第19話 爆発/見知った顔

「――なんっでまだいるんだよーーーッッ!!!」


 愁灯庵へ帰って来るなり、ニシキさんは怒り心頭とばかりの大声を爆発させた。自分は初めて聞いたので目を丸くするばかりだが、怒鳴られ慣れているという男性の客人は大笑いしている。


「すまん、腹減ったからこのまま晩飯食わせてくれ」

「ふざけるなお前に出す飯なんか無い! とっとと帰れ!!」

「そうは言っても、迎えは明日になるらしいんだ。思った以上に立て込んでるらしくてな」

「知るか! 自分の足で帰れ、すぐ帰れーーーッッ!!」


 見たことのない激昂っぷりで、ニシキさんは葡萄色えびいろの椅子に、店主の如く座っていた客人へ詰め寄るなり、胸倉を掴み上げて揺さぶっている。女性の姿を取っているとは言え、ニシキさんに性別所以な力の差異は無い。故に、客人の体も大きく揺すぶれている。

 今朝、愁灯庵へやって来て、ニシキさんに何らかの依頼をしていたこの客人は、断継タツキさんというらしい。ニシキさんと同じく、取る姿の性別を問わない方だというが、基本的には男性の姿しか取らないという。現在取っている姿も、柄が美しい洒脱な洋装スーツを纏う黒髪の伊達男といったもので、その点についてはニシキさんも評価していた。


「もうやだ、帰ったらお前の顔が無いの最高ってなれるはずだったのに……あ、梓くん。これお土産のお菓子、ゼリーだから早めにしまっておくれ」

「おっ、気が利くじゃないか」

「誰がお前のためだって言ったよお前の分はない。そうそう、梓くん。お客さんがいるから、彼を奥に案内してくれるかい。先に夕飯も済ませてしまって構わないよ」


 タツキさんの胸倉を掴んだまま、ニシキさんは器用に態度を使い分けて後方を示す。見れば確かに、新たな人影が一つあった。ニシキさんの激昂を他所に、のんびりと店内を見て回っている青年の姿が。

 示されたことに気づいてか、もう一人の客人はこちらを振り返って、態度を変えないまま歩いてきた。男子学生の制服なるものを身にまとった、一見すると何の変哲も無さそうな男性。しかし、その雰囲気はどこか、底知れない何かを感じさせる。


「やあ、こんばんは。きみが、ニシキが拾ったっていう鳥?」

「はい。折節の里郵便局霜降の村支局、愁灯庵専属配達員の梓と申します」

「なるほど、配達員だから梓なのか。古風な名前だねぇ。……ニシキ、おれは先に、奥に行って良いの?」

「良いよ。私はこれを追い返してから行く」

「えー、良いじゃんかよ晩飯くらい。それに、迎えの奴は本当に」

「お前の都合なんて知ったことか。お前が私の領域内にいることが許せん。帰すためなら無理やりでも迎えを連れてきてやる」


 ピリピリしたニシキさんと、笑顔からうんざりといった顔に変わったタツキさん。お二人の間に割って入ることは、どう考えても危険と見えたため、自分は新たなお客を連れて、お土産を手に奥へと戻った。

 新たなお客人は瀬々楽せせらぎさんといい、ニシキさんとは旧知の仲だという。少し気になることがあって、とある場所に行ってみたらニシキさんと再会し、そのまま愁灯庵でご飯をいただくという話になったらしい。

 奥の一部屋はアメリさんの力もあって、既に設えられている。姉さんもタツキさんは苦手とのことで、店部分に出ることなく、今日はずっとこの部屋にいた。


「ああ、アズサ。ニシキ帰ってきたの?」

「はい。頼まれたので、他のお客さんも連れてきました」


 洋風ではなく、和風でもなく。現代の一般家庭にあるものと同じ居間リビングにて、洋机テーブルに突っ伏していた姉さんは顔を上げる。ところが、自分の後ろについてきた瀬々楽さんを見つけると、きょとんと目を見開いた。


「……、……セセラギ?」

「お、よく分かったね宝石ちゃん。久しぶり、おれだよ」

「名前を聞かれて『おれ』って返すのは詐欺の手口よ。ずいぶん威厳のない姿を取っているわね。アズサと並んだら、学校の同級生みたいだわ」


 ひらひら手を振りながら、軽い調子で挨拶する瀬々楽さんに、姉さんは呆れたような笑みで答える。こちらも知り合い同士らしい。

 自分はお土産のゼリーを冷蔵庫に入れつつ、晩ご飯の支度に取り掛かる。姉さんも、瀬々楽さんを席に座らせた後、台所キッチンの方に来てくれた。


「おれは手伝うべき? 大人しく待ってるべき?」

「お客さんは大人しく待ってるべきよ。安心しなさい、アメリもアズサも、料理を爆発なんてさせないわ」


 ふふん、と胸を張る姉さんは、風見ご夫妻から譲り受けたエプロンを締めつつ手を洗う。自分も、だいぶ前から簡単な服装を整えていたので、すぐに料理を開始できた。作るのは冷やし中華と事前に決まっている。

 ニシキさんはタツキさんとの喧嘩――なのかどうかは微妙だけれど――が続いているのか、冷やし中華が完成してもやって来ない。仕方がないので、ニシキさんの分はラップを掛けておく。席も一つ空けたまま、ニシキさんとではない三人での夕食となった。


「ひとの手料理を食べるのは久しぶりだな。いただきます」

「どうぞ、召し上がれ。瀬々楽さんは、あまり食事をなさらない方なのですか」

「そうだねぇ。本当は食べなくても問題ないんだけど、食べるの、わりと好きだから」


 細切りにした胡瓜きゅうりとハムごと持ち上げた麺を見つめたまま、瀬々楽さんはのんびり言う。自分も同じく、具材と一緒に麺をすすった。さっぱりとした味わいの中を、酢の味がつんと貫いてきて、食欲をそそってくれる。

