#6 Time of Determination
「だから私は反対したの! あの鈍間が聖女になれる訳がないと!」
(っ!?)
瞬間、ドクンと自身の鼓動が聞こえ、背に悪寒が走る。
相対しているはずのクライズの言葉は聞こえないが、続くローズの癇癪めいた言葉が次々とイェールに突き刺さった。
「どうしてすぐに私に教えなかったの!?」
「たださえフランシカの二番煎じなのに、よりにもよって失敗だなんて!」
「ナイトレイの恥だわ! 公爵……いえ、フィリップの障害となりかねない!」
「さっさと他所へやっていればこんな事には―――」
「―――もう結構! 私がなんとかします!」
(まずい!)
処理能力の落ちた頭が沸騰しかけたその時、執務室の扉が勢いよく開け放たれた。
イェールは慌てて死角に入って息を殺し、ブツブツと何かをつぶやきながら足早に執務室を後にしたローズの背を見送った。
何とか気づかれずにやり過ごせたものの、イェールは壁に背を預けながら膝を折る。
会話は明らかにジェリトリナの事を指している。
確かに主人の口から儀式に成功したとは聞かされていないが、事務方の信徒は成功したのではないかと言っていた。
今思えばそれこそ噂、予想程度のものに過ぎないと思えるが、その後に会った聖騎士からはつつが無く執り行われたと告げられている。つまりは成功したに等しい言葉である。
それも聖騎士の中でも最高位に位置するエーデルリッターが言ったのだ。聖堂の人間としてイェールに疑う余地はない。
しかし、そうなると今耳にした情報と聖騎士の言葉は全く逆となる。
恣意的に考えるならローズが勘違いしていると思いたいところだが、あの怒声の中には焦燥感も入り混じっていた。
主従に相性を持ち出すなど以ての外だが、正直あまり好ましくない公爵夫人の言葉とはいえ聞き流すことなど到底できなかった。
「まさか、お嬢様は……思い込みは排除しなければ」
信じたいものを都合良く、根拠なく信じてしまっただけではないかと、自問自答したところで答えは出ない。イェールは無意識に震える身体を奮い立たせ、真実を知るはずのクライズに確かめるべく立ち上がった。
ローズが去ってからしばらく時間を置き、深呼吸をして執務室の扉を叩く。
「イェールにございます」
「入れ」
「失礼いたします」
間断なく入室の許可を得て、扉を開けて入口で頭を下げる。
主人であるクライズは先ほどのローズの様子とは打って変わり、いつも通り粛々と書類に目を通していた。
「ロマヌスより私の元へ指令が参りました」
「……うむ」
クライズは少し間を置いて頷き、金縁のモノクルを外して落としていた視線をイェールに向けた。
当然、イェールだけでなくクライズにもロマヌスからの手紙は届いているので、用向きは知っている。
「其方と話すのも今日で終わりだな」
「はい。不肖の身ながら、旦那様にお仕え出来たことは生涯の財産となりました」
普段あまり言葉を発しないクライズだが、珍しく文机から立ち上がり、イェールを対面のソファに促した。
主人と同じ目線になるなど以ての外だと一度は固辞したが、再度促されてはさすがに断れない。
ソファに深く腰掛けたクライズは目頭を押さえ、深く息を吐いて天井を見上げた。
「温かな布をお持ちいたします」
いつもクライズは執務の合間に疲れ目を癒すために湯で温めた布で目を覆う。
だが、すぐさま用意しようと立ち上がったイェールをクライズは手で制した。
「よい。それにしても、惜しい男を手放す」
「……はっ?」
いつもの主人らしくない言葉。
一使用人を褒めるなど、これまで噂でも聞いたことが無かった。
あまりに唐突な言葉にイェールが驚いて目を見開くと、クライズはくつくつと肩を揺らす。
「そんなに珍しいか」
「は、はい。恐れながら……ですが、光栄にございます」
「ふっ……其方には今後も仕えて欲しいというのは偽らざる本音だ」
何も最後の最後で言わなくともとイェールの中で様々な感情が渦巻いたが、単純にそう言って貰えるのは素直にうれしい。
だが、今のイェールには主人に確かめなければならない事がある。
この流れでいかにして聞き出すかを全力で思考するうち、クライズはまたもイェールの予想外の事を口にした。
「率直に言うがよい。……私は、良き主人だったか」
「っ」
使用人にそんなことを聞く主人がいるのだろうか。
このような一面もあったのかと驚きの余り立ち上がり、慌てて跪いた。
束の間の沈黙とクライズの視線が鼓動を早め、ローズ夫人に関しては口を噤む他ないが、こと主人に関しては偽らざる気持ちを吐露できる。
「この上なく」
「……そうか」
短くそう言って顔を上げると、クライズはほんの少し口角を上げて煙草をくわえる。それを見てイェールはすかさず胸元から火を取り出して差し出した。
これが最後の仕事。
紫煙を燻らせ、そしてクライズは別れの言葉を口にした。
「三年もの間、私とジェリトリナの為によく尽くしてくれた。礼を言う」
「勿体なきお言葉……私は、幸せにございました」
イェールは深々と頭を下げ、紫煙で濁った執務室を後にする。
聞きたかった事は何も聞けていない。
だが、イェールはクライズの自分を評する言葉に始まり、己を律するかのような問い、そして最後の表情で全てを察することが出来た。
この時ほど自分の
口にすべきではない。
口にしたくともできない。
自身の宿命に苛まれながらも、ごくわずかにに滲み出た主人の胸の内―――
(お任せください、旦那様。不肖の身ながら身命を賭しまする)
廊下を歩きながらそうつぶやき、イェールの生涯は予想だにしない転機を迎える事になる。
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