第19話 爆発/見知った顔
「――なんっでまだいるんだよーーーッッ!!!」
愁灯庵へ帰って来るなり、ニシキさんは怒り心頭とばかりの大声を爆発させた。自分は初めて聞いたので目を丸くするばかりだが、怒鳴られ慣れているという男性の客人は大笑いしている。
「すまん、腹減ったからこのまま晩飯食わせてくれ」
「ふざけるなお前に出す飯なんか無い! とっとと帰れ!!」
「そうは言っても、迎えは明日になるらしいんだ。思った以上に立て込んでるらしくてな」
「知るか! 自分の足で帰れ、すぐ帰れーーーッッ!!」
見たことのない激昂っぷりで、ニシキさんは
今朝、愁灯庵へやって来て、ニシキさんに何らかの依頼をしていたこの客人は、
「もうやだ、帰ったらお前の顔が無いの最高ってなれるはずだったのに……あ、梓くん。これお土産のお菓子、ゼリーだから早めにしまっておくれ」
「おっ、気が利くじゃないか」
「誰がお前のためだって言ったよお前の分はない。そうそう、梓くん。お客さんがいるから、彼を奥に案内してくれるかい。先に夕飯も済ませてしまって構わないよ」
タツキさんの胸倉を掴んだまま、ニシキさんは器用に態度を使い分けて後方を示す。見れば確かに、新たな人影が一つあった。ニシキさんの激昂を他所に、のんびりと店内を見て回っている青年の姿が。
示されたことに気づいてか、もう一人の客人はこちらを振り返って、態度を変えないまま歩いてきた。男子学生の制服なるものを身にまとった、一見すると何の変哲も無さそうな男性。しかし、その雰囲気はどこか、底知れない何かを感じさせる。
「やあ、こんばんは。きみが、ニシキが拾ったっていう鳥?」
「はい。折節の里郵便局霜降の村支局、愁灯庵専属配達員の梓と申します」
「なるほど、配達員だから梓なのか。古風な名前だねぇ。……ニシキ、おれは先に、奥に行って良いの?」
「良いよ。私はこれを追い返してから行く」
「えー、良いじゃんかよ晩飯くらい。それに、迎えの奴は本当に」
「お前の都合なんて知ったことか。お前が私の領域内にいることが許せん。帰すためなら無理やりでも迎えを連れてきてやる」
ピリピリしたニシキさんと、笑顔からうんざりといった顔に変わったタツキさん。お二人の間に割って入ることは、どう考えても危険と見えたため、自分は新たなお客を連れて、お土産を手に奥へと戻った。
新たなお客人は
奥の一部屋はアメリさんの力もあって、既に設えられている。姉さんもタツキさんは苦手とのことで、店部分に出ることなく、今日はずっとこの部屋にいた。
「ああ、アズサ。ニシキ帰ってきたの?」
「はい。頼まれたので、他のお客さんも連れてきました」
洋風ではなく、和風でもなく。現代の一般家庭にあるものと同じ
「……、……セセラギ?」
「お、よく分かったね宝石ちゃん。久しぶり、おれだよ」
「名前を聞かれて『おれ』って返すのは詐欺の手口よ。ずいぶん威厳のない姿を取っているわね。アズサと並んだら、学校の同級生みたいだわ」
ひらひら手を振りながら、軽い調子で挨拶する瀬々楽さんに、姉さんは呆れたような笑みで答える。こちらも知り合い同士らしい。
自分はお土産のゼリーを冷蔵庫に入れつつ、晩ご飯の支度に取り掛かる。姉さんも、瀬々楽さんを席に座らせた後、
「おれは手伝うべき? 大人しく待ってるべき?」
「お客さんは大人しく待ってるべきよ。安心しなさい、アメリもアズサも、料理を爆発なんてさせないわ」
ふふん、と胸を張る姉さんは、風見ご夫妻から譲り受けたエプロンを締めつつ手を洗う。自分も、だいぶ前から簡単な服装を整えていたので、すぐに料理を開始できた。作るのは冷やし中華と事前に決まっている。
ニシキさんはタツキさんとの喧嘩――なのかどうかは微妙だけれど――が続いているのか、冷やし中華が完成してもやって来ない。仕方がないので、ニシキさんの分はラップを掛けておく。席も一つ空けたまま、ニシキさんとではない三人での夕食となった。
「ひとの手料理を食べるのは久しぶりだな。いただきます」
「どうぞ、召し上がれ。瀬々楽さんは、あまり食事をなさらない方なのですか」
「そうだねぇ。本当は食べなくても問題ないんだけど、食べるの、わりと好きだから」
細切りにした
それにしても、と。冷やし中華を食べ進めながら、向かいに座った瀬々楽さんを、失礼ながらじっと見つめる。来客として流れるまま食事を共にすることとなったが、自分は瀬々楽さんのことを何も知らない。今朝、急にやって来たタツキさんのことも、あまりよく知らない。後者についてはニシキさんから「悪影響が出る。必要以上の接触は避けなさい」と言われたから、ほとんど会話をしなかったせいもあるが。
