#8 Missing of Duke's daughter

 正位階の神官に帰任を伝えた数日後。


 新たに神官となるための儀を終えたイェールに待っていたのは、膨大な雑務の山だった。


 神官と言えば民に主の教えを説くというのが世に知られる聖務だが、位階の低いイェールにはまだまだ先の話。


 外交組織に身を置いているので各地から届く書状の処理は言わずもがな、食事の用意や聖堂内の掃除まで、ありとあらゆる奉仕に忙殺される毎日である。


 しかし日が浅いとはいえ、公爵の側仕えと教師を兼務していたイェールにとってそれらは苦にもならないどころか、ある意味で得意分野ともいえた。


 難なく奉仕をこなし、その労を表に出すことなく淡々と聖務をこなす姿は瞬く間に評判を得ていった。


「やっぱりその年で位階持ちは違うよな。この調子でいけば明位階※も夢じゃないぞ」

「畏れ多い事でございます」


(※ロマヌスにおける聖堂位階は五段階。下から直位階、権正位階、正位階、明位階、浄位階の順となっており、浄位階は明位階の中から一人選ばれて一般に大神官と称される。イェールは直位階、エーデルリッターは全員明位階である)


 枕詞まくらことばのように謙遜の言葉を添えてにこやかに談笑しながらも、胸の内は淀んでいる。


 正式に神官となり、堂々と調べ物ができる立場を得たはいいものの、肝心のジェリトリナの事が全く耳に入って来ないからだ。


 当然だが、世界各地で活躍している聖女の情報は全て聖堂に入ってくる。さすがに事細かく調べるには位階が足りないが、誰がどの地方にいるかくらいは分かる。


 イェールは任官早々にジェリトリナの所在を調べたが、どこにも名が無かったことに軽い絶望を覚えていた。


 余談だが、貴族子弟ばかりではなく、平民でも素質があると見なされれば儀式を受けて聖女になることは出来る。


 聖女を輩出した町村は総出で祝うのが慣例となっており、その親族には品位保持の名目で莫大な手元金が支給されるので、教えを信仰する民草が特に娘子を大事にしているという側面があったりする。


 ナイトレイ家は一代前、現当主であるクライズの母親が聖女だった上に、その孫に当たるフランシカが聖女となった事はナイトレイ家だけでなく、属するルクソル王国にとってもロマヌスに対する発言権を強められる大事な手札となっていた。


(フランシカ様は見つかった……しかしお嬢様は……)


 名が無いという事は、儀式に失敗したという事に他ならないのではないか。


 信じたくは無いが、先に遭遇したエーデルリッターの言葉は偽りで、公爵夫人であるローズが言っていた事が真実だったことになる。


 嘘は教えに反するとエーデルリッター本人に問い正すなど出来るはずもなく、そんな事をすればどうなるか分かったものではない。


 なぜ嘘をついたのか。


 しかし、それを確かめる事に大した意味を見出せないし、ジェリトリナの行方を調べる事が最優先であることに変わりはない。


 儀式に失敗した者がどうなるかはあまり知られておらず、詳細は儀式に立ち会う事の出来る高位階の神官しか知る由が無い。


 そのまま国に帰るとも言われているし、失敗したことを恥じて蒸発する者もいるという話もあるが、果たしてジェリトリナはどうか。


 前者ではない事は屋敷にいた自分が一番分かっているし、蒸発して一人で生きていこうとするような子ではないとも分かっている。


 となると最後に残るのが―――


(花園……? いや、あの存在はただの噂)


 長らく主に奉仕した神官や民のみが立ち入ることを許され、残りの生を静かに、穏やかに過ごすための場所。それが花園だと言われているが、存在すら認められておらず、一部には死後の世界を指しているいう説もあるほどにアテにならない。


 イェールはそんな精神世界と紛うようなところにジェリトリナが居るはずがないと思いなおし、現実と向き合うが、そう思えば思うほど今の現状が腑に落ちないのだ。


 ジェリトリナは二女とはいえ、正真正銘の大貴族の娘である。


 聖なる儀式を受けたという特異性はあるものの、浮浪者や罪人ならいざ知らず、一国の王族に連なる家の娘が行方不明になるなどあり得るのか。


 全てを知るはずの元主人、クライズは何も言わなかった。


 イェールは言えなかったとの節が強いと見ているが、だからこそ高官にジェリトリナの事を直接聞くことは非常に危険だと考えている。


 公爵ですら口を噤み、さらにエーデルリッターまでもが嘘を付いた時点で、探している事を知られる事すら危ない気がするのだ。


 もっと言えば自分だけの危険ならまだいいが、その事でジュリトリナの立場が悪い方向に動く可能性も否定できない。


 奉仕に一切手を抜かず、誰にも頼らず、知られず、ジュリトリナを探し出して安否を確認し、密かにクライズに伝える。


 これが今のイェールの使命だった。


(失敗した事を秘匿するのはお嬢様の立場を考えれば理解できる。ローズ様なら公爵家から落伍者を出したくはないとお考えになるのは当然ですし、実際にそれらしいことを叫ばれていた)


 イェールは自分をローズの立場に置き換え、ひどく冷静に彼女ならやりかねない可能性を脳裏に浮かべる。


(屋敷にお戻りでない以上、どこかに監禁されておられるのなら目の届く場所、つまり聖都のどこかにおられるはず。密かに追放するなら身分を隠したまま奴隷として売るのが定石ですが、公爵家の娘ともなれば闇市場が黙っておらず足が付く可能性がある……最悪なのが、既に暗殺されている……)


 全てを上手く回そうとするのなら、公爵家は王家にジェリトリナは儀式に成功したと伝え、その実はこの世にいないという筋書きが描かれる。


 頃合いを見て戦に巻き込まれたなり、魔獣に襲われた事にして幕引きを図るだろう。


 いかに王家とはいえ、その報が虚偽か否かを確かめる事はまずないと考えられるし、仮にそうしたところで聖堂が虎の子である聖女の動向を一国の王家に教える事はないはず。さらに、王家がそんな事をしたところで利点はほぼ無い。


 つまり儀式の失敗とジュリトリナの存在は闇に葬られる末路が容易に想像できてしまうのだ。


 もちろんそれらの所業は主の教えに反し、聖堂が許すとは到底思えないので『花園』などという妄想が頭に浮かんだのだが、何の情報もなく過行く日々にイェールの焦りは増していった。


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