第20話 甘くない/合う合わない

 ニシキというのは基本、誰のことも好きな奴であり、交流の輪を自ら広げていく奴でもある。そんな奴にも苦手な存在はもちろんいるし、早々に縁を切るところも見たことがある。

 だが、ニシキにとってタツキは苦手な存在とはいえ、縁を切るほどの相手ではない。その辺りの、関係における複雑な感情とかは、人間が描くものと同じだ。ニシキはタツキが苦手だけれど、認めているところや、好ましく感じるところも無いとは言えない。何なら、仲良しとしか見えない時だってある。その上であれだけ拒絶しているのは、ただ一点、合わないところがあるゆえだ。


「お前は無駄なことばかりするな、ニシキ。もっと効率的に生きろ。お前にはそれができるはずだ」

「お生憎様だが、お前にとって無駄なことは、私にとって無駄じゃないんだ。お前こそ他人の生き方に口出しするのは控えたまえ。いつか刺されても知らないぞ」


 一緒に活動することを、主にニシキの方が避けていたが、どうしても組まないといけなかった時は、そんな言い合いばかりしていた。無駄を好まないタツキにとって、多くと触れ合うニシキは非効率的に見えていたし、大切なものが多いニシキにとって、合理的すぎるタツキは気に入らない存在だった。

 先も言ったけれど、おれはニシキより自由な身じゃないし、いつもニシキと一緒だったわけでもない。だからおれが知るよりも、ニシキとタツキの間には色々あったのだろう。協力する時は協力するが、譲れないことだけは譲れず衝突。そういうことを、何十回と繰り返していると思う。

 一度、おれはその衝突を見たことがある。どういう話だったかは忘れたが、切り捨てるか、切り捨てないか。そういう取捨選択の話で、二人が口論になった。


「不要ならば捨てる。役立たないなら捨てる。何故そんな簡単なことができない」

「早計だと言っているんだ。冷静になれ」

「こちらは至極冷静だ。いつまでも残骸を捨てられないお前の方が、よっぽど情にやられて見苦しい」


 振り返ることなく進むタツキと、適度に振り返って進退を繰り返すニシキ。相性が悪いのも頷ける。それでも完全に縁が切れることはなく、腐れてもなお繋がっているのだから、縁というのは不思議なものだ。


「――だから、まあ、あの二人は険悪でこそあるけれど、お互いに理解している関係でもあるんだよ。どちらも長生きだからね、角が取れたというのもある」


 一般的な人間の家庭にあるリビング。そのテーブル越しに語りながら、つい苦笑が浮かんだ。角が取れても、ニシキからタツキへの邪険な扱いは変わっていない。もっとも今回は、てっきり帰っているかと思ったら居座られていたわけなので、ニシキが怒鳴り声を上げたのはそちらが原因だが。

 昔話を話すきっかけとなった、愁灯庵の新顔である真雁くんは、純朴そうな顔に驚きを浮かべている。両手にそれぞれゼリーと匙を持っているせいで、何だか間が抜けているが、妙な愛嬌を感じられなくもない。


「ニシキがきみとタツキの交流を好まなかったのは、切り捨てるのが当然な考え方に触れてほしくなかったから、だろうね。もちろん悪い考えじゃないし、ニシキもそれを分かっているだろうけど、タツキはニシキと比べたら、冷たすぎるし甘くない」

「そうね。だから、アメリもタツキは苦手よ。とってもお洒落だけど、残念ながら駄目だわ」


 カタン、と小さな音を立てて、机上に空のカップが増えた。真雁くんの隣に座り、いつの間にか彼のお姉さんになっていたという宝石ちゃんもまた、タツキとは相性が悪い。タツキは物を使い切って捨てる潔いタイプだが、逆に言えば、物に愛着を持たないタイプでもある。宝石ちゃんの苦手なタイプだ。

 真雁くんは考え込むような顔をしつつ、まだ半分残っているゼリーを食べ進める。彼にとっては、呑み込んで理解するまでに時間がかかるのかもしれない。そんな真雁くんを、宝石ちゃんが穏やかに眺めていた。まさに、弟を見守る姉のように。


「あーーー、酷い目に遭った。やっとご飯だ」


 なんとなく始まりかけた長閑のどかな時間は、疲れ切ったニシキの声が入ってきて早々に終わった。どうやら、タツキを追い返すのに成功したらしい。

 何故か男の姿になっているニシキは、しわしわの顔で、よろよろテーブルにやって来る。ぐったりとニシキが椅子へ座り込むのと入れ替わりに、真雁くんがキッチンから、ラップの掛かった冷やし中華を持ってきた。気が利く子だ。


「お疲れ様でした、ニシキさん」

「ごめん梓くん、ありがとう。いただきます……」


 疲れていても合掌を忘れず、ニシキもまた冷やし中華を食べ始める。聞けば、冷やし中華は夏の盛りな人の世へ向かうニシキのリクエストだったらしい。時間が経っているせいで、想定通りの気分とはいかないだろうが。