「……見つめられるとくすぐったいよ、真雁くん。訊きたいことがあるなら、言葉にしてくれなきゃ」
「すみません。ですが、何を訊いたものかと思いまして」
「ふふふ。無礼じゃないなら、何だって訊いていいよ。答えたくないことははぐらかすからさ」
食事の手を止め、にっこりと微笑む瀬々楽さんは、どこかニシキさんと似ている。けれど、ニシキさんとは違う何かも、ある。
「セセラギはニシキのお友だちよ。アメリより前からのお友だちなの」
固まっていたら、隣から姉さんが助け舟を出してくれた。「そうだね、長い付き合いだ」と、瀬々楽さんが舵を取ってくれる。
「おれはあんまり、自分のところから出なかったし、今となっては気軽に出られないんだけど、誰かと交流することは好きだからさ。ニシキはちょうどいい交流相手なんだ。直接会いに来なくても、手紙を寄越してくれるからね」
「気軽に出られない、ですか」
「うん、お役目がお役目だから、ニシキほどの自由は無い。今日出てきたのは、ついこないだ……あー、一年経ったらもう長いんだっけ。ともかく数年前くらいに、お守りをあげた人間に変なのが近付いてたから、様子を見に来たんだ。その時点でニシキの気配も感じ取ったから、半分くらいはニシキに会う気でいたんだけどね」
お守りをあげた、というと、瀬々楽さんは何らかの力を持っているのだろうか。またじっと見つめてしまったところ、「大層な力は持ってないよ」と微笑まれた。けれど「あら、嘘ね」と、隣から姉さんが遠慮のない声で言う。
「撃退する手段なら、たくさんお持ちでしょう、貴方」
「まあ、そうだけど、話すと真雁くんに怖がられちゃうかもしれないし……あ、真雁くんって、そういう力のあれそれとかって、知識ある? ニシキが今日呼び出されたのも、そういう力あるからこその依頼だったわけだけど」
「あまり興味が無いので、訊いたことはほとんどありませんが、ニシキさんや姉さんのできることでしたら、知ってはいますし見たこともあります」
「ふむ。じゃあ、力の話は別に良いか……、……うん? 姉さんって誰?」
「アメリのことよ」
きょとん、と。今度は瀬々楽さんが目を見開く。胸を張って答えるアメリさんこと姉さんと、頷く自分とを交互に見て。微妙な間を空けた後、瀬々楽さんは大笑いをし始めた。
「ははは! きみたち愉快で平和だなぁ」
「ちょっと。そこまで笑うことないじゃない。アメリが愁灯庵居候の先輩だし、年上だし、何より身内なんだから、アズサからしたらお姉ちゃんよ」
「いや、そうだけどさ……真雁くんは良いの? 宝石ちゃんがお姉さんで」
「はい。何も不都合はありませんし、先輩かつ年上ですし、面倒もよく見てくださいますので」
「わあ、純粋無垢な目。うん、可愛がりたくなるのも分かる」
「でしょう?」
よく分からないが、姉さんと瀬々楽さんは何か通じ合って、頷き合っている。姉さんは「ドヤ顔」というらしい、満足そうな表情でもあった。
瀬々楽さんとの会話は、これを機にだんだん盛り上がっていった。瀬々楽さんのこと、姉さんのこと、ニシキさんのこと、自分のこと……一つの話題が出る度、紐付けてどんどん話が出てくる。いつの間にか冷やし中華も食べ終えて、お土産のゼリーを一人一個ずつ食べながら、歓談は緩やかに続いていた。
「それにしてもニシキの奴、ずいぶん手こずっているねぇ。本当に迎えが無いのか」
「ね。冷やし中華、アメリたちが食べたのより酸っぱくなっちゃうわ。ところでセセラギ、泊まっていくの?」
「一応、そうなっても良いようにはしてある」
慣れた様子で言う瀬々楽さんに、姉さんも慣れた様子で受け入れる。自分も、誰かと一緒に愁灯庵へ泊まることは体験済みだったから、抵抗は全く無い。
当然、ニシキさんも誰かを宿泊させることには抵抗がない。その上で、タツキさんを居させることには全力で抵抗しているあたり、相当嫌なのだろうことが窺える。朝にタツキさんがやって来た時、露骨に嫌そうな態度はしていたけれど、不満爆発とまでの嫌がり方はしていなかったし。
「ニシキとタツキのこと、気になる?」
ぼんやり、居間への入口を眺めていたら、瀬々楽さんが穏やかな声で問いかけてきた。ニシキさんだけでなくタツキさんの名前も挙げられたのは、今日初めて会ったことも伝えていたからだろう。
無言で頷けば、瀬々楽さんは何度目かの微笑を浮かべた。内包されるものを悟りにくい、けれど声と同じ穏やかな笑みを。
「じゃ、ニシキが来るまで、昔話でもしてあげようかね」
一足先に空となったゼリー容器を置き、瀬々楽さんは
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