための古民家が建つ、静謐と閑寂を約束された冬の平原。

 ほとんど変わることのない景色を、硝子がらすの嵌った障子戸越しに眺めつつ、ほとんど毎日送られてくる手紙に目を通す。紅葉と片眼鏡モノクルが含まれた紋の封蝋と、紅葉の透かし模様があしらわれた封筒に便箋。丁寧な字でつづられるのは、私がここに住めるよう計らってくれた友人の言葉。この里に時の流れは無いようなものだが、昨日の分の手紙で、今日ここを訪ねると言っていた。


氷雨ひさめさま。ニシキさまがいらっしゃいます」


 ちょうど読み終えた手紙をしまったところで、同居している二人のうち、片方が呼びに来た。銀色の髪に瞳、深い青緑をした松の木が、模様として織り込まれた水干をまとう童子。答えて立ち上がれば、すぐさま先導を始めてくれる。

 この子ともう一人もまた、友人からの贈り物。不便がないようにと作られた、遣いの人形だ。差し色の赤い髪飾りや紐飾りを揺らめかせ、ぱたぱた歩いていく後ろ姿は、とても人形と思えないけれど。

 到着した客間では、既に囲炉裏いろりへ火が入っている。掘り炬燵ごたつにもなっているため、傍に行って腰掛ければ、さらに温かさが増した。ぬくぬく温まっていれば、間もなく、もう片方の童子に連れられ友人がやって来る。ぱたりぱたり、ぎいぎい。足音がすぐに聞こえてくる。


「氷雨さま。ニシキさまをお連れいたしました」

「やあ、どうも」


 障子戸を開けて現れたのは、金色の髪に瞳を持った童子と、明るい茶髪に片眼鏡を掛けた女性。二人とも服の色合いや、差し色が赤なことも相まって、秋をつれて来たようだ。童子の方は次の役目を果たすべく立ち去ってしまったが、ニシキは何やら大荷物を伴って、掘り炬燵に腰掛ける。


『何を持っていらしたんですか?』


 諸事情あって、私は自分の声を封じているので、持ってきた書簡しょかんに問いを代弁してもらう。筆を走らせれば、その字ごと浮かせつつ喋ってくれる優れものだ。大抵は面食らわれてしまう話し方だが、すっかり慣れているニシキは気にせず、「よくぞ聞いてくれた」と胸を張っている。


「人の世が夏真っ盛りなことは、きみも知っていることかと思う。なので、きみができそうかつまだやっていない夏の遊びを体験させるべく、やって来たというわけだ」


 言いながら、そして座ったまま、ニシキは大きな荷の包みを解いていく。まず現れたのは、ずいぶん彩り鮮やかで、ぺったんこなもの。ビニール素材でできているらしく、囲炉裏の火明かりを受けて艶めいている。

 他に出てきたものは、申し訳ないけれど、ガラクタにしか見えなかった。用途が分からないからそう見えるだけで、ニシキが理由もなくガラクタを持ち込むなんてことはないだろうけれど。


「ふふ、困惑しているね、氷雨。まあ少し待っていてくれ。準備するから」


 不敵に笑って、ニシキは用途不明物と、彩り鮮やかで平らなものを手に取る。用途不明物は胴が蛇腹のようで、長い管が一本伸びていた。その管は平らなものへと繋げられる。

 言われた通り座ったまま、待っている私の前で、ニシキは用途不明物を踏み始めた。すると平らなものが膨らんで、大きくなっていく。時間をかけ、最大まで膨らんだそれは、透明な桶のようだった。


「これはビニールプールと言ってね。通常は中に水を入れて、水浴びをして涼を取るのだけれど、さすがにそれはしない。まあ後で水は入れるが、その前に別のものを入れる」


 にやり、また不敵に笑うと、ニシキは用途不明物――こちらはポンプというらしい――を仕舞い、他に持ってきていた物のうち、箱詰め袋詰めの大半を開封しては、ビニールプールとやらに入れ始めた。よく見れば玩具おもちゃや置き物、駄菓子の類をごちゃ混ぜに入れている。

 空箱や空袋はもう畳むだけと分かったので、私も片付けを手伝った。紐でまとめたり、用意されていた大きな袋に詰め込んだり。それが終わると、ニシキから棒状の物を渡された。どうやら、簡易的な釣り竿らしい。


「手伝ってくれてありがとう、氷雨。お礼も兼ねて、いざ、夏のお遊びといこう。とりあえず手本を見せるね」


 私が発言せずとも、ニシキは汲み取って動いてくれる。簡易的な釣り竿はあちらも持っていて、ビニールプールの傍らに座るなり、色んな物がごちゃ混ぜの中へ釣り糸を垂らしていた。

 狙っているのは生きた魚ではないので、ちょうどいい引っ掛かりを狙い、釣り糸が動かされる。やがてニシキが釣り上げたのは、鳥の形をした玩具だった。長めの紐が付けられており、半透明の胴体には粒のようなものが入っている。


「こんな感じで、好きなものを釣り上げていくのさ。人はこれをお祭りなんかでやってる」

『なるほど、では私も』


 引き寄せた書簡に返答を書いてから、私もビニールプールの傍に座った。いろんな品物でがしゃがしゃとした海の中、引っ掛けられそうなものをつぶさに探す。そうして目に留まったのは、がぱりと口を開けているさめの玩具だった。

 そろそろ、慎重に糸を垂らしていく。ギザギザの牙に縁取られた、真っ赤な口の中へ。手製なのだろう、本物ではない釣り針は、鮫の牙に引っ掛かった。持ち上げると重みが感じられて、不安定に揺れているのも感じられる。慎重に、慎重に。

 かくして、鮫の玩具は、私の手の中へ収まった。簡略化されて、妙な愛嬌がある鮫。口の部分をパクパク開け閉めすると、喋っているようにも見える。


「おめでとう! その調子でどんどん釣ってくれたまえ。釣りの成果はそのまま、きみと童子たちにあげよう。ちなみに私が取ったものは、そのまま私がいただく」

『勝負のようですね。でも、なかなか難しいですから、どれくらい取れるのやら……』

「「ご心配は無用です!!」」


 さらさら書簡に書き付けていると、すぱぁんと音がして、後ろの障子戸が開け放たれた。弾かれるように振り返ってみれば、何故か手提げの桶をそれぞれ片手に持った童子たちが仁王立ちしている。


「氷雨さまには、キンとギンが付いておりますので!」

「ニシキさまより多くの戦利品を得られるよう、ギンもキンも頑張りますので!」

「きみたち、元々は私に作られたってこと忘れてない? さすがに三対一は多勢に無勢だと思うんだけど」


 桶を置くなり、私の両脇を固める童子たちにも釣り竿をあげつつ、ニシキが抗議する。しかし童子たちは「それはそうですが、氷雨さまに仕えておりますので」と言って譲らず、けっきょく三対一での釣り合戦が始まった。

 不利を訴えていたニシキは、慣れもあってか一人でも大量の品を獲得していく。こちらも協力しつつ、玩具や駄菓子を取っていく。夢中になっていたら、たちまちビニールプールは空っぽになっていた。代わりに、戦利品の山が四つ、それぞれの傍に現れている。


「ははは、どっちが勝ったか分からないが、楽しんでいただけたかな?」

『ええ。でも、こんなにたくさん貰ってしまって良いのですか?』

「もちろん。ここは寂れているのが良いとは言え、何もなさすぎるのはつまらないだろう? キンとギンもいるし、気を紛らわせるものはたくさんあった方が良いかなって」

「キンもギンも、氷雨さまがいるならそれで楽しいのです」

「ギンもキンも、氷雨さまがいるならそれで嬉しいのです」


 きっぱり言い切る二人に、ニシキは微妙な苦笑をしていた。「まあ、問題なく動いているね……」と、複雑そうな顔で呟きもしていた。

 しかし、ニシキの暗い顔はすぐさま払拭される。残っていた袋から、またも彩り豊かな品々を取り出しつつ、童子たちが持ってきていた手提げ桶を傍に置いた。


「また少し時間がかかってしまうが、待っていてくれ。こちらも夏の遊びに必要なものなんだ」

『では、品物を片付けておきますね。ニシキのものも、袋詰めにして構いませんか』

「おっと、すまない。お願いするよ」


 童子たちと協力して、玩具と駄菓子を分けながら片付けていく。ニシキは髪を後ろで結び、また道具を使って何かを膨らませているようだったが、ビニールプールを膨らませた時よりずっと集中していた。どうやら、膨らませる中に水も入れているらしい。

 あらかた片付けが済む頃、ニシキの準備も終盤に差し掛かっていた。まん丸く、口を紐状の物で縛った水風船をビニールプールに並べ、外の庭へと持ち出していく。移動させた理由は、問う前に分かった。事前に言っていた通り、ビニールプールに、手提げ桶の水を全て注ぎ込んでいたので。


「よし、完成だ。三人とも、釣り竿を持ってきたまえ。ヨーヨー釣りと洒落込もう」


 ヨーヨーというのは、水風船の名前らしい。蜻蛉玉とんぼだまのようなそれは、玩具と駄菓子よりも断然少ない。けれども、中天に日を頂く枯野の中できらきら輝いて、人の世の夏を垣間見ているような気分にさせてくれる。

 いつの間に取ってきたのか、童子たちが用意した手ぬぐい数枚をお供に、再び釣りが始まった。量の少なさもあって、先程よりものんびりと。

 水風船の口を紐で縛っているのは、釣るためかと思いきや、指に引っ掛けて遊ぶためでもあるという。庭に降りて、最初に釣ったニシキが手本を見せてくれたので、私も釣れた水風船から水気を拭ってから、真似をしてみた。

 伸び縮みする紐に合わせて、水風船も上下する。ばしゃりばしゃり、涼しげな水音が響く。生憎ここは初冬で留められているため、恩恵とまではならなかったが、感じられる楽しさは変わらなかった、と思う。


「気に入ってくれたかな、氷雨」

『……はい。楽しいです』


 首肯が先に出てしまって、書簡を介するのが遅れてしまった。それが逆に、私が楽しんでいることを証明してくれたけれど。

 相変わらず私の両脇を固めてくれている童子たちも、水風船を気に入ったらしく、様々な方向へ伸ばして遊んでいる。一個だけでなく、数個まとめて扱うなんて器用なこともしていた。ニシキもできそうだけれど、一つだけで満足しているらしい。


『ニシキ。ありがとうございます』


 水風船を携えつつも、すらりとした立ち姿で佇む友人に、礼を書き伝える。ニシキはいつもの通り、なんてことなさそうな笑顔をして、「どういたしまして」と返してくれた。

 ……私は折節の里や、ここと繋がる人界よりも、平穏が儚い世界から逃げてきた。だからこそ、安寧に満ちた生活をくれて、時たま色づかせてもくれるニシキは、大切な友人であり恩人でもある。それを思い返すたび、礼を書き伝えずにはいられない。

 いつか、ちゃんと声で伝えられたらなと思うけれど。楽しく過ごすことが、ニシキの喜びに繋がることも知っている。だから私も、いつも通り笑った。ニシキが咲かせてくれる色が、幸せをくれるのだと伝えるために。

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