#2 World of Ruthless

 高祭壇に上り、剣の前で跪く。


 事前に言われていた通りに跪いて手を組み、目を閉じて静かにその時を待った。


 お父様はあっという間に終わると言っていたけれど、もうこの時点で私には長いと思える。


 神官様が神に捧げる祝詞を朗々と唱えている間、私はそれに耳を傾けることはせずにお屋敷の事を考えていた。


 無心になれと言われたけれど、そんなのできっこ無い。


「大いなる神アズガイアの名の下に、ジェリトリナ・ル・ナイトレイに祝福を!」


 ―――祝福を!


 突然大きな声が聖堂に木霊し、びっくりした私はつい体を強張らせてしまった。


 こんな弱虫な聖女様はどこにもいないわ。


 自分で言っておいて可笑しくなってくる。


 もう終わったのかな?


 どこにも変わったところは無いと思うけど……


 目をつむっているから周りの様子は分からないし、神官様が良いと言うまで目を開けちゃダメ……―――



 なんだか体がぽかぽかとしてきた。


 だんだん暑くなってくる。


 緊張とか、そういうのじゃない。


 まるで、炎が徐々に近づいてくるような。


 これは、絶対におかしい。


 普通じゃない。


 その時、私の頭の中に奇妙な声が響く。



《 其方、器足りえず 》



「え?」


 その声と共に私の身体を何かが通り過ぎる感覚がし、全身に燃えるような熱さが広がった。


「きゃぁぁぁっ! あつい、あついよっ!」


 身体の中から焼かれるような痛みに私は悲鳴を上げ、ジリジリと皮膚が焼けていく感覚に耐えかねて転げまわった。


 これが儀式の一環なのだとしても、この痛みに我慢なんてできない。


「ひっ、ひっ」


 息を吸うのも苦しく、この痛みがいつまで続くのかと考える余裕もない。


 助けを呼ぼうと辛うじて焦点を合わせた時、視界に入った自分の手を見て私は絶句した。


 手が真っ黒だった。


「な……に……?」


 私は周りの様子を知ることなく、意識を手放した。



 ◇



「……失敗、か」


 娘ジェリトリナが悲鳴を上げてのたうち回っているのを目の当たりにし、父クライズはまるで路傍の石を見るような視線を向けた。


 三年前、長女フランシカの儀式ではこんなことは起こらなかった。


 あの時は台座の剣から現れた光の玉がフランシカを通り過ぎただけで、何事も無く儀式は終了。


 直後にフランシカの身体が白光に輝き、次の瞬間には癒しの力を手にしていた。


 それに対してジェリトリナは大声で悲鳴を上げ、みるみる内に身体が黒化してしまったのだ。


 儀式に立ち会うのは二度目とは言え、失敗は誰の目から見ても明らかである。


 クライズの諦めの嘆息を聞き、祝詞を唱えた神官、聖堂最高位にあるザナドゥは静かに歩み寄る。


「申し訳ありません。私共の祈りが届きませんでした故、このような事に」

「致し方ないでしょう。あれの器が足りなかっただけの事」


 聖堂に響くジェリトリナの悲鳴は徐々に小さくなり、その声が消えると同時にクライズは娘に背を向ける。


「お連れ帰りになられますか」

「呪いを持ち帰れと?」


 ザナドゥの決まり文句にクライズは即座にそれを拒否し、儀式はあっさりと終わりを告げた。


「神は姫殿下をお見捨てになられた訳ではありません。浄化の儀を執り行い、聖堂が責任をもって静かに余生をお送り頂けるよう取り計らいます」

「……」


 儀式の間を後にし、長い回廊を一人戻るクライズ。


 両端にある明かりの片方がチリチリと鳴り、最後の力を振り絞るようにボッと音を立てて消えてしまったのを見て、歩く速度を速めた。


 大聖堂から出て来た主人に気が付いた使用人のイェールは、スッと馬車の扉を開け、一人で戻って来た事に内心安堵していた。


(よかった。儀式が成功して、お嬢様はそのまま引き取られたという事ですね)


 クライズは馬車に乗り込む前にイェールに一つ指示を出す。


「百を納めておきなさい」

「畏まりました、旦那様」


 イェールはすぐさま本国から持参していた金の半分を別の袋に詰め替え、御者に先に行くよう言い残して聖堂の裏口に回った。


 金という俗物をもって聖堂正面から入ることが禁止されている事は、幼い頃から聖堂に出入りしていたイェールはよくよく心得ている。


 裏口は事務方に繋がっており、扉を開けて鈴を鳴らすと奥から祭服に身を包んだ壮年の信徒が顔を出す。


「イェールじゃないか。使用人生活はどうだい」

「はい。良くして頂いています」

「それは何よりだ」


 イェールは三年前、ルクソル王国に属するナイトレイ公爵家の長女、フランシカと入れ替わりで使用人として出向していた。


 神聖ロマヌスには聖騎士団と呼ばれる教会戦力がある。


 ロマヌスの教えを広めるのが神官ならば、ロマヌスに仇なす者を誅滅するのが聖騎士団の役割。


 浮浪児だったイェールは幼い頃にその中性的な顔を見込まれて教会に拾われ、神学と戦闘技術を叩き込まれてきた。


 頭の回転が速く、戦闘に関しても高い評価を受けており、神官としても聖騎士としても有望株。若くしてロマヌスの外交組織の一員になったという経緯がある。


「ジェリトリナお嬢様は如何でした?」

「え、ああ。俺たちは知らされてないんだが、ナイトレイ家は名家だろう? 騒ぎも無いし、何事も無く終わったと思うぞ」

「そう、ですか」


 主人に直接聞く事はできないので、ここで顛末を聞こうとしたが当てが外れた。


 ジェリトリナに神学を教える立場にあったイェールはその成果を発揮できたのかと気を揉んだが、儀式に成功し、聖堂預かりになったという事はそういう事なのだろう。


 クライズの指示通りに金百を納め、少し雑談をしてから証書を受け取って裏口から出ると、明らかに人が増えている事に気が付いた。


 金属鎧が擦れる音があちらこちらから聞こえ、どこか物々しい雰囲気が辺りに漂っている。


 イェールは何かあったのかと訝しみつつ、早く主人の元へ戻らねばと気を取り直したその時、不意に背後から声が掛かった。


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