第25話 報酬/取り引き
この世界における、明治と大正なる時代の作りだという喫茶店。入口上部に吊り下げられた看板には、葉の形をあしらった装飾と、店名なのだろう「闌」「TAKENAWA」の文字。発音すると「たけなわ」という聞こえになるらしいここが、探していた人物が持つ拠点の一つだという。
ドアを開けると、からんからんとベルの音が降ってくる。氷を前にしたかのような、ひんやりとした風が流れ出してくる。貸してやるから持って行けと差し出された日傘をお供に、蒸し焼きにされるかのような炎天下を歩いてきた体にとっては、最上級の癒やしだった。感動して突っ立っているわけにもいかず、素早く入ってドアを閉めれば、さらなる涼気に包まれる。
「いらっしゃいませ。アレン・フォイル様でお間違いないでしょうか」
すぐ前方に見えたカウンターから、年配の男性が出てきたかと思うと、こちらの名前を確認してくる。話はもう通っているのだろう。頷けば、マスターらしき男性は「こちらへ」と案内してくれた。
濃いめの灰色をした髪を後ろへ撫でつけた男性は、背が高く姿勢も美しい。控えめな銀色の丸眼鏡も、ベストにエプロンを合わせた姿もよく似合っている。彼の背ばかり視界に映るので、目的の人物が席で待っていたことは、案内が完了するまで分からなかった。
「こちらのお席になります。では、ごゆっくり」
既に先客が待っていたことに内心驚きつつも、その向かいに腰を下ろせば、男性は一礼して立ち去った。
飲み物と一緒に待っていた先客は、聞いていた通り、左目に
「どうも、こんにちは。先も確認されただろうが、
「はい。メテアスタ王国第二等魔術師、アレン・フォイルです」
「肩書までどうもありがとう。私はニシキという。きみがお探しだという、アデレイド・アメトリンの保護者だ」
互いの名前を確認できたところで、マスターが水を持ってきてくれた。すっかり体は冷やされていたが、乾いている。がっつくような見苦しい姿を晒すのは気が引けたが、早々にグラスへ口をつけた。
「この世界の夏は、猛暑が普通になりつつある。外聞なんて気にせず、水は飲んでおくべきだよ。さもないとあっさり倒れてしまうからね」
「でしょうね。恐ろしく暑くて驚きました。水や氷、風の扱いに長けた知人を召喚したいくらいです」
もっとも、この暑さでは、召喚した瞬間に溶けてしまうかもしれないが。
水分も得られたところで、改めて姿勢を正す。別の世界までやって来た目的――宝石魔法または魔術に携わる者の間でまことしやかに
「高貴なる魔女の首飾り、または、自由な宝飾品と謳われる、アデレイド一族の魔力が保存されたアメトリン。その保有者は貴女なのですね、
「んー、ニュアンスが違うな。私は彼女の保護者だよ。それからMsも違う。ややこしくて申し訳ないが、私にとって性別は有って無いようなものでね。そういった呼び方が定着している場所からの客人には、
にこり、親しみやすい笑顔を向けてくれる隠者殿は、しかし底知れなさを
「ま、私のことはともかく。最初に訊いておかないといけない質問がある。貴殿は、この世界にどれくらい滞在していられるのかな?」
「アメトリンをお受け取りできるまでは、帰還しないつもりでいます」
「よろしい。それならまだ話が聞ける。いやぁ、一日二日で手に入れようとか思っていたら、門前払いしていたところだよ。それくらいの覚悟がないと、うちのお姫様の視界にさえ入れない。こちらにもこちらの契約があることだし」
軽い調子で笑っている隠者殿だが、その内実には確かな重みがあるようだった。世界が違えど名の
「質問を続けよう。こちら側が決して譲れない要望として、物を大切に扱うという項目があってね。これには、アメトリンを消耗品として扱わないことも含まれている。アメトリンは、あくまで魔女から譲り受けた魔力を引き出し、貸してくれるだけだ。それでも良いのかい?」
「……どういった感覚か分からないので、何とも。しかし、消耗品として扱わないことについては、お約束できるかと思います」
「何故? 貴殿の魔術は、宝石を消耗しない形式だからかな」
「そうですね。消耗する形式もありますが、取っていません。単純に出費が
一応、研究成果の論文は、他人に見せられるよう準備できる。隠者殿にも見ていただいたところ、解消の仕組みについては納得してもらえたようだった。
「なるほどね。ひとまず、貴殿は信頼に値するだけのものをお持ちなようだ。目の奥に
「狂気的な純度……?」
「うん。いるだろう、そういう人。正気を貫いているはず、正論を説いているはずなのに、正道とは言えない道を行くような。目が曇っているのではなく、一点を見すぎて他が見えていない人」