「うん、美味しい。どうだい瀬々楽せせらぎ。二人の作る料理は美味しかっただろう」

「美味しかったよ。ついでに泊まっていっていい?」

「もちろん。そう言われるのも予測済みだ」


 だんだんと元気を取り戻しながら、ニシキはいつものように笑う。その姿を斜め向かいから、真雁くんがじっと見ていた。またも放っておかれる羽目になったゼリーは、しかしあと少しで食べ終えられそう。


「ニシキさん」

「ん、何かな」

「タツキさんとのことを、お聞きしました。瀬々楽さんから」


 大して驚くような様子もなく、ニシキは平然としている。まあ、ニシキと旧知の中であるおれがいるのだから、そういう話になるのも予測済みだっただろう。「だろうね」と相槌を打っているし。


「私が激怒していた理由も、分かったかい?」

「はい。その上でやはり、自分はニシキさんに拾っていただけて、良かったと思います」

「急にそういうこと言うなよ、ときめいちゃうだろ」


 分かりやすく声を弾ませて、ニシキはあっさりと上機嫌になった。こいつ、こんなにチョロかったっけ。真雁くんが良い子というのを抜きにしても、何だか緩くなっている気がする。

 試しに、硝子の器に残されていたトマトへそっと手を伸ばしてみたら、空いている方の手で弾かれた。良かった、腑抜ふぬけてまではいないらしい。


「いやはや、それにしても。驚かせて悪かったね、梓くん。瀬々楽も、私とあいつの不仲を知っているとはいえ、目の前で失態を晒して悪かった」

「気にしなくていいよ。真雁くんにとっては、珍しいものが見られたわけだし。ね?」

「はい、珍しかったです。あまり見たくはありませんでしたが」

「うんうん相変わらず良い子だねー。喧嘩始まったら大盛り上がりする連中とは大違いだよ」

「全くだ。なんだ瀬々楽、きみも梓くんの良さを知ってくれたのか」

「ニシキと宝石ちゃんが可愛がる理由は、よく分かったよ」


 すっかり元気になったらしいニシキが、すいすい冷やし中華を食べ進める傍ら。やっとゼリーを食べ終えた真雁くんが、おれや宝石ちゃんが空にした容器も集めて捨てに行ってくれた。ニ回目になるが、気が利く子だ。


「ところで、結局お迎えはどうなったの? 来てくれたんだろうけど」

「来てくれたっていうか、呼び寄せたんだがね。そちらもそちらで後始末があるのは承知しているが、こちらに一人派遣することくらいできるだろうって。愚痴愚痴ネチネチ言っていたら、折れて一人遣わしてくれたよ」

「嫌がらせじゃない。でも、アメリも同じことしたわね、きっと。アメリもタツキは苦手だもの」


 呆れ気味な顔のまま、宝石ちゃんが恐ろしいことを言うし、ニシキも頷いている。これでニシキが女性の姿をしていたら、女って怖いねーとか何とか、余計な口が滑っていたかもしれない。ちなみに、ニシキが男の姿に変わっていた理由は、女の姿だとタツキが鼻で笑ってくるからだとか。あいつもあいつで大人げないな。

 綺麗に晩ご飯を平らげたニシキもまた、自分で食器を洗い片付けると、残っていたゼリーを持ってきた。様々な果物がぎっしり詰まって、賑やかな色をしているゼリーは、いかにもニシキが好きそうな外見をしている。どことなく、ニシキの目も輝いているようだった。


「……何だね、きみたち。そうじっと見つめないでくれたまえ。照れるじゃないか」

「そうは言っても、おれたちみんな食べ終わっちゃったし」

「そうね。気にしなくていいのよ、ニシキ。アメリたちはただ見てるだけだから」

「ええ、お気にならさらず」

「無理だよ。せめて談話していてくれ。せっかく瀬々楽がいるんだしさ」

「じゃあ話そうか。ニシキの交流絡みの失敗談諸々を」

「待てきみ、私の恥を晒すな。いやまあ、人との交流は甘いだけじゃないというのを伝えるには、最適かもしれないけども」

「学びがあるなら良いじゃないか。それじゃあどの失敗談から話そうかなぁ」


 隣から、悶え苦しむ一歩手前のような声が聞こえてくるが、無視する。止めたいなら全力で止めにくるだろうから、話されても多少は耐えられるのだろう。ニシキはわりと心が強いし。

 かくして、漂っていた不穏気味な空気は完全に払拭され、ニシキやおれにまつわる昔話お披露目会が幕を開ける。時にわっと盛り上がりながら、話をするのは愉快で。常秋の夜を越しているというのに、夏の短夜を駆け抜けるような。童心なんてものはないけれど、懐かしいところへ帰るような。楽しい心地に浸りながら、愁灯庵での夜は更けていった。

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