 それにしても、と。冷やし中華を食べ進めながら、向かいに座った瀬々楽さんを、失礼ながらじっと見つめる。来客として流れるまま食事を共にすることとなったが、自分は瀬々楽さんのことを何も知らない。今朝、急にやって来たタツキさんのことも、あまりよく知らない。後者についてはニシキさんから「悪影響が出る。必要以上の接触は避けなさい」と言われたから、ほとんど会話をしなかったせいもあるが。


「……見つめられるとくすぐったいよ、真雁くん。訊きたいことがあるなら、言葉にしてくれなきゃ」

「すみません。ですが、何を訊いたものかと思いまして」

「ふふふ。無礼じゃないなら、何だって訊いていいよ。答えたくないことははぐらかすからさ」


 食事の手を止め、にっこりと微笑む瀬々楽さんは、どこかニシキさんと似ている。けれど、ニシキさんとは違う何かも、ある。


「セセラギはニシキのお友だちよ。アメリより前からのお友だちなの」


 固まっていたら、隣から姉さんが助け舟を出してくれた。「そうだね、長い付き合いだ」と、瀬々楽さんが舵を取ってくれる。


「おれはあんまり、自分のところから出なかったし、今となっては気軽に出られないんだけど、誰かと交流することは好きだからさ。ニシキはちょうどいい交流相手なんだ。直接会いに来なくても、手紙を寄越してくれるからね」

「気軽に出られない、ですか」

「うん、お役目がお役目だから、ニシキほどの自由は無い。今日出てきたのは、ついこないだ……あー、一年経ったらもう長いんだっけ。ともかく数年前くらいに、お守りをあげた人間に変なのが近付いてたから、様子を見に来たんだ。その時点でニシキの気配も感じ取ったから、半分くらいはニシキに会う気でいたんだけどね」


 お守りをあげた、というと、瀬々楽さんは何らかの力を持っているのだろうか。またじっと見つめてしまったところ、「大層な力は持ってないよ」と微笑まれた。けれど「あら、嘘ね」と、隣から姉さんが遠慮のない声で言う。


「撃退する手段なら、たくさんお持ちでしょう、貴方」

「まあ、そうだけど、話すと真雁くんに怖がられちゃうかもしれないし……あ、真雁くんって、そういう力のあれそれとかって、知識ある? ニシキが今日呼び出されたのも、そういう力あるからこその依頼だったわけだけど」

「あまり興味が無いので、訊いたことはほとんどありませんが、ニシキさんや姉さんのできることでしたら、知ってはいますし見たこともあります」

「ふむ。じゃあ、力の話は別に良いか……、……うん? 姉さんって誰?」

「アメリのことよ」


 きょとん、と。今度は瀬々楽さんが目を見開く。胸を張って答えるアメリさんこと姉さんと、頷く自分とを交互に見て。微妙な間を空けた後、瀬々楽さんは大笑いをし始めた。


「ははは! きみたち愉快で平和だなぁ」

「ちょっと。そこまで笑うことないじゃない。アメリが愁灯庵居候の先輩だし、年上だし、何より身内なんだから、アズサからしたらお姉ちゃんよ」

「いや、そうだけどさ……真雁くんは良いの? 宝石ちゃんがお姉さんで」

「はい。何も不都合はありませんし、先輩かつ年上ですし、面倒もよく見てくださいますので」

「わあ、純粋無垢な目。うん、可愛がりたくなるのも分かる」

「でしょう?」


 よく分からないが、姉さんと瀬々楽さんは何か通じ合って、頷き合っている。姉さんは「ドヤ顔」というらしい、満足そうな表情でもあった。

 瀬々楽さんとの会話は、これを機にだんだん盛り上がっていった。瀬々楽さんのこと、姉さんのこと、ニシキさんのこと、自分のこと……一つの話題が出る度、紐付けてどんどん話が出てくる。いつの間にか冷やし中華も食べ終えて、お土産のゼリーを一人一個ずつ食べながら、歓談は緩やかに続いていた。


「それにしてもニシキの奴、ずいぶん手こずっているねぇ。本当に迎えが無いのか」

「ね。冷やし中華、アメリたちが食べたのより酸っぱくなっちゃうわ。ところでセセラギ、泊まっていくの?」

「一応、そうなっても良いようにはしてある」


 慣れた様子で言う瀬々楽さんに、姉さんも慣れた様子で受け入れる。自分も、誰かと一緒に愁灯庵へ泊まることは体験済みだったから、抵抗は全く無い。

 当然、ニシキさんも誰かを宿泊させることには抵抗がない。その上で、タツキさんを居させることには全力で抵抗しているあたり、相当嫌なのだろうことが窺える。朝にタツキさんがやって来た時、露骨に嫌そうな態度はしていたけれど、不満爆発とまでの嫌がり方はしていなかったし。


「ニシキとタツキのこと、気になる?」


 ぼんやり、居間への入口を眺めていたら、瀬々楽さんが穏やかな声で問いかけてきた。ニシキさんだけでなくタツキさんの名前も挙げられたのは、今日初めて会ったことも伝えていたからだろう。

 無言で頷けば、瀬々楽さんは何度目かの微笑を浮かべた。内包されるものを悟りにくい、けれど声と同じ穏やかな笑みを。


「じゃ、ニシキが来るまで、昔話でもしてあげようかね」


 一足先に空となったゼリー容器を置き、瀬々楽さんはくつろいだ様子で口を開く。時刻はもう、八時の半ばに差し掛かろうとしていた。

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