「ああ……」
確かに覚えがある。知っている姿や伝聞が、色々と頭をよぎった。
隠者殿の片手がストローを摘み、飲み物をかき混ぜる。真四角の氷とグラスの触れ合う音が、からころと
「貴殿も何か飲まない? ここは守りや、面接のためだけに設けている場所じゃないんだ。私が飲んでいるコーヒーはもちろん、色んなお茶、ジュースがあるよ」
守るための場所というのは、薄っすら感じていた。ここには明確な防御壁が張られ、作り上げられている。まだ警戒は解かれていないのだろう、じんわりとした拒絶の痺れを、肌で感じ取れる。
とはいえ、せっかく勧めてもらったので、お言葉に甘えて飲み物を頼んだ。馴染みがあるものもたくさん見受けられたが、「まっちゃらて」なるものが気になったので、それを。
「さて。きみはどうやら、真っ当な魔術師さんであるらしい。なので、アメトリン譲渡のための第二関門、第三関門についても説明しようと思う。道のりは長いよ?」
「問題ありません。覚悟はできています」
「よろしい。ではまず第二関門についてだが、きみに色々とお題を出して、それをこなしてもらう。採取、解消、生成……簡単ではないが、きみの心根が揺るがないかどうか、確かめるための試練だ」
そういったことも承知している。こちらとて、様々な試練をくぐり抜けているのだ。諦めないことには自信がある。
「試練を完遂してもらった後は、また面接だ。今度は私ではなく、アメトリン自身にきみを見定めてもらう」
「……訊きそびれていましたが。アデレイド・アメトリンは、人と会話ができるのですか」
「できるよ。何なら普通に人の姿も取っている。本人曰く『妖精』らしいがね」
あっさりと言われたが、それだけで宝石に宿っているのだろう魔力の膨大さが窺える。目指してきた宝石が持つ力、その強さに、改めて背筋が伸びた。
それからもいくつか説明を受けたところで、頼んでいた飲み物が運ばれてきた。柔らかな緑の上に、白い泡が乗っていて、見た目も美しい「まっちゃらて」。恐る恐る、ストローに口をつけて
「ふふふ。どうかな、お味は」
「美味しいです。知人にも飲ませてあげたいくらいですね」
「帰る時が来たら、お土産として持って行くと良い」
「それは嬉しい。良いモチベーションになります」
「あはは! そう簡単に帰る気がない姿勢、大変結構。こちらも試しがいがある」
楽しそうな隠者殿の笑顔は、子どものように無邪気で朗らかだった。片眼鏡や隠者という呼び名もあって、知的かつ物静かな印象だったが、本質は愉快なひとなのかもしれない。
「試練をこなしている間は、この喫茶店に滞在してくれたまえ。その方が、お互いに都合が良いからね。飲み物の美味しさはもうご存知だろうが、食べ物も美味しい。試練をこなした際の、最高の報酬として提供できるだろう」
「ありがとうございます。お世話になります」
隠者殿だけでなく、カウンターでグラスを磨いていたマスターにも頭を下げる。あちらもすぐに気づいて、会釈を返してくれた。
「では、先に一つ契約を。試練を完遂する前に、アメトリンを奪われるわけにはいかないからね。行動への制限と、過ぎた行為への罰則が自動的に発動する術をかけさせてもらう」
異論はない。頷けば、隠者殿はこちらの左手を取った。冷房とグラスとに冷やされてか、ずいぶんひんやりとした手。そこへ、隠者殿の腕を伝う黒い蛇の影が現れたかと思うと、こちらの腕を伝って首までやってくる。
束縛を目的とした術だからだろう、不快感は少なからずあった。蛇がぐるりと首に
「普段は見えないから、安心してくれたまえ。見えたら誤解されてしまいかねないからね。だが、貴殿が無礼を働こうものなら、警告のためにすぐ現れる。それを無視したら」
とん、と。こちらの左手から離れていった指先が、隠者殿の首を指す。「胴体に別れを告げよ」と、言外に示している。
「貴殿は、久しぶりの好青年だ。期待しているよ。……ああ、言い忘れていた。くれぐれも、アメトリンのことを『報酬』とは表現しないように。あの子は物だが、自由な意思がある。貴殿に渡されるのではなく、貴殿の功績を認めて、手を取る物だ。それを忘れないでくれたまえ」
微笑みを浮かべたまま、焦げ茶の双眸には底知れなさを宿して。隠者を名乗るひとでなき存在は、静かに告げる。それに見合った覚悟は、こちらもとうに持っている。
「肝に銘じます。改めて、よろしくお願い致します、ニシキ殿」
真っ直ぐに見つめ返して、答える。取り引きは成立した。後は、こちらが耐え抜きやり遂げる。それだけだ。
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