ジェシカ ―Frontier of Beginnings―

詩雪

#1 Sacred of Rites

 高すぎる天井、広すぎる回廊。


 いびつな模様が施された石の柱が先まで続き、カツンカツンと響く乾いた靴の音が私を一層不安にさせる。


「フランシカは今や立派な聖女。姉妹なのだから、お前もしっかり勤めを果たしなさい」

「はい、お父様」


 聖なる儀式を受ける為、私はお父様と一緒に神聖ロマヌスの大聖堂に来ていた。


 お姉様は私の三歳年上で、今の私と同じ十歳の時に聖なる儀式を受けて『癒しの力』を手にしていた。


 お姉様は特に才能があったらしく、そのまま神聖ロマヌスへ引き取られ、今や聖女の中でも一級のとしてたくさんの人の命を救っているのだとお屋敷のみんなが言う。


 今、世界は混迷を極めている。


 国同士の争いを発端に内乱や犯罪は絶えず、人々が団結して戦わなければ全く歯が立たないと言われる魔物による被害も後を絶たない。


 国ものがおこっては滅び、また興っては滅ぶ。


 死と隣り合わせの日常。


 平和という言葉は本の中だけの夢物語。


 とうの昔に人々の心は荒み、争いはもう生活の一部になっている。


 だからこそ聖女は尊ばれる。


 世界中の荒廃した町村を周って神より賜りし癒しの力で人々の傷を癒し、清らかな心で民に寄り添う。


 時には国に乞われて戦場にまで足を運び、戦いで傷ついた多くの怪我人の癒す。


 聖女を得た勢力には大義名分があるとされ、戦いにおいては聖女がどちらの陣営に付くかで勝敗が決まるとまで言われるほどだった。


 私は聖女になったお姉様を本当に尊敬しているし、三年前、笑ってお屋敷を後にした姿は今でも鮮明に覚えている。


 快活で頭が良くて、優しかったお姉様。


 大好きで大好きで、同じ聖女として一緒にいられたらと思う気持ちもある。


 でも―――


 私は儀式に失敗したいと願っていた。


 どうしてもお姉様のように生きてゆける気がしなかった。


 怪我を治すどころか、血を見るだけでめまいがしてしまう。だから戦場なんてもっての外。絶対に無理。


 大勢の人々に寄り添うなんて私なんかにできる訳が無い。


 お母様はとても厳しく、毎日のお勉強は辛かったし、貴族としての振る舞いや仕草にもうるさかったけど、私のためだと思えば我慢できた。


 そんなお母様の事も尊敬しているし、花壇のお世話や同い年でお友達のリリスとも離れたくない。


 リリスは使用人の子でお母様は私が仲良くするのをあまりよく思っていなかったけれど、同じ使用人で神学を教えてくれたイェール先生が見つかる前に匿ってくれるおかげで怒られたことはあまりなかった。


 それに弟のフィリップもきっと寂しがるし、何より私が寂しい。


(嫌、だな……)


 そんな事を考えていると、だんだん脚が重くなって、ピンと張っていた背筋も曲がってしまう。


 でも、ここで私がやっぱり嫌だなんて言ったらきっとお父様に叱られるし、私を笑顔で見送ってくれたリリスにも悪い気がする。


 代々聖女を送り出してきたからナイトレイ家はルクソル王国の侯爵となれたし、王国の第二王女だったお母様がお父様と結婚したからこそ、公爵という今の地位を手にしたのも知っている。


 だからお姉様は公爵令嬢にもかかわらず他家に嫁がず聖女になったし、続けて私が聖女になるのは当然のこと。


 世界は聖女を必要としている。


 それが私の運命なのだと思うしかない。


 そう思えば思うほど、私の耳からいつの間にか音が消え、目の前が暗くなっていった。


 ぐらりと脚がよろめいたのをお父様が支えてくれる。


「しっかりしなさい」

「はい……申し訳ありません」


 見上げる程の大きな両扉を左右に立つ男の人が引くと、見たことも無い綺麗な大広間が視界に入る。


「わぁ……」


 色とりどりのガラスの窓から鮮やかな光が差し込み、それを反射する石の高祭壇はまるでお花畑のように見えた。


 つい声を出してしまい、慌てて口を塞ぐ。


 今のを聞いたお父様はきっと怖い顔をしているに違いない。私は何事も無かったように歩みを進めた。


 たくさんの神官様が高祭壇のまわりにいて、一番奥には細い台座があり、そこには剣が刺さっていた。


 所々で淡い桃色の光が明滅していて、剣そのものが青黒い。私の知っているギラギラとした剣じゃない。


(あの剣の名前なんだっけ……お勉強したのに忘れちゃった)


 さっきまでの暗い感情が少し軽くなった気がした。


「遠路はるばるようこそ参られました、公爵閣下」

「はっ」


 高祭壇の傍で後ろ手の神官様がそう言うと、お父様は慇懃に頭を下げる。


 神官様は立派な祭服を着ているので、きっとこの中で一番偉い方なんだろう。


 お父様より偉い方なんて王様しか知らない私にとって、お父様が王様以外に頭を下げたところは初めて見た。


 だからと言う事ではないけれど、私も慌てて頭を下げた。


 今まで気づかなかったけれど、広間左右の壁にはたくさんの彫像が置かれていて、皆手を挙げていたり天を見上げていたり、杖や本を手にした姿をしている。


 じっと佇んでいるのではなく、動きが忠実に再現されていて、今にも動き出しそうな躍動感に息をのむ。


 大聖堂はたしか、亡くなった聖女様が祀られていると勉強したことがある。この場所は実はお墓なのだと思うとまた少し怖くなった。


「始めましょう。姫殿下、こちらへ」


 神官様がそう言って、私を高祭壇へ導いた。


 お父様を見上げると何も言わずに頷いて、そっと私の背中を押した。


 お父様は私が聖女になればお喜びになるのかな。


 お母様は褒めて下さるかな。


 私と離れ離れになっても平気なのかな。


 フィリップは泣いてしまわないかな。


 リリスとはもう会えないのかな。


 色んな事を考えながら、私は石の階段を静かに上る。